約8%もの殿様が!?江戸時代に男性同士の恋愛が多かったのはなぜなの?

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江戸時代に男性同士の同性愛者が多かったのは、なんだか意外に感じた人も多いのでは?当時、同性愛の傾向があった殿様は、全国の大名のうち約8%もいたそう。これって、結構な比率だと思いませんか?なぜ江戸時代に同性愛者が多かったのか時代背景を探ってみました。

絆が固い男性同士の恋愛

多くの武士にとって、恋愛結婚は夢のまた夢で、本人の意思とは関係なく結婚を決められるのが一般的でした。恋愛や結婚に対してロマンもなく、あるのは武士としての義務だけ。そんなわけで、純粋な恋愛をするならば、同性愛になるのです。

『艶色水香亭』より「遠州若狭衆道憐愛の図」(作者不明)

武士同士の男色は、「衆道」と呼ばれていました。男女間の恋愛よりも固い絆で結ばれ、男女の夫婦のきずなは2世と言われる一方で、男同士の恋愛では7世と言われていたほど。つまり、7回生まれ変わっても結ばれるということです。それほどまでに絆が固かった分、もし愛を疑われたときは、身体を張って愛が本物であることを相手に証明しなければいけません。

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純粋な愛を示す方法とは

男性同士の恋愛では、会いしていること証明するため小刀を手足に突きさすこともありました。この愛の証の立て方を吉原の遊女が真似するようになったほど評判になったのです。吉原では、髪の毛をひと房切り落とすなども流行したとか。ただ吉原ではどんなに体を張って愛を証明しても、本物の愛ではなく、客と遊女としての関係はなくなりません。もちろん、客の事を本気で好きになってしまう遊女も、中にはいたようですが。

『男色秘戯画帖』より(菱川派 画)

その点、男性同士の恋愛・衆道は、純粋に相手を愛しているか、が大事なわけです。もし、この人だ!と思う男性に出会ってしまった男性は、衆道の道をまっすぐ突き進んでいくのでしょう。

当時はもちろん男同士で結婚はできなかったので、その恋愛に希望満ち溢れる未来はないのかもしれません。それでも、純粋に好きという気持ちにしたがって、衆道に進む男性は少なくなかったはず。

自由がないに等しい武家社会だからこそ、衆道の男性が多くなるのは、ある意味自然なこと。究極の恋愛、それがきっと衆道だったのですね。