本日発表大宅賞。ネット投票を導入、リニューアルしていたノンフィクションの栄誉のゆくえ

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大宅壮一ノンフィクション賞が、このたび「大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞」と改称し、選考方法も大幅に変更された。そのリニューアルされた同賞の最初の授賞作がきょう決定する。


大宅賞はこれまで、同じく日本文学振興会の主催する芥川賞と直木賞と同様、数名の選考委員が候補作のなかから授賞作を選ぶという方式がとられてきた。しかし、今回のリニューアルにより、候補作について、ネットを通じての読者投票と、日本文学振興会が委嘱した有識者による投票を行ない、その集計結果を参考に選考顧問の後藤正治(ノンフィクション作家)立ち会いのもと授賞作を決めることになった(ネット投票はすでに5月8日0時をもって終了している)。

しかし、ネット投票は、投票ページにコメント欄が設けられていたとはいえ、きちんと読んだうえでの投票であるかどうかまではチェックされなかったようだ。はたしてそうした票を選考基準にしてよいものか、懸念は残る。

もっとも、それ以前に私が心配なのは、大宅賞がこれほど大きくリニューアルしたにもかかわらず、どうも世間にはあまり知られていないらしいということだ。少なくとも、私のツイッターのタイムラインで(出版関係者も多数フォローしている)このことを話題にした投稿は見かけなかった(私自身、大宅賞についてたまたま検索して、リニューアルしたことを初めて知り、驚いたのだった)。これがもし、芥川賞や直木賞が読者投票を導入したことになったのなら、ニュースでは大きく報じられただろうし、ツイッターなどSNSも大騒ぎになったことだろう。

大宅壮一の生前に新設された大宅賞


そもそも今回のリニューアルには、芥川賞や直木賞とくらべて話題になることの少ない大宅賞のテコ入れという意味合いもあるはずだ。大宅賞の試行錯誤はすでに2014年に「書籍部門」と「雑誌部門」の2部門に分け、雑誌記事も選考対象にしたときから始まっていた。しかしそれにもかかわらず、さほど話題になった気配はない。これは大宅賞のというよりも、ノンフィクションという分野自体の停滞の表れなのかもしれない。

折しも大宅賞のリニューアルと前後して、ジャーナリスト・評論家の武田徹による『日本ノンフィクション史』(中公新書)という本が出た。これは、日本におけるノンフィクションというカテゴリーの成立を戦前から歴史をひもときながら、ノンフィクションが社会に果たすべき役割を問うた一冊だ。同書の第6章では「ニュージャーナリズムと私ノンフィクション――大宅壮一ノンフィクション賞と沢木耕太郎」と題して、大宅賞がノンフィクションという分野に与えた影響についてもくわしく言及されている。

じつは現在私たちのイメージするノンフィクションの概念が確立されたのは1970年代と、意外に歴史は浅い。大宅賞が始まったのは1970年だから、時期的にちょうど重なる。

大宅賞は、戦前・戦後とマスコミ界に大きな足跡を残した評論家・大宅壮一(1900〜70)の名を冠して新設された。それは大宅の生前のことだった。当時の文藝春秋社長・池島信平は大宅の古希(70歳)を祝う会で賞を発表すれば格好のプレゼントになると考え、新設を決めたという。しかし打診を受けた当の大宅は「おれが死んでからならかまわないが」と難色を示す。結局、夫人の「いずれは設けられる賞なら、あなたが生きている間でもかまわないんじゃない」という説得に押し切られ、やっと同意したらしい。

こうして始まった大宅賞だが、第1回で尾川正二『極限のなかの人間』とともに授賞作に選ばれた『苦海浄土』の著者・石牟礼道子は受賞を辞退している。その後も迷走は続く。なかには、いまのノンフィクション賞ではおおよそ選ばれないようなエッセイが受賞することもあった。ノンフィクションの定義がまだ固まっていなかったということだろう。しかし、やがて受賞傾向は収束し始める。《そこで求心力を発揮したのが一九七九年受賞の沢木耕太郎『テロルの決算』ではなかったか》と『日本ノンフィクション史』は書く。

大宅賞の受賞傾向を明確化した沢木耕太郎『テロルの決算』


沢木耕太郎の大宅賞受賞作『テロルの決算』は、1960年に社会党委員長・浅沼稲次郎が刺殺された事件を、浅沼と犯人の17歳少年の双方の立場から描き出した作品だ。その手法は、1960年代以降、アメリカで台頭したニュージャーナリズムの影響が色濃く、《全く新しいノンフィクションの幕開けを実感させる内容だった》。

ニュージャーナリズムの表現手法は《細かなディテイルまで描き込み、あたかもテレビカメラで現場を同時進行的に記録してゆくかのように、シーンからシーンへ、場面から場面へと移動してゆく》というもので、そこでは「私が」の一人称ではなく、三人称が用いられ、いわば神の視点から「その時に何がどのように起きていたか」現象の全体像が描き出されていた。この手法を移入することで、ノンフィクションは小説と比肩しうる「物語」として存在感を示し、ひとつの創作カテゴリーとして自立したとされる。

しかしそこには落とし穴もあった。これについて『日本ノンフィクション史』は、イギリスの科学史家カール・ポパーの『科学的発見の論理』を参照しながら指摘する。科学論においては、常に仮説を立て、一方でその仮説を覆す反例がないか探し、見つかれば反証がなされたことになる。科学者はその結果を踏まえ、仮説を修正していくというわけだ。科学の進歩は、こうした反証の繰り返しなしにはありえなかった。

同様に、ジャーナリズムにおいても、報道が速報性を要求される以上、それはひとつの仮説にすぎない。もしそれを覆す反例が見つかれば、修正していく必要がある。だが、ニュージャーナリズムの作品では、一人称が徹底して排されているがゆえに、書き手がどのように情報を得たかがわからず、読者はそれが事実かどうか検証がしにくい。

沢木耕太郎自身もこのことには自覚的で、『テロルの決算』のあと、ニュージャーナリズムの三人称から一転して、徹底した一人称の記述を採用した『一瞬の夏』を書いている。だが、こうした「私ノンフィクション」ともいうべき作品とても、すべての「確かさ」は作者の内面に帰属し、外部から介入の余地がないために、反証は難しい。

しかし日本においてノンフィクションは、沢木のニュージャーナリズム作品、さらに私ノンフィクションを画期として、科学的なジャーナリズムと乖離し、作品化、文学化をより重視する道を歩んでいく。

ノンフィクションを補完する非ノンフィクション作品


『日本ノンフィクション史』では、ノンフィクションが物語的完成度を求めてひとつの文学を目指していくなかで、そこでは扱われなかった事象を掬い取り、ノンフィクションを補完した作品として、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』、あるいは『恋空』など一連のケータイ小説などの非ノンフィクション作品がとりあげられている。

同書はまた、宮台真司の『制服少女の選択』、佐藤俊樹『不平等社会日本』、開沼博『「フクシマ」論』などといった社会学者による著作を、ノンフィクションが物語化の過程で失った科学性を補完する「アカデミック・ジャーナリズム」として評価を示す。

著者の武田徹は、ことにアカデミズムとジャーナリズムが接近し、相互に影響し合うことに期待を抱き、本書の終章にあたる第7章を次のようにまとめている。

《両者の関係が得られることで、物語化の過程で失われた科学性や、描かれなくなっていた「細部」が取り戻され、硬直した「ノンフィクション」が活性化され、新しい調査と表現の地平を開いてゆくことに期待したい。そしてそれは物語性優先で商業性を求めて俗情と結託しやすい今のジャーナリスティックな文学としてのノンフィクションが、一度は死に、本当のノンフィクションの広がりを回復させて蘇るプロセスとも重なろう》

こうした武田の問題提起を読むにつけ、大宅賞が読者投票を導入したことは、ノンフィクションと俗情の結託をますます深め、ジャンルの枠を狭めてしまわないかという懸念を強くする。はたして大宅賞の今回のリニューアルは正解だったのかどうか。きょう発表される授賞作はそのひとつの指標となろう。
(近藤正高)