大学生YouTuber・水溜りボンド 継続とあるがままの姿でつかんだフォロワー170万人!

2015年1月1日にYouTuberとしての活動を始め、わずか2年余りでチャンネル登録者数はおよそ170万人! ドッキリに実験シリーズ、さらには無人島での0円生活など、挑戦的な企画とゆる〜いトークで人気を集めるカンタとトミーによる現役大学生コンビ・水溜りボンド。大学のお笑いサークルで出会った彼らはなぜYouTubeを戦場に選び、どのようにしてここまでの人気を獲得したのか? その原点とこれからについて話を聞いた。

撮影/平岩 享 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.
企画/ライブドアニュース編集部

カンタとトミーを結びつけたのは…ダウンタウン!

まずはおふたりの出会い以前、子ども時代までさかのぼってじっくりと話を伺っていきます。カンタさんは、生まれはマレーシアなんですよね?
カンタ そうです。親の仕事の関係で。ただ、生まれて1歳になる前に日本に戻ってきたので覚えてないですね。あとになって「マレーシア生まれ」って聞いて、どこにあるのかもわからず驚きましたけど。
子どもの頃はどんなお子さんでしたか?
カンタ 習い事の剣道に打ち込んで、全国大会に出たり、あとはとにかく外で遊ぶのが大好きな子どもでした。でも小4でまた親の転勤で、今度はアメリカのシカゴに行くことになって、急に知り合いもいないところでの生活が始まって…。
▲カンタ
すごい変化ですね。
カンタ 怖かったですよ。日本人学校に通ったので、学校には日本語を話すアメリカ人がいっぱいいるけど、隣人には日本語が通じない…。誰と話せるのかわからず、パニックでした。テスト勉強しても、問題文が英語だし、まず名前をどこに書くかもわかんない状況(苦笑)。
英語は現地で徐々に?
カンタ まあ、当時は少しずつ理解し、相手が何を言っているかは、わかるようになりましたね。でもいまは、もうかなり忘れてます(苦笑)。
日本に再び帰国したのは…?
カンタ 高校受験のことを考えて、中学に入る時点で僕と母親だけ戻りました。
子どもの頃からパソコンやインターネットには詳しかったんですか?
カンタ いや、姉がいるんですけど、基本的に家でパソコンを触れるのは姉だけって感じで、僕は全然でした(苦笑)。アメリカではすでにYouTubeがブームになっていました。
小学生ですと10年ほど前の話ですね?
カンタ YouTubeで日本のコンテンツとか、いろいろ見てるヤツもいたんですけど、当時のウチの家庭では、「そんなの怪しすぎる。無料で見られるなんて、あるはずがない」って(笑)。まったくインターネットを信用してなかったですね。
一方、トミーさんの子ども時代は?
トミー 僕はいつも外に出て遊ぶヤンチャなタイプでしたね。棒を持って、先頭走っているヤツです(笑)。あとは野球少年で、学校帰りにいつも公園で野球をしていました。ほかには釣りかな? おじいちゃんの家に週末に遊びに行って、山の中で釣りをしていましたね。
▲トミー
かなりアクティブな子ども時代だったんですね。おふたりが大学時代、お笑いサークルに入ろうと思ったのはなぜなんですか?
トミー 僕、ダウンタウンが好きで、その影響でお笑いにハマっていったのは大きかった気がしますね。
カンタ 僕は、中学、高校から同級生の友達に「お笑いサークル入ろう!」って誘われたんです。なかば無理やり(笑)。その頃、好きなことはいろいろあったけど、どれも職業になる感じでもなく、将来のことも何も考えてなくて…。
深く考えずに「やってみよう」と?
カンタ 当時は自分の中で「とりあえず、いろんなものに触れてみよう」ってコンセプトで動いてて、サークルも自分で作ったビーチスポーツサークルも含めて、5つくらい入ってました。そのうちのひとつですね。
お笑いも好きだったんですか? サークルに入るからには、ネタを書いたりライブをする覚悟も…?
カンタ お笑いは好きでしたね。それこそ、YouTubeとかでいろいろ見たりして、憧れもありました。僕もトミーと一緒でダウンタウンが大好きで、中学の頃にそのスゴさに気づいたのかな?
おふたりが中学の頃には、ダウンタウンはもう大御所でしたよね?
カンタ 大御所でしたね。『ガキ使(※ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!)』(日本テレビ系)ではMCをやりつつ、自らも身体をはっていて、スゴい! と思い、テレビの前でワクワクしていました。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)も、放送は1997年までですから…。
トミー 世代ではないので、全力でムチャクチャやってる姿は、残念ながらリアルタイムではまったく見てないんです。あとになってネットやDVDで見て、「これはスゴい! 面白い!」って。

キャパ100人のライブ会場で前の3列しか埋まらず…

おふたりとも、大学入学を機にお笑いサークルの門をたたいたわけですね。サークルでは、部員同士でコンビを組んでライブをやったり?
トミー そうです。学園祭でライブをすることもあれば、ハコ(※ライブ会場)を借りることもあるし、アマチュアやプロの大会に出ることもあります。僕らの代は、全部で4人しかいなかったんで、集客もすごく大変でしたよ。新宿で100人のキャパの会場で、前3列しか埋まんないとか当たり前でしたもん。
それがいまでは…。
トミー いまでもネットだけでなく、生でトークライブをすることがあるんです。昔、ライブをやってたのと同じくらいの規模の会場で4公演とかやって、客席が埋まってるのを見ると、当時を思い出して感動しますよ。想像もしてなかったです。
当時、「いつかプロになりたい!」という思いはなかったんですか?
トミー 妄想に近い感じでしたね。野球の試合で代打満塁ホームランを打つくらいの(笑)。当時はYouTubeのことも全然、考えてなかったし。「売れたい」って夢は見てたけど、なれるとは信じてなかったです。
ひとつ違えば普通に就活して、就職して…となっていたかも?
トミー いや、どうですかね? 就活はしてなかったんじゃ…。
カンタ じゃあ、なにしてんだよ!(笑)
トミー いや、スーツ着るのはちょっと…。第一ボタンがきつくて(苦笑)。人生において、第一ボタンが閉まったことないから。
カンタ 体格の問題かよ。

水溜りボンドとしてコンビ結成! その経緯は…

サークルで出会ったときの、お互いの第一印象は?
カンタ とくに…。もともと、僕は違うヤツに連れられて行ったから、最初は「組む」という感覚でもないし。
トミー 僕らの代は4人だけなので、そうなると選択肢が限られちゃう。それで、ふたりとも笑いの趣味が合うし、読む本も同じようなものが多くて、「これ見た?」「これ面白いよ」って感じでね。
それが実際に、水溜りボンドとしてコンビを結成することになった経緯は?
カンタ それもあいまいなんだよね?(笑)
トミー 僕が、バイト先の先輩が組んでるバンドのライブMCを頼まれたんですけど、当時の相方が帰省してたんですよ。それで、せっかくだからカンタとやってみようって。演奏の合間のつなぎに、漫才やったのが初めてだよね?
カンタ 文化祭とか、人数が足りないときにね。
トミー しっかりとコンビとしてやり始めたのは、2年生のアタマくらいからかな? 正式に一緒にやってみようかって。そこからYouTubeをやり始めるまでの1年弱くらいは、あちこちでライブをやったり、大会に出たりしてましたね。
サークル内でのコンビの解散とか相方の交替というのは、ルールや届け出があるものではなく?
トミー いや、ないです。自由な感じで。僕の相方は、学内でやるのはいいけど、外部の大会とかに出たいってタイプじゃなかったので、学内でそいつと組みつつ、水溜りボンドとして外の大会やライブに出るようになって。
カンタさんは中高からの同級生とコンビを組んでたんですよね?
カンタ そうなんですよ。しかも僕の相方は、朝9時から夜7時まで漫才を練習するという、かなりガチタイプで。
トミー 「サラリーマンになりたくない」と言いつつ、サラリーマンよりも働いてるっていうね。
カンタ いまもときどき、僕らの動画にも登場する田淵くんなんですけど、そいつがかなりめちゃくちゃなんですよ。
トミー 僕らは“ドリブル”って呼んでるんですけど。やることなすこと、僕らの忠告をすべてジグザグにかわしていくんです。
カンタ 朝9時集合に僕が1分遅れたら、怒って「朝マック」おごらせるんですよ。でも、そのあと、1分を取り戻そうとしないで、延々とムダ話をしたり。めちゃくちゃ練習した挙句、「お客さんも集まってきましたね」ってアドリブを入れたかと思ったら、そのせいでネタ飛ばしたり。
トミー あんなに練習したのに! 練習しすぎて一周まわって、間がおかしくなってるし。
カンタ ライブ本番で、公園での練習のときにはなかったマイクに違和感がありすぎて、動けなくなったり(笑)。あと、「人生で一番好きと思える人ができた」って相談しに来て。
トミー あったね(笑)。
カンタ その子と出かけるために、その子の親友と連絡を取って、相談してるうちに、その親友の子を好きになって…。
トミー 「人生で一番好きになった人」の相談をその子にしてたのに、「あなたが好きです」ってね。
カンタ そりゃ無理でしょ!(笑)
トミー 僕らの中ではひとつのジャンルですね、もはや。コント、漫才、ピン、田淵(笑)。なんか、田淵くんのインタビューみたいになってきましたね…。
カンタ 結局、そいつはバイトのほうが楽しくなって、コンビは自然に消滅することに…。
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