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■「年金、民主主義、経済学」(権丈善一著、慶應義塾大学出版会)

『年金、民主主義、経済学』(2015年)を著した、慶応義塾大学教授の権丈氏は、二度の政権交代を挟み、年金が公共政策を巡る論議の中心的な論題であった時期に一貫した論陣をはり、評判を高めてきた。我が国の社会保障制度改革の本丸は医療介護であるにも関わらず、期せずして年金論議に関与し発言してきた内容を、権丈氏は苦笑いと皮肉を交えながら本書にまとめている。

年金については、2004年改正によるマクロ経済スライドの導入を機に、保険料などの財源がおおむね固定されており、その枠内で世代間の公平などを考慮しながら、一定のルールに基づいて配分(支給)をおこなうことになっている。また、賦課方式で運営されている年金制度は、老親の私的扶養を公に代替するものであり、世代間の不公平をあおるのは誤りであるという。そうした制度の基本的な理解に基づかない議論は迷走するばかりであり、この迷走状態から脱するに際し、本書に収められた論文や発言は、いわば羅針盤の役割を果たしてきた。

もちろん完璧な制度などは存在しない。その後のデフレにおいてこの制度が十分に機能を発揮してこなかったことをはじめ幾つかの手直しは必要である。2016年秋に国会審議された年金改革法は、まさにこの手直しのために立案されたものといえよう。本書には、この法律の準備過程にあたる2014年財政検証の解説が収められている。残された課題である短時間労働者への厚生年金の適用拡大については、少なくとも事業主負担分は取るべしという具体的な方向性を示唆している。適用拡大については、例えば自民党の「2020年以降の経済財政構想小委員会」のとりまとめ(2016年)においても「勤労者皆社会保険制度の創設」が提案されており、(直接の人的関係の有無は知る由もないが)著者の問題意識がなんらかの形で反映されているとしても驚かない。

誤読?に注意 まずは「output is central」について

他方、読者がこの羅針盤を読み取る際、二点ほど誤読(?)しやすい箇所があると感じたことを指摘しておきたい。

まず、年金の財政方式については、賦課方式と積立方式があることになっている。現行方式でもある賦課方式は徴収した保険料を時々の年金の支給に充てる方式、積立方式は貯金のように保険料を積み立て、老後の支給に際して取り崩す方式である。年金論議においては積立方式への移行を説く論者が時折みられるが、権丈氏はこの積立方式が立ちいかないことを説得的に論じている。LSEのニコラス・バー教授の「output is central」(生産物が中心的な課題である)という命題を援用し、実際に将来において消費可能であるのは、その将来において生産される財に限られるから、事前に金銭を積み立てることで、自ずと将来における消費が保証されるわけではないと論じていることは重要な指摘である。

評者は現実の政策論として積立方式に組みしているわけではないので、ここで議論を切ってもよいのであるが、一国閉鎖経済において妥当する「output is central」との命題が、開放経済においてどの程度維持できるのか、一段と踏み込んだ議論があってもよいと思うのである。この点について筆者が意識していないわけではないが、関連する論述はごく短いものである。脚注で著者が紹介するバー論文(注)の記述もあっさりとしており、せんじ詰めれば、海外の人口構造や為替も考慮に入れねばならず単純な話ではないという程度である。評者も、小国開放経済では突き崩されかねない「output is central」の命題が、現実の日本では相当程度保たれることを予想するものの、この疑問はもっと深めてよいものと考える。

積立方式を推奨するわけではない評者がことさらにこの指摘をおこなうのは、著者の議論が、積立すなわち貯蓄(=投資)をすることで超高齢社会に備えることの意義を見失わせるという意味での誤読を誘発することを懸念するからである。生産年齢人口が激減し、高齢者とのバランスが失われるからには、(話を分かりやすくするために生産性の向上をなきものとするなら)将来の日本経済が生み出しうるoutputが縮小し、ひとり頭の消費が貧しいものになっていくのが道理である。であれば、いまなすべきことは、個人では貯蓄をすすめ、国においては財政赤字の問題を解決し、マクロにおいてはより多くの貯蓄(国内の投資機会が限られる程度に応じて経常収支黒字)生み出すことにあるはずである。もちろん景気や経済的に弱い人々への配慮はあるだろう。小国開放経済ではない我が国において、青天井で黒字をため込むことは困難であろうから、同時に趨勢的な貧窮化に適応するための政策も必要であろう。ただ、年金の財政方式の優劣に関する議論から、経済政策全体の方向感を読み取る読者がいるとすれば、その読みは誤読だと考える。所詮同じ時代を生きる者の間の購買力の移転に過ぎない賦課方式の年金の議論を経済全体に敷衍できるわけではない。本書の他の箇所の記述からすると、著者はこのことに十分自覚的であると思うけれども。

第二に年金の「体力」論にまつわる誤読(?)について

誤読(?)の第二は、年金の支給開始年齢の引き上げについてである。著者は2004年改革後においては、年金財政上の理由から支給開始年齢の引き上げを行う必要はなく、ありうるのは、労働市場において高齢者がより長く働くのが一般化することを受けて、いわば受動的に年金の標準的な支給開始年齢の引き上げをするという途だとしている。

この点については、権丈氏に導かれて制度への理解が深まると同時に、これだけ寿命が延びて元気な高齢者が増えているなかで、いつまでも標準的な支給開始年齢が65歳でよいのだろうかという疑問が消えなかった。そして、すくなくとも歴史的にみれば、働く年齢が伸びてくるにあたり、年金の支給開始年齢の引き上げが主要なプッシュになったことも事実ではないかと思うのである。

年金のプッシュを得て働く年齢を引き上げていく途について、著者は明瞭に否定している。「この10年間、散々な目に遭ってきた年金は、雇用延長という自分以外の問題を解決してあげるほどの体力は持ち合わせておりません」。このくだりには、年金が政争の具とされてきたのを目の当たりにしてきた著者ならでは重みがある。労働市場がついてこられない見直しが適切だとも思わない。ただ、このくだりは絶対の真理として提示されているわけではなく、著者の政治上の読みにかかるものであるから、先述した生産年齢人口の激減というより高次な政策課題を考えるとき、もういちど年金にとどまらないより高い視点から検証すべき事柄である。支給開始年齢引き上げ論への本書の指摘が説得力を伴うぶん、このくだりの政治性を看過して、この論点をさっぱり忘れてしまう読者がいるとすれば、これもひとつの誤読だと思うのである。

本書は年金論議の羅針盤としてひとつの体系をなしており、最良のもののひとつである。他方、本書から我が国の経済政策全体の方向感を読み取ろうという誘惑に読者が駆られるならば、一段と広い見地からの考慮によってサポートされる必要があるだろう。

権丈氏の別の著作について、評者とは別の評者がレビュー(『「社会保障なんか信用ならん」という人に読んでほしい本』(2016年7月))をお書きになっている。そのレビューでは権丈氏の主張が要領よくまとめられており、読者はそのレビューを一瞥した上で、『年金、民主主義、経済学』を読むかどうか決めてもよいだろう。

(注)Nicholas Barr. 2012. The role of public and private sectors in ensuring adequate pension - theoretical considerations. 読者の便ため該当部分を原文のまま引用する。"The centrality of output remains true in an open economy. In principle, pensioners are not constrained to consumption of domestically-produced goods, but can consume goods produced elsewhere so long as they can organise a claim on those goods. If British workers use some of their savings to buy Australian firms, they can in retirement exchange their share of the firm's output for Australian goods, which they then import to the UK. This approach is useful but not foolproof. It does not work if Australian workers all retire; thus the age structure of the population in the destination of foreign investment matters. In addition, if large numbers of British pensioners exchange Australian dollars for other currencies, the Australian exchange rate might fall, reducing the real value of the pension. Thus the ideal country in which to invest has a young population and products one wants to buy and political and financial stability and is large enough to absorb the savings of other countries with ageing populations. Countries with ageing populations include almost all of the OECD, and many others, including China."

経済官庁(課長級) Repugnant Conclusion