天龍源一郎(左)と長州力の出会いは1983年。意気投合し、その日のうちに飲みに行ったという

写真拡大

“ミスター・プロレス”天龍源一郎の感動のラストマッチから1年、天龍と長州力が再び顔を合わせた! 

プロレス界に革命を起こし続けてきた両雄の出会いから最後の一騎打ちまで、知られざる「男の友情」に骨太ノンフィクション作家、田崎健太が迫る!

***

長州力と天龍源一郎―。プロレスがぴかぴかに輝いていた1980年代から90年代を駆け抜けてきた男たちである。

その熱狂のひとつの頂点は82年10月のことだった。メキシコから帰国した長州が新日本プロレスのリングで藤波辰巳(現・辰爾)に「俺はお前の噛(か)ませ犬じゃない」と反旗を翻したのだ。

同時期、天龍は全日本プロレスで人気レスラーとしての座を確固たるものにしていた。

だが、アントニオ猪木とジャイアント馬場―新日本と全日本の2団体は、互いを強烈に意識していたため、長州と天龍の接点は限られていた。

「源ちゃん」「長州選手」と親しく呼び合うふたりの出会いは83年の「プロレス写真記者クラブ賞」の授賞式だった。

天龍は控室で同じく表彰される女子プロレスラーとふたりで待っていたことをよく覚えているという。女子プロレスラーとどのように接したらいいのかわからず、居心地が悪かった。そこに長州が部屋に入ってきたのだ―。

天龍「後から来た長州選手が『○○ちゃん、元気なの!』って挨拶したんだ。それを聞いて『えっ』と思った。長州選手は女子プロレスラーを歯牙にかけないと思っていたからね。全然イメージと違うんでびっくりして、興味を持ったんです。それでしばらく話すうちに『じゃあ、飲みに行きましょう』ってなった」

長州「(照れたふうで)いやーそんな記憶はないよ。それは俺じゃない。誰かと勘違いしている」

天龍「本当ですよ」

長州「その日のうちに飲みに行った? 行っているよね」

天龍「赤坂(のクラブ)に飲みに行ったと思うよ」

長州「源ちゃんはもともと銀座(のクラブ)派じゃん。ぼくは六本木派。俺にこう言ったんだよ。レスラーは一流になると銀座で飲むって」

天龍「嘘だよ、そんなこと言った覚えないよ(笑)。でも、あの日はなぜか赤坂に行ったんだよね」

長州「源ちゃんが、俺の前で見え張ったの覚えてるよ」

―天龍さんが札束で支払いしたんですか?

天龍「札束ほどじゃないけど、馬場さんから前借りして行ったんですよ。負けちゃいけないと思って。でも楽しかった。全然しがらみがなかったから、難しい話なしでバカみたいに飲んだだけだった。その後、人を交えながら何回か一緒に飲みましたね」

天龍が長州を意識したのは、「噛ませ犬」事件よりもずいぶん前からだった。

天龍は76年に大相撲を廃業し、全日本プロレス入り。そしてアメリカのフロリダで武者修行している。フロリダで世話をしてくれたレフェリーのタイガー服部から、長州がフロリダで教えを受けていた“プロレスの神様”カール・ゴッチと衝突したと聞かされたのだ。

ミュンヘン五輪レスリング代表選手だった長州は73年に新日本プロレスに入り、75年頃フロリダに滞在していた。天龍は「やっぱり違う世界から来るとプロレスになじむのは大変なんだな」と親近感を持ったのだ。

長州「マサ(斎藤)さんとか服部も、源ちゃんと手が合ってた(相性がよかった)からね。だから、話もしやすかったんだろうね」

天龍「フロリダでマサさんから長州選手のことを聞いていた。だから、もともと好意を持っていたのかもしれない」

長州「そういえば、(当時)マサさんが源ちゃんのことをたまに話題にしていたよ。『天龍が相変わらずしょっぱい試合やって(全日本で)干されている』って(笑)」

―その後、長州さんと親しいことを耳にした馬場さんが、天龍さんに全日本への“引き抜き”を頼んだというのは本当ですか?

天龍「それは本当です。馬場さんから『おまえ、長州と仲いいらしいな、うちに来ないか、ちょっと聞いてみろや』って言われて電話した。そうすると、『いやいや、源ちゃん、俺は今、これで満足しているから』って言われたのを覚えてます」

長州「(大げさに首を振って)この話も作っていると思いますよ(笑)。ぼくの記憶がないと思って好き勝手言っているんですよ」

天龍「本当ですよ!」

84年9月、長州は新日本プロレスに辞表を提出。12月から天龍のいた全日本のリングに上がることになった。新日本の看板選手が、全日本へ移籍するのは初めてのことだった。長州に加え、アニマル浜口、キラー・カーン、小林邦昭らが行動を共にした。主力選手の大半を失った新日本の会場からは客が消えた。

―天龍さんは、長州さんから全日本のリングに上がるという連絡を事前にもらったんですか?

天龍「知らなかったです。噂では聞いていたけど。やっと長州選手と戦えるんだなって、ワクワクしたのを覚えています」

長州「新日本ではその頃、いろいろといやなヒビが入っていたというのがありましたから」

天龍「長州選手が全日本のリングに上がっている間はまったく交流がなかった。口も利いたことがなかった。間に入っている永源遙(えいげん・はるか)さんが、互いの控室を行き来して状況報告していたぐらい。

ジャンボ(鶴田)とかは『(長州たち新日本からの移籍組は)試合前にバカみたいに、これ見よがしに練習しやがって』なんて言ってましたよ。長州選手たちは、ビシッとそろって1時間半ぐらいやっていた。俺たちも練習しないわけじゃなかったけど、自分たちのペースがありましたからね」

―しかし、その後、長州さんは87年5月、新日本に復帰しました。

天龍「全日本のプロレスになじもうと思ったんだろうけど、長州選手のスタイルがあるからね。新日本のプロレススタイルが懐かしくて戻ったんだと思う」

長州「(天龍の言葉を遮るように)源ちゃん、源ちゃん、もういいじゃん。俺たちレスラーはそういう言い訳するしかないのはわかるけどさ」

天龍「言い訳? そうかな」

―客の不入りに困った新日本が、長州さんたちにより多い金額を提示して引き戻したと理解していいですか?

長州「おコメ(金)……うん(曖昧にうなずく)。あの頃は、もうバブルでしたね」

●後編⇒天龍と長州が今明かす『WJプロレス』6連戦中断の真相「源ちゃんがぼくに塩を送ってくれたんです」

●長州力(ちょうしゅう・りき)

1951年生まれ、山口県出身。72年ミュンヘン五輪にレスリング韓国代表として出場。74年、新日本プロレスでデビュー。82年に始まった藤波辰爾との“名勝負数え歌”でブレイクし“革命戦士”の異名で時代の寵児となった。その後、全日本プロレス参戦を経て、新日本に復帰。90年代には「現場監督」として団体を牽引した

『長州力DVD−BOX 革命の系譜 新日本プロレス&全日本プロレス激闘名勝負集』

1974年の日大講堂におけるデビュー戦から、2000年の大仁田厚とのノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチでの復帰戦まで新日本と全日本における激闘史をDVD8枚、25時間超に収めた決定版。前田日明、天龍源一郎とのスペシャル対談も収録。販売元:バップ 価格:3万円+税

●天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)

1950年生まれ、福井県出身。大相撲を経て76年、全日本プロレスでデビュー。全日本の三冠ヘビー級、世界タッグ、新日本のIWGPヘビー級、IWGPタッグなどメジャー団体のタイトルを総ナメにした“ミスター・プロレス”。2015年、超満員の両国国技館にてオカダ・カズチカを相手に引退試合を行なった

映画『LIVE FOR TODAY−天龍源一郎−』

2015年の引退発表からラストマッチまでを収めたドキュメンタリー映画。プロレスラーとしての姿だけでなく、娘であり「天龍プロジェクト」代表の嶋田紋奈氏と二人三脚で駆け抜けた家族の絆を描いている。2017年2月4日(土)より新宿武蔵野館、ユナイテッド・シネマ豊洲ほか全国順次ロードショー

●田崎健太(たざき・けんた)

1968年生まれ、京都府出身。ノンフィクション作家。著書に『真説・長州力 1951―2015』(集英社インターナショナル)『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社+α文庫)『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。現在『KAMINOGE』(東邦出版)で「真説・佐山サトル」を連載中

(撮影/平工幸雄)