熊本城飯田丸五階櫓(4月9日)

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第13回「熊本地震から1年」 文・山雄樹

熊本地震の発生から1年が過ぎ、熊本県内各地で、追悼式や慰霊式、復興イベントが行われ、熊本県民ひとりひとりが、復旧、復興への思いを新たにしている。

今年の熊本の桜の開花、熊本地方気象台のソメイヨシノの標準木の開花が発表されたのは、4月1日。平年より9日遅く、観測史上2番目に遅かった(1962年4月2日が最遅)。そのため、熊本地震から1年となった4月14日も、まだ熊本では桜が咲いていた。熊本城の桜の名所として知られる行幸坂(みゆきざか)は、地震の影響で、立ち入りが禁止されているが、3月25日、26日、4月1日、2日、9日の5日間、桜のシーズンの土曜、日曜を中心に、部分開放された。行幸坂からは、「奇跡の一本石垣」と呼ばれた飯田丸五階櫓の鉄骨で支えらえた姿が見え、桜が、傷ついた熊本城を癒しているようだった。



<熊本地震から1年、満開の桜に包まれる熊本城飯田丸五階櫓>

ロアッソの選手のなかで、先頭に立って支援活動に取り組んだ巻誠一郎は、1年前に「前震」が発生した午後9時26分、黙祷を捧げていた。
場所は、熊本市東区にあるバッテリー販売会社・株式会社吉角の倉庫。熊本地震の後、いち早く立ち上げた救援物資の集積、輸送拠点だ。熊本地震の後、およそ3か月、汗を流したボランティアスタッフとともに、静かに目を閉じた。

「地震の直後は、皆、苦しくて、もがいて、『何とか前に進もう』と、『何とか前に進もう』と、皆で支え合いながら、前に進んでいました。そういう皆が、本当に久々に集まったんですね。皆さん、すごくポジティブで、前向きで、未来に向かって、確実に一歩を踏み出そうとしていました。そういう姿を見たり、そういう話ができたりして、僕自身もすごく嬉しい気持ちになりましたし、僕も、また新たに一歩を踏み出して、前に進まなきゃと、気持ちを新たにできましたし、そんな特別な日です」と、巻は語った。

株式会社吉角の代表取締役吉角裕一朗氏(34歳)は、去年冬、ある会合で巻と同席した。
総合格闘技に打ち込んだ経験もある熱いハートの持ち主で、巻と年齢が近いこともあり意気投合、その後、何度か食事をともにする間柄になった。
「前震」の翌日に、「うちの倉庫を使って下さい」と吉角氏が、巻に申し出た。「自分は東日本大震災のときにも、宮城県石巻市に物資を届けました。その時の経験から、行政や自衛隊ができないところをやろうと思いました。(町の指定避難所ではない)グランメッセやエミナースにも近いので」と、自身も被災し、車中泊を強いられたが、「やるしかない」と巻との「二人三脚」での支援活動が始まった。
 
指定避難所ではなかったが、2200台分の駐車場がある熊本産業展示場グランメッセ熊本(距離5.5km)には、およそ1万人が、200台分の駐車場がある阿蘇熊本空港ホテルエミナース(距離7.3km)には、2000人が身を寄せていた。(実際は、グランメッセ熊本は、災害時の熊本県の物資集積拠点になっていたが、被災したため、集積拠点としては機能せず、4月15日午前0時18分、益城町が熊本県に、避難所としての開放を依頼した。また、ホテルエミナースは、2013年に結んだ「災害時の宿泊施設等における被災者の受入れに関する協定書」に基づき、避難所となった。)
「神社や自宅の敷地内に避難している人もいました。まず、何が足りないか、生の情報を集めて、物資が届かない人に届けようとしました」と、吉角氏は話す。巻には、「巻さんがワントップでお願いします。僕達は後ろでサポートします」と伝えた。「YOUR ACTION KUMAMOTO」というインターネットの復興支援サイトを立ち上げ、社員6、7人と、40人から50人のボランティアが物資の仕分け作業などに当たった。

巻について、吉角氏は「復興の象徴だと思います。スイッチが入ったときは、違います。行動力がありますし、ぶれません。あれだけ熊本のために動けて、全国に発信できる人は、巻さんしかいなかったと思います。(地震から1年がたった)今も、巻さんは、見えないところで活動を続けています。巻さんしかできないことがあります」と語り、「戦友」と表現する。

インターネット通信販売「Amazon」を通して、支援物資を集める体制も作り上げた。支援者が「Amazon」で注文した物資が、福岡市を経由して、この吉角の倉庫に届けられた。九州自動車道の熊本インターチェンジが地震からおよそ2週間後の4月29日に使用できるようになり、熊本インターからわずか1kmの近さにある吉角の倉庫には、物資が次々に届いた。ロアッソのホームスタジアムやクラブハウス、練習グラウンドがある熊本県民総合運動公園からも、およそ2kmのところにある。吉角氏が教えてくれた。「巻さんも1か月ぐらい車中泊していました。夜中の1時2時に物資がトラックで運ばれてくると、巻さんが、クラブハウスに避難していたロアッソの選手達に連絡して、選手達が荷下ろしや仕分け作業をしてくれました」。

もちろん、熊本地震発生から1年が過ぎた4月14日には、巻と一緒に黙祷を捧げた。「活動していたときは、熱くなっていたし、神経質になっていましたが、『自分らで動いてよかったね』、『やれることはやったよね』と話しました。やれることをやっていなかったら、後悔していたと思います。活動したことによって、免罪符じゃないですけど、救われたところはあります」と思いを吐露しながらも、「全国から受けた支援に対する感謝を伝え切れていません。これからは、恩返しをしかなければなりません」と前を向く。

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1年前にさかのぼる。2016年5月1日、株式会社吉角の倉庫は、天井に届きそうなほどの高さに積まれた段ボール箱などでいっぱいになっていた。中身は、粉ミルク、紙おむつ、肌着、薬、飲料水、他にも布団や睡眠用のマットが積まれていた。県外から届いた物資の箱には、熊本への激励メッセージが書かれていたり、巻やロアッソへの応援メッセージが同封されていたりした。

「一日も早い復興を願っています。微力ながら大阪より応援しています!熊本の皆様に一日も笑顔が戻りますように!」
「巻ガンバレ!!熊本ガンバレ!!千葉より」
「熊本の皆さん大変だと思うけど頑張って 鹿島アントラーズ ノルテ(ジュニアユース)」
「巻選手を通じて九州の皆様へ。がんばれ!」
「熊本の皆さんに1日も早く平和な日常が戻るよう、そしてロアッソの皆さんが1日も早くサッカーが出来るようになるよう、願っています。」
「被災された方々との再会の日を待ってます!」
「熊本に笑顔と元気が戻りますように」
「被災されたみなさんが1日も早く日常を取り戻されます様、応援しています。」

午前中の自主トレーニングを終えた巻が、午後2時前、自家用車に乗って現れた。どんな物資が届いているかを確認すると、慣れた様子で、仕分け作業などをしていたスタッフと、打ち合わせを始めた。
「避難所を回って、いろんな声をきいて、情報収集して、後日(物資を)持って行った方がいいかな」「布団が雨に濡れて駄目になったという人も多い」「アレルギー対応のベビーフードを届けられるかな」「夕食前後の時間がたくさんの方がいらっしゃるので、たくさんの方にヒアリングできる」といった具合である。

巻が、作業が一区切りしたところで、インタビューに答えてくれた。
「電話がなったらすみません」
物資や避難所などの情報がひっきりなしに携帯電話に寄せられるため、巻は、最初にそう断りを入れた。
まず、熊本地震発生からおよそ2週間がたち、巻が感じる変化について、たずねた。
「良い部分で言うと、たくさんのお店が開いたり、交通やライフラインが復旧してきたりして、普通の生活に熊本市中心部は戻りつつある。正常な生活を送れる人が増えてきた。逆に、まだまだ被害の大きかった地域や山間部の孤立している集落がたくさんあって、そういう人たちが、まだ苦しんでいるということが、熊本の人たちのなかでも薄れてきているんじゃいかと、すごく危惧している。正常に戻っているところは、それでいいんですけど、生活が厳しい環境にいらっしゃる方がたくさんいるということを、僕らも発信していきたい。自立できる人は自立して、どんどん普通の生活に戻っていただきながらも、苦しんでいる人たちのことを気にかけながら、ひとりひとりが行動できたら一番いいなと思う。いい部分と家がなくなって厳しいという差が開いてきている」と話した。

ロアッソは、5月15日の第13節、アウェイでのジェフユナイテッド千葉戦からリーグ戦に復帰することが決まっていた。そのための準備となる全体練習を、5月2日から再開することになっていた。私達が取材に訪れたこの日は、5月1日、つまり、全体練習再開の前日でさえ、巻は支援活動に汗を流していたのだ。
巻に、「心身のコンディションは大丈夫ですか。休養や栄養は取れていますか」と問うと、「その辺はプロなので、5月15日を目標にやっていこうと決めた時点から、僕自身は、サッカーの部分はサッカーとして、気持ちを切り替えて、抜かりがないようにというのは言い方が変だけど、プロとして最高のコンディションでゲームができるようにということは、しっかりと考えているし、自分の体と相談しながらやっている。かと言って、今、やっていること(支援活動)を投げ出すわけにもいかないので、しっかりとやる」と、引き締まった表情で話した。「切り替えって言うでんすかね。サッカーの部分では、サッカーに集中して、それ以外の部分は、リラックスする時間もあるだろうし、物資を運んだり、避難所を回ったり、そういう活動に費やす時間もある」と続けると、「できる限り自分のぎりぎりのところを模索しています。自分ができるぎりぎりのところを」と言って笑った。

巻は「現地で情報を得ながら進んでいくので」と言いながら、自家用車の後部座席とトランクに物資を積み込みはじめた。聞けば、布団も積んであったという。熊本市から南におよそ30劼里箸海蹐砲△覬Ь觧埔川町の実家に帰る時間がない時は「(移動時間より)睡眠時間を確保する方を優先」ために、車中泊も辞さなかった。
「大津高校の後輩の植田選手(直通・鹿島アントラーズ)から『子どもたちに』とたくさん送ってきてくれた」と、嬉しそうに巻が、日本代表のユニホーム、血栓予防のタイツを紹介してくれた。「こういう物(日本代表のユニホーム)は、子どもたちが喜ぶ。離れていても、熊本のことを思っている人がたくさんいる。そういう人をうまく僕がつないでいければ」と、後輩からの支援に感謝した。

この日、向かったのは上益城郡御船町。熊本市の東南16.6kmに位置し、人口はおよそ1万8000人。熊本地震では、4月14日の「前震」で震度5強、16日の「本震」で震度6弱を記録した。1979年に日本で初めて、肉食恐竜の化石が発見されたことから、「恐竜の郷」として知られ、町立の恐竜博物館もある。その恐竜博物館は、物資の集積拠点となり、隣接する町のカルチャーセンター、スポーツセンター、すぐ近くにある町立御船中学校をはじめとする町内40の避難所に、町が把握できているだけで6191人が避難した。町民の3分の1に当たる人数だ。

この日、巻は、町のカルチャーセンターと、町立御船中学校体育館を訪れた。巻に同行したのが、2016年シーズンのユニホームの背中部分のスポンサーで、2017年2月1日から4年間、ロアッソのホームスタジアム・熊本県民総合運動公園陸上競技場の命名権(ネーミングライツ)を獲得した、健康食品を扱う株式会社えがおの社員だ。えがおは、熊本地震発生から1年間で、社員が巻とともに、熊本県内およそ200の避難所を、のべ400回訪れた。そして、避難所生活での野菜不足や栄養の偏りを解消してもらおうと、水や湯などに溶かして飲む「青汁」を、34万袋(スティックタイプで1袋1回分)配布した。えがおの広報課で課長をつとめる40歳の稲葉俊介氏は「巻さんに会うと、皆さん笑顔になられます。避難所生活では、野菜不足なので、少しでもお役に立ちたいと思います。巻さんは、熊本のことを心から思ってくれているんで、頭が下がります」と話した。そして、1年がたった今、稲葉氏は「地震発生直後と、ある程度、時間がたってからでは、皆さんが困っていることが変わってきました。最初は、寝るもの、食べるものが不足していました。次第に、コミュニティができてくると、本当に必要なものが見えてきた。健康面や栄養面から考えると、青汁は喜んでいただけた。心のケアが必要になれば、巻さんは、1つの避難所に1時間も2時間も滞在して、話をされていた。何が楽しみが必要だとなれば、歌手やパフォーマーなど一芸に秀でた方を招いていた」と振り返る。

カルチャーセンター内の15畳ほどの会議室に、10人以上が身を寄せていた。巻が、高齢の女性の傍で、腰を下ろし、身長184cmの大きな体を縮めるようにして、会話を始めた。
女性「95歳。大正9年生まれだもん。2回目(「本震」)は車のなかで一夜過ごして、明くる日、ここに来て。怖くて、胸がうっ詰まるごとあった(胸が詰まるようだった)。悲しかね。あがん名城(熊本城)が壊れたら悲しかよ。命があったから、ありがたかて思う。感謝の一言。皆、来てもろて嬉しかです」
巻「健康には気をつけて下さいね。ばあちゃん」
女性は、高齢のため、耳が聞こえづらくなり、避難所の館内放送もあまり聞こえないという。
それだけに、巻との会話を、ことさら喜んだ。
巻は、「無理せんごつ(無理をしないように)。無理すっときつかけん。健康に気をつけて。それが一番大事だけん。また来るけんね」と告げて、部屋を出た。
カルチャーセンターの壁には、応援メッセージが貼られていた。巻も、言葉を書いたハート形の紙を張り付けた。
「みんなで頑張るばい! 熊本負けんぞ! 巻誠一郎」

避難所を出た巻は、「逆に励まされると言うか、自分の家に住めなくなった方もたくさんいらっしゃいますけど、『俺らが前向きに頑張らんと』と言って下さる方ばっかりで。自分達も頑張らないと、とそういうことをいつも思います。皆で頑張りたいなという思いになります。1回触れ合うと、熊本の人は、皆家族みたいになるし、1回ちょっと話しただけでも、ファミリーだし、そういう気持ちが芽生えます。何とかしてあげたいな、皆で頑張りたいな、沿う気持ちにばかりなって帰っています」と、笑顔を見せた。
さらに、「そうすると、立ち止まっていられないですよね。起きている間は何かやっておかないと気が済まないんです」と続けた。
「これから倉庫に帰るか、実家の近くの施設を回ります」と言って、御船町の避難所を後にした時、時刻は午後7時を過ぎていた。

取材で同行した私に、巻が言った。「いろんなことを伝えてほしいです。皆さん、体育館のマットで寝ていらっしゃる。そういうことをたぶん皆さん知らないし、全国の皆さんもたぶん知らないですよ。食事にしても寝るところにしても。毛布が2枚あって温かい、それぐらいの感じですよ、まだ。避難所だからまだいいって言われる方もいます。避難所じゃないところはもっと大変だって。そういうのをいろんなところで伝えてほしいです。一緒に回りますか? そしたら、全部伝えられますよ」

巻の車を見送った後、ひとりの女性に呼び止められた。
「他の市町村の避難所はどんな様子ですか」
避難所では、なかなか情報を得られないのだと言う。地震発生から2週間が過ぎたこの日の避難所の夕食は、カップ麺とおにぎりが1つだった。自分が取材などで訪れた益城町などの避難所しか、比較材料がなかったが、正直に、過酷な環境であると思うと伝えた。辺りが真っ暗になるまで、1時間ほど、女性が自宅のこと、家族のこと、近所の人のこと、避難所のことを話してくれた。

暗闇のなか、体育館の外で、若い母親が小さな子どもを叱りつけていた。「どうして泣くの!」多くの避難者がいる体育館のなかで、子どもが泣くと周囲の迷惑になってしまうという母親の焦りが痛いほど感じられた。「あのお母さんも、いつもは優しい人なのにね」と私と話していた女性が、つぶやいた。

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熊本地震から1年、今でもこうした光景を思い出したり、避難所で取材を受けてくれた方の表情や言葉を思い浮かべたりすると、涙が溢れそうになるし、地震発生時の生々しい映像や写真を見ると、鼓動が早くなる。同時に、この1年間、自分が復旧、復興のために、何をしてきたのだろうと、自責の念にかられることがある。自宅は一部損壊の被害にとどまったが、数か月、片づけは手付かずの状態で、得体の知れない疲労感に襲われ、健康診断で肝臓の数値が異常を示せば、「自分も被災者なんだ」と、変に納得したり、「同じような苦しみを感じているんだ」とゆがんだ安心感を覚えたりしたこともある。

一方で、「自分の生活を元に戻すことが復旧だ」と言い聞かせて、地震の前と同じように、好きな卓球の練習をしたり、試合に出場したり、仲間とおいしい食事をしたり、酒を飲んだりしたこともある。それでも、「スポーツを通して熊本に元気を届けたい」という思いが揺らいだことは、一度もない。かつて経験したことのない迷いのなかではあったが、全力で、一歩一歩を刻んできたつもりだ。復旧、復興について、確固たる答えが出たわけではないが、諦めたり、逃げたりすれば、何も生まれないということ、必死に前に進めば、素敵な何かに出会えることはわかった。

「復興元年」と位置付けられた2017年、ロアッソのクラブスローガンは「光となれ!絆180万馬力」。クラブは「全国への皆様への感謝と、熊本復興への願いを込め、クラブ・チームが光となり、明るい未来へむかってチャレンジしようという決意を込めた」と説明する。180万は熊本県の人口だ。

1月10日の始動時に、指揮を執って2シーズン目となる清川浩行監督は「熊本のために、という強い思いで今シーズンは向かっていく。強い覚悟を持っていきます」と話し、また、チーム最年長、今年37歳となる巻誠一郎も「去年は本当に苦しいシーズンで、どちらかと言えば皆さんに元気や勇気というものをもらったシーズンだったと思います。今年は、僕達が熊本を元気にするんだ、という思いで、1年間、戦っていきたいと思います。1つ1つのプレーで熊本の皆さんを元気にする。一番元気になるのは、やっぱり勝利ですし、勝点3だと思いますので、勝点3を積み上げて行って、結果としてJ1を狙えるポジションにいられるように頑張りたいと思います」と、引き締まった表情で力強く語った。

2月26日、ホームの「えがお健康スタジアム」(2017年2月1日からネーミングライツ獲得により、「うまかな・よかなスタジアム」から愛称変更)で行われた明治安田生命J2第1節カマタマーレ讃岐戦は、新加入のFW安柄俊の2ゴールを挙げ、2対1で勝利。清川監督は「復興元年のシーズンに、開幕をホームで迎えられて、勝利をおさめられたことは、熊本の皆さんに、本当に小さな光ですけど、届けることができてよかったです。この先も、勝利を重ねることで、大きな光を照らしたいという気持ちでいっぱいです」と、勝利の喜びに加え、今シーズンの意気込みをあたらめて語った。

巻も、3月19日に、アウェイ・レベルファイブスタジアムで行われた第4節アビスパ福岡戦で、相手DFのスパイクシューズが顎に当たり、口の中を十数針縫う怪我をしながらも、後半19分、ヘディングで自身2シーズンぶりのゴールを決めるなど、まさに「不屈」のプレーぶりを見せている。

そして、4月16日、熊本地震の「本震」から1年となった日、ホーム・えがお健康スタジアムでは、「熊本地震復興支援マッチ」と銘打った第8節松本山雅FC戦が行われた。この日に、ホームスタジアムで試合を行うことを、池谷友良社長をはじめ、切望していた。

池谷社長は、試合前、「1年前は、本当にサッカーするような環境ではなかったんですけど、選手が本当に決断してくれて、この熊本にとどまって、熊本県民とともに戦っていきたいという意思表示をしてくれて、私自身、嬉しかった。クラブ側は、選手にとって良い環境でという考えがあったし、Jリーグからもいろんな提案をいただきましたが、選手達が選択したのは、一番難しい、一番過酷な状況でしたが、このクラブができた意義に合っていたと思います。『県民に元気を』『子ども達に夢を』『熊本に活力を』という理念があります。クラブができて13年目になりますが、まだまだ県民運動になるには、ほど遠いものがあります。それでも、きょうも、数多くのファン、サポーターが来てくれました。このスタジアムが本当に真っ赤に染まったときに、J1が近づく。きょうが、そんなことを感じる1日になればと思います。そして、全国のサッカーファン、支援していただいたすべての皆様に感謝と、熊本の元気をぜひ届けたいと思います」と、思いを語った。

また、スタジアムを訪れたJリーグの村井満チェアマンは、「サッカーそのものも、ままならないなか、自分の身の周りや家族や周囲の困難のなかで、5試合に渡る代替地での試合を余儀なくされているなか、本当に最後の最後まで戦い抜いたこと、熊本と近くありながら、震災と向き合っていたこと、熊本だけじゃなく、Jリーグ全体、他のクラブの多くのファンやサポーターにも熱い思いを伝えてくれたと思っています。本当に、今考えても、胸が熱くなります」と、ロアッソの奮闘をたたえた。

私が「今回の熊本地震のように、1クラブだけが被災するという状況から見えたJリーグとしての課題」をたずねると、「日本は縦に長い国で、自然災害が常に起こり得るなかで、池谷社長からも(Jリーグの)実行委員会で、自分のクラブの問題としてではなくて、被災した時に、通常の他のクラブと同じ条件で戦い続けることが果たしてどこまで可能なのか、問題提起していただきました。今回、Jリーグとしては、被災クラブが、戦えるように、毎年1億円ぐらいの被災クラブの安定開催のための財源を確保したいと、クラブから投じていただいた一石から今後にむけて、議論を重ねてきました」と、Jリーグとしても、新たな取り組みを始めていることを示した。

スタジアムの入り口で、父、母、息子3人の家族5人で応援に訪れたサポーターに話をきいた。2度の震度7の揺れに襲われた益城町に住んでいて、数え切れないほど、応援に来ているという。父に、「1年がたって、生活はいかがですか」とたずねると、「ほとんど変わっていません。まだ再建中ですね。自宅もありませんので、自宅の敷地内で避難しています。仮設には入らないで、小屋があったところに、増築して。どうしても子どもが多いから、仮設では迷惑をかけるものですから。両親もいますので、自宅の敷地内に残って避難をしているところです」と返ってきた。地域によって、人によって、復旧、復興の進み具合が違い、「復興格差」という言葉を、多く聞くようになった。3月31日時点で、2万2046世帯の4万7725人が、県の内外の仮設住宅や公営住宅などの、仮の住まいでの生活を続けている。解体工事を待つ住宅もおよそ1万4000棟に上っている。
母は「たくさん支援をいただいて、本当にありがたいです。きょうは復興支援試合なので、いろんなことに感謝をしています。ただ、復興するには、まだまだ時間がかかるかなという感じはあります」と話した。
ロアッソについてきくと、母は「ロアッソの選手も益城町のお祭りによく来てくれました。いろんなイベントに顔を出してくれた。本当に身近な存在で、町民の期待は大きい」、父は「まずは1点を取ってもらって勝ってもらうということですね。それで皆に勇気を届けてもらえれば、助かります。期待しています」と、笑顔を見せてくれた。

この日、スタジアムの景色は大きく変わった。地震で損壊したバックスタンドの復旧が済み、4月から使用できるようになったのだ。4月1日に行われた日本トップクラスの陸上選手が集う、金栗記念選抜陸上中・長距離熊本大会、4月9日のKIRIN CHALLENGE CUP2017〜熊本地震復興支援マッチ がんばるばい熊本〜 なでしこジャパン対コスタリカ女子代表でも、バックスタンドに観客の姿はあった。しかし、去年4月9日の第7節レノファ山口戦以来、1年ぶりに、赤のファンやサポーターが、そこにいる光景には、2005年のクラブ発足から12年間、そして、2008年のJ2参入から昨シーズンまで9年間、メインスタンド7階にある放送席から、試合を伝えてきた私も「ようやくここまで来たか」と、元通りになったことを強く実感させられた。

それも、訪れたファンやサポーターは、熊本地震発生後最多、クラブ史上7番目に多い1万3990人。バックスタンドが赤く染まった。

巻は、「バックスタンドが使えるようになって、あれだけ真っ赤にサポーターが染めてくれて、『ここでやらなかったら』という気持ちでした。僕らを奮い立たせてくれましたし、本当に最高の雰囲気でした。ウォーミングアップの前から感極まるものがありましたし、胸をぐっと締め付けられるような熱い思いを持っていました」と語る。

前半7分、FW安柄俊が放ったミドルシュートを相手DFがペナルティアーク付近でブロック、そのこぼれ球を新加入のFWグスタボが叩き込んで、先制。前半40分、安がけがをし、悔し涙を流しながら、巻と交代。その巻は、前線で体を張り続ける。そして、後半36分、ロアッソは右45°でFKを得る。キッカーは北海道コンサドーレ札幌から移籍した上里一将。正確なキックから放たれたボールは弧線を描きながら、ゴール前の巻の頭をかすめ、ゴールへ。2対0。記録は上里のゴールとなったが、巻は、陸上競技のトラックまで飛出し、ゴール裏のサポーターのところまで行き、両腕を力強く振り上げた。スタジアムのボルテージは最高潮に達した。

この場面について、巻は「1点をしっかり、守ることも大事でしたけど、熊本の復興と一緒で前に進まなきゃいけない。1対0で終わるのか、しっかり守りながらも、前に進んでゴールを取れるのか、すごく大きな意味を持つと思いました。チームで、2点目を取りに行って、ゴールが生まれ、試合をすごく楽にしてくれました。特別な意味を持つゴールだったと思います」と振り返った。

大事なゲームを2対0の快勝で飾った。試合後、巻は、「僕らにとっては、非常に特別な、本当に特別な試合で、本当に特別なんですよ、僕らにとっては」と、インタビューで何度も「特別な」という言葉を使い、高ぶる思いを抑え切れない様子だった。そして、「これだけ多くのサポーターの皆さんが来てくれて、僕らの背中を押してくれて、最後まで足を動かせてもらいました。この勝利は、僕らだけの勝利じゃなくて、熊本県民皆さんの勝利だと思っています。こんな特別な試合で、勝利で、皆が笑顔で帰ることができて、本当によかったと思います」と満面の笑みを浮かべ、語った。

さらに、「試合が終わって、スタジアムを回る時に、いつも見ている子どもたちの笑顔だったり、お父さん、お母さんだったり、おじいちゃん、おばあちゃんだったり、1人、2人じゃなくて、本当にたくさんスタジアム中にそういう方々が来てくれていて、それを見て、また泣きそうになりました。子どもたちなんて、また明日、学校で朝早いのに、僕らを後押ししてくれましたし、力をもらいましたね」と、避難所や学校を訪問し続けた、巻だからこそ見えた光景に、喜びいっぱいだった。

最後に「ただ」と強調したうえで、「僕らは復興と一緒で、この1試合で立ち止まったら、意味はないと思っていて、これから、こういう試合を何度でもして、何度でも皆に笑顔で帰ってもらって、『また明日も頑張ろう』って思ってもらって、そして、またスタジアムに来てもらって。いい循環を生み出せるように、僕らも戦っていきたいと思います」と力を込めた。

◇著者プロフィール:
山雄樹(やまさき ゆうき)
熊本放送(JNN・JRN)アナウンサー。1975年(昭和50年)6月16日、三重県鈴鹿市生まれ。立命館大学産業社会学部を卒業後、1998年熊本放送入社。主にスポーツの中継アナウンスや取材、番組制作を担当。系列のアナウンサーの技量を競う「アノンシスト賞」では、「テレビスポーツ実況」部門で二度、「ラジオスポーツ実況」部門で一度、九州・沖縄ブロック審査で最優秀賞、2015年度は、全国審査で優秀賞を受賞した。
 チーム発足時からJ2ロアッソ熊本の取材や応援番組の司会を続け、2008年のJ2参入以降は、スカパー!Jリーグ中継でホームゲームの実況をつとめた。