今シーズンここまで、スイス・スーパーリーグでは14試合5得点、欧州カップを含めると22試合7得点の成績を残している。写真はCLプレーオフのボルシアMG戦。 (C) Getty Images

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 久保裕也が欧州に衝撃をもたらしたのは、4か月前のことだった。
 
 所属クラブのヤングボーイズがチャンピオンズ・リーグ(CL)の予選3回戦で、本選の常連であるシャフタール・ドネツク相手に、センセーショナルな勝ち残りを決めたのだ。
 
 初戦となったアウェーマッチを0-2で落としながらも、ホームでの第2レグを久保の2ゴールで2戦合計イーブンに持ち込み、PK戦の末に劇的な勝利。ファンは狂わんばかりに歓喜の歌を熱唱し、久保の名前は途切れることなく叫ばれ続けた。
 
 本来、久保はそこにいるはずのない選手だった。当初参加予定でクラブからの約束も取り付けていたリオデジャネイロ・オリンピックの舞台に立っているはずだったからである。
 
 だが、出発寸前に主力FWアレクサンデル・ゲルントが負傷離脱してしまったことを受け、クラブは久保の五輪参加を土壇場で拒否。不可能を可能にするためには、あらゆる手を講じる必要があったのだ。
 
 日本五輪代表にとっては、間違いなく大きな、大きな痛手。本人にとっても、すぐに納得できるものではなかったはずだ。だが、久保は立ち止まらなかった。
 
 スイスのオンラインサイト『ブルーウィン』が「クボは五輪へのフラストレーションを感じさせずに、クラブを彼の力で勝利へと導いた」と書いていたが、苦しい境遇さえも自身を成長させるための場として受け入れ、答えをピッチに求め続けた。
 
 チームメイトのスティーブ・フォン・ベルゲンは「ユウヤはユウヤ。ポジティブでもネガティブでも、彼は感情を露にしたりはしない」と語っていたことがある。
 
 確かにピッチ上での様子を観察していると、常に冷静で感情の起伏を感じさせない。だが、それはあくまでも表立ってのことだ。
 
 どこまでもどん欲で、強気――。
 
 結果として2戦とも完敗で終わったボルシアMGとのCLプレーオフ後でも、「全然やれないという相手でもない」「(アウェーでも)3点取れないことはないと思う」「普通にやれる気はしていた」と、全く臆すことなく話していた。
 
 9月21日のファドゥーツ戦から10月16日のルガーノ戦まで、チームは公式戦5試合連続未勝利の時期があった。こんな時、久しぶりの勝利を挙げれば、とりあえずホッとするのが普通ではないだろうか。
 
 だが、10月20日のヨーロッパリーグ・グループステージ、APOEL戦で6試合ぶりとなる勝利の後でも、もちろんチームの勝利を喜びながらも、久保は簡単には満足しなかった。
 
「いや、俺的にはまだ(トンネルは)長いです。点が取れてないんで」
 久保の優先順位は、常にシュートからだ。時に、その気持ちが強すぎて、チャンスを逸してしまうこともある。
 
 狭いエリアにもドリブルで突っかかっていくのは、一見無謀なチャレンジでもある。だが、フリーの仲間がいようと、目の前に相手の守備があろうと、まずはそこを突破する道を探すところに久保の強さがある。
 
「良いシュートを打っても入らないこともあるし、たまにポンって適当に打って入る時もある」
 
 だからシュートを狙い続けるし、打てる場面で打てないことを非常に悔やむ。そして、それを引きずることなく、次へと切り替えていく。
 
「前だったら、前半がダメだと、そのまま試合に絡まず終わるっていうのが多かったんです。そういう面では、消えずに終われて良かったかな、という感じです」
 
 APOEL戦後、久保はそう振り返っていた。
 
 前へ、前へ――
 
 その連続した動きがチームに躍動感をもたらしていき、回り回って自身のゴールチャンスへと繋がっていく。どんなところからでもゴールを狙ってくる選手ほど、相手にとって嫌な存在はない。
 
「代表ってやっぱり、結果を出している人が行くもんだと思っています。まずは、ここで結果を出すという感じですかね」
 
 その言葉通り、スイス・スーパーリーグで3試合連続ゴールと、求めていた結果も出してみせた。
 
 場所を代表チームに移しても、スタイルは変わらない。真っすぐゴールへ――。それこそが、日本代表にとっても今、一番必要な特効薬である。
 
文:中野 吉之伴
 
【著者プロフィール】
なかの・きちのすけ/ドイツ・フライブルク在住の指導者。2009年にドイツ・サッカー連盟公認のA級コーチングライセンス(UEFAのAレベルに相当)を取得。SCフライブルクでの研修を経て、フライブルガーFCでU-16やU-18の監督、FCアウゲンのU-19でヘッドコーチなどを歴任。2016-17シーズンからFCアウゲンのU-15で指揮を執る。1977年7月27日生まれ、秋田県出身。