愛馬の怪我の体験から、競馬も野球もひとりではできないことを痛感したという三浦大輔氏

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25日は有馬記念! 『週刊プレイボーイ』1&2合併号では、25ページもの特集を組んで、有馬記念を総力取材している。

有馬記念といえば、競馬ファンならばきっと熱く語りたくなるレースがあるはず。そこで、「馬主」である三浦大輔さんに有馬愛を語ってもらった。

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日本中を熱狂させたオグリキャップ、奇跡のラストラン。今年、現役引退した“ハマの番長”三浦大輔も、その光景に魅せられたひとりだ。

「当時はまだ学生で、競馬のことは何も知らなかったんですけど、その僕でも興奮するほどの社会現象になっていましたからね。みんな、オグリの走る姿に自分を重ね合わせたんでしょうね」

三浦さんが見たのは、競馬の生中継ではなく夜のスポーツニュースだった。2分34秒の熱闘をコンパクトにまとめたダイジェスト版。それでも感動のドラマは彼の心を熱くさせた。

「オグリが先頭でゴールに飛び込んだ瞬間、テレビでも、競馬場のスタンドが揺れるのがわかるくらいでしたから。あのレースはもう、完全にドラマや映画を超えていましたよね」

三浦さんはその翌年、1991年にドラフト6位で、横浜大洋ホエールズ(現DeNA)に入団。そして一軍で活躍し始めるのと時を同じくして、競馬の魅力にはまっていった。

「入団4年目に結婚したんだけど、それがちょうど有馬の週だったんですよ。で、新婚旅行に行くとき、知人にお金を預けて、旅先から電話をして枠番を確認してから、これとこれを買ってくれって頼んだのを覚えています。6番人気のマヤノトップガン(1着)からで5点流しで。でも…2着が抜けていた(苦笑)」

三浦さんにとって有馬記念は、風物詩のような存在となっていった。それからも、グラスワンダーの連覇(98、99年)に仰天したり、無敵だと思っていたディープインパクトが、ハーツクライに敗れたレース(2005年)にアゼンとしたりしながらも馬券を買い続けた。

「毎年、今年もこれで終わりかぁと思いながら、最後くらいは当てたいと気合いを入れて、予想していましたね。もっとも、年明けたらすぐに金杯(G掘砲始まるんですけどね(苦笑)」

そんないち競馬ファンだった三浦さんが馬主となったきっかけは、矢作芳人(やはぎ・よしと)調教師のひと言だった。

「初めてお会いしたときに『馬主になれば』と言われたんです。考えたこともなかったから、一瞬、えっ!?と思ったんですけどね。聞いてみたら野球に支障はなさそうだし、何より現役で馬を持った選手はいないってことで。よぉし、だったら俺がと(笑)」

初めて持った馬は、リーゼントブルース。竹内力が三浦のために作ってくれたテーマ曲をそのまま愛馬の名前にした。

「気持ちは、子供の運動会を見に行くときと一緒でしたね。頑張れ、負けるな!って心で叫んで。でも今考えると、馬主になるということがどういうことなのか、まるでわかっていなかったんですよね」

悲劇が起こったのは、2頭目の馬、リーゼントロックの7戦目。ここで勝てば、クラシックへの道が大きく開ける京都新聞杯(G供砲世辰拭しかし、2コーナーで左第1趾骨複骨折。そのまま予後不良となってもおかしくないほどの重症だった。

「僕が練習を終え、家に帰ってきてテレビをつけたらちょうどレースの途中で。でも、どこにもロックがいない。あれっと思っていたら、矢作先生から電話がかかってきて、厳しい状態だということを説明されて。最後に、どうしますかって聞かれたんだよね」

三浦さんは、あのときのことを思い出すと、今でも胸が締めつけられると顔をしかめた。

「馬主としての覚悟を問われたんだよね。助かるかもしれないし、馬を苦しめるだけの結果になるかもしれない。それを決めるのは、調教師でも獣医師でもない。馬主であるアナタですって」

下した決断は手術だった。

「助けられる命ならなんとかして助けてあげたい。思ったのはそれだけでした。なんとかして馬運車に乗せて、京都から栗東(滋賀)まで運んで。そこでまた大変な思いをして馬運車から降ろして、獣医師の先生が緊急手術をしてくれたんです。とりあえず手術は成功しましたという連絡をもらったのは12時過ぎでした」

このとき三浦さんが痛感したのは、競馬も野球もひとりではできないということだったという。

「ロックは、しんどい思いをして回復したからなのか、栗東でも人気があるんです。獣医さんや、調教師さん、裏方の方々にかわいがってもらっているんです。でも、これってプロ野球選手と変わらないなと。僕もドラフト6位で入団して、2016年まで続けさせてもらって。いろんな人に感謝してますしね」

こう語る馬主・三浦大輔にとって、有馬記念とは?

「夢の、夢の、そのまた先の夢の舞台ですね(笑)。もちろん自分の馬が出られたらいいなという気持ちはありますけど、そのために無理はしたくない。僕が思っているのは、短くて派手な馬主人生ではなく、細くても長い馬主になることなので(笑)。今では家族で共通の趣味にもなっていますし、長く競馬と付き合っていきたいです」

現在、三浦さんが所有する馬は、奇跡の復活を遂げた、オープン入り目前のリーゼントロックとデビュー目前の2歳馬、リーゼントシャルフの2頭だ。

「名前は家族会議をして決めました。娘がシャルフがいいと言いだして。シャルフってどういう意味だって聞いたら、『鋭い』だというから、あぁ、鋭いリーゼントもいいなぁと(笑)。焦らず、慌てず、ボチボチ頑張ります」

●三浦大輔(みうら・だいすけ) 1973年12月25日生まれ、奈良県出身。1992年に横浜大洋ホエールズに入団。最高勝率、最優秀防御率、最多奪三振のタイトルに加え、ゴールデンスピリット賞など数々の表彰を受けた「ハマの番長」。2016年をもって現役を引退。現役選手としては初の馬主になるほど、競馬を愛す

★『週刊プレイボーイ』1&2合併号、「有馬記念直前特集 思い出の有馬記念」より

(取材・文/工藤 晋 撮影/石田壮一)