昨年70歳を迎え、一時は引退を考えるも「体の元気なうちは」と撤回するミスター船橋

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「女房を質に入れてでも買ってください!」その小気味のいい口上はもはや漫談の域で、これを聞くために競馬場を訪れるファンも多い。

「ミスター船橋」こと川村栄一、70歳。競馬場公認の予想屋=場立(ばた)ちを極めた男の鉄火場の作法に、前編「博才なくても予想屋になれるよ」に続き、迫る!

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当時は船橋競馬場も船橋オートも、入場者数が1万人を超える日も珍しくなかった。人垣は、今の何倍もあった。人が集まれば集まるほど、ミスターの口上は冴(さ)える。

「いっぱい集まったときは、“落とし”を入れる。考えてたら出ないよ。咄嗟(とっさ)に出るの」

「落とし」とは、いわば決めゼリフのようなものだ。

「山も、田んぼも、売って勝負!」

「会社の金も使っちゃえ!」

「女房を質に入れてでも買ってください!」

落としが決まると笑いが起き、よく売れた。予想を買うというより、ミスターの予想屋という「芸」に魅せられ、つい金を払ってしまうのだ。

「われわれの商売は、このレースはわかりませんって言えないのよ。多い日は、半分くらい(予想が)難しいなってときがあるんだけど、さもわかっているように売る。それが楽しいんだよ」

もちろん、冗談ばかり言っているわけではない。開催中は連日、深夜までかかってデータを分析し、レース展開を詳細に予想する。ミスターの口上で独特なのは、馬主情報を挟むところだ。パドックでも馬主を見つけると、はじかれたパチンコ玉のように駆け寄って情報を仕入れてくる。

「馬主には、盆暮れに野沢菜送ってるんだ。だから、こっそり教えてくれるんだよ。だまされることもあるけどね。もう利用できるもんはなんでも利用してお客を引きつけなきゃ、やっていけないからね」

古き良き時代に、思いを馳(は)せる。

「1万人入ってた頃は、ご祝儀も入れたら、一日、10万円以上になったんじゃないかな。100円玉数えるの、疲れちゃったもん。重いから、銀行が家まで取りに来てくれた」

予想料と並んで貴重な収入源になるのは、予想を的中させた客からのご祝儀だ。予想台の壁に千円札が画鋲(がびょう)などで止めてあるのをよく見かけるが、あれもご祝儀だ。

「当たったときはもちろんだけど、くれるっていうんなら、俺は自分の予想が当たらなくても祝儀はもらうよ。喜びは分かち合おう、とか言ってね」

ある日、最終レースの予想を終え、帰宅の途に就こうとしたが、競馬場の出口のモニターで自分の予想が的中したことを知ると、大急ぎで払い戻し窓口に引き返した。

「あいつら、どこだ?」

ご祝儀をもらうために客を探し始めたのだ。

「俺はねちっこいからね、100円玉でももらって帰る」

しかし敵もさるもの。ミスターに問い詰められても、「買いそびれた」としらばっくれる客もいる。

「正直に言ったら、ご祝儀、取られちゃうからさ」

これまで最も高額の祝儀を得たのは、なじみの客が800万円もの大金を当てたときだという。

「いくら欲しい?って聞かれた。そういうときは、言っちゃダメなの。ずうずうしいやつだって思われちゃうから。その代わり、離さない。狙われっから気をつけなきゃいけないよって、換金所までついていってやってね」

ただ何度、問いただしても、そのときのご祝儀の額は教えてくれなかった。

■「予想を当てるよりも大事なことがある」

2場合わせて、ミスターはひと月、だいたい15日間から20日間予想台に立つ。独立してから10年ほどは「おもしろいようにお金がたまった」と言う。そうして家を建て、3人の子供を育てた。家の食器棚には、ピーク時に買い集めたという趣味の有田焼の陶器が所狭しと並んでいた。

ミスターが、その一部を得意満面でひけらかす。

「これが俺の夢のひとつだったんだよ。この丼で、うどんを食う。贅沢でしょ。全部で5客ある。これが2万5千円、これが1万5千円、これが1万円くらいかな…。サンマはこの焼き皿。1万5千円。あっちのコーヒー茶碗、赤いのがあるでしょ、あれ、聞いたらびっくりするよ。8万5千円」

昨年10月に70歳になった。一時はキリのいい年齢での引退も考えたが、妻に説得され、体が元気なうちは続けることにした。全盛期と比べると、客も収入も、10分の1近くまで減ってしまった。今は夫婦ふたりで、わずかな売り上げと年金で生活している。

取材のために数日間、船橋の2場に通い、ほぼミスターの予想どおりに買ってみた。しかし、10回馬券を買って、2回か3回当たればいいほうだった。そして、当たると、トータルでは儲かっていないのに、ミスターの「ありがとうございまーす!」が聞きたくて、思わずご祝儀を振る舞ってしまった。これぞ「ミスターワールド」。

実はミスターの予想を買う客のほとんどが、その予想どおりに馬券を買っていない。ミスターも、こう開き直る。

「当たらないものを売るほうが難しいと思わない? 俺の名刺、交通安全のお守りになるんだ。当たらない、ってね」

そんなミスターだが、どこにいても常に人に囲まれている。なんと高校時代から通い続けているという50台前半の独身男もいれば、「名人」と呼ばれる年金暮らしの老人もいる。学生らしき若者もいれば、ジョッキーの妻もいる。弁護士や医者もいる。

そのすべての相手をする。

「みんな、人間付き合いをしに来てるんだろうね。誰かとしゃべりに来て、たまに、バカを言ってさ」

あるときは母親の再婚に悩む若者の相談に乗り、あるときは鼻毛ばさみを買ってきて、いつも鼻毛が出ている客の鼻毛をカットしてあげることも。競馬場の外でも、飲酒運転で捕まったなじみの客を警察まで引き取りに行くなど、世話を焼く。

客のなかには酔っぱらって「ジジィ! もう辞めろ」と悪態をつく者もいる。すると「高齢者と、呼んでくださーい」とさらりとかわす。

―頭にくること、ないんですか?

「癇(しゃく)に障ったときは、そっぽ向いてるよ。それが一番いいと思わない?」

過不足のない慈愛。

「予想を当てることより、みんなとうまくやっていくことのほうが大事。客同士、仲が悪い場合が大変なんだよ。どっちに偏ってもいけないからさ。みんなわがままだから。自分を一番大事にしてくれないといやなんですよ」

たぶん、ミスターの仕事はレースを的中させるよりもはるかに難しい。

(取材・文・撮影/中村 計)

●川村栄一(かわむら・えいいち) 1946(昭和21)年10月14日生まれ、千葉県市川市出身。高校卒業後、楽器店のセールスマンを経て、予想屋の世界へ。主に船橋オート、船橋競馬場で約50年予想を売り続ける。住まいは千葉県の大穴(おおあな)だが、予想スタイルはカタイ