ヒット曲も多数のたかじん(※写真はイメージです)

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2014年、関西芸能界のドンとして知られるやしきたかじんが亡くなった。東京嫌いのタレントとして有名だったたかじん。
たかじんの東京嫌いを決定づけたといわれるのが、1992年に発生した「味の素激昂事件」である。たかじんは当時42歳だった。

味の素激昂事件とは?


1992年、テレビ朝日は深夜の情報番組『M10』の司会者にたかじんを抜擢する。東京のスタジオで撮影される生放送番組だ。関西の人気司会者がついに全国ネットに進出ということで注目が集まっていた。
しかしたかじんは、ある日の料理コーナーで「味の素はどこやー!」と激しく怒り、セットを破壊してスタッフを殴り、生放送中に帰ってしまうという事件を起こす。世にいう「味の素激昂事件」である。

やしきたかじん、ド迫力の大暴れ


この日の放送では、たかじん特製こんにゃくステーキの調理方法を紹介していた。調理も中盤に差し掛かったころ、たかじんが「味の素はどこや?」とスタッフにたずねた。用意されているはずの味の素がなかったのだ。しかしスタッフは黙ったまま答えなかった。

たかじんはキッチンセットの前に出てきて、上に向かって怒鳴りはじめた。スタジオの2階部分にいる番組責任者に文句を言っているのだ。「おい。味の素は?」「せやから味の素わいや?」「あ・じ・の・も・と・は、どこじゃーッ!!!」
ここでたかじんはテレビ画面からフレームアウト。画面には無人のキッチンセットが映り、たかじんの絶叫だけが聞こえてくる状態となる。「なんやお前はコラーッ!」「なめとったらアカンど!」「味の素はどこじゃいやいやいやーッ!!」。さらにテレビのスピーカーからは、明らかに人を殴る「ボコッ」という音や「ガラガラーンッ」という鍋が床に叩きつけられる音声が響いてきた。

ここでテレビ放送はいったんCMに切り替わった。

――CM明けのテレビ画面には、ゲストの中山秀征が映っていた。「えー、たかじんさんは帰ってしまいました……」。そしてもうひとりのゲスト大竹まことと中山が、進行表を頼りに味の素の入っていないこんにゃくステーキを作って番組は終わった。

上岡龍太郎ニンマリ、事件のその後


この騒動で、たかじんは『M10』を降板する。ところが生放送で「味の素」という商品名を連呼したことから、味の素株式会社より感謝状と1000本の味の素がたかじんに贈られた。
さらに翌週、『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(フジテレビ系)にたかじんがゲスト出演した際は、上岡のアイデアでセットに味の素のビンが敷き詰められた。上岡は「これならお前も怒らんやろ?」とドヤ笑顔を浮かべた。

味の素激昂事件の原因


たかじん本人や中山秀征がのちに語ったところによると、味の素がなかったことは怒りの導火線に火をつけたきっかけに過ぎず、それ以前からたかじんと『M10』スタッフとの関係は悪化していた。

インターネットもない92年当時、東京のスタッフにとってたかじんは見たこともない謎のタレントだった。色付きレンズのメガネをかけ、ガラガラ声の関西弁でまくしたてる謎の中年タレントが印象の良いはずがない。
一方でたかじんには関西の視聴率男としてのプライドがあり、大物としてのふるまいを崩さなかった。そんな状況から、たかじんとスタッフの間に不和が生じていった。

しかも味の素事件当日の調理アシスタントスタッフは、服部栄養専門学校の生徒だった。放送業界とは関係のない料理業界の専門学校生が、突然「味の素はどこや?」とすごまれても答えられるはずもない。そして事件は起きた。

たかじん東京嫌いの真相


味の素激昂事件後、たかじんは極度に東京のテレビ界を嫌うようになる。大阪で撮影される自身の番組に東京のタレントを呼ぶことはあっても、自分が東京の番組に出演することはなかった。たかじんは東京という街や東京人を嫌いというわけではなく、東京のテレビ局とスタッフが嫌いだったようだ。その最大の原因は味の素激昂事件にあった。

ちなみに中山秀征によると、こんにゃくステークは味の素が入っていなくてもなかなか美味しかったという。
(近添真琴)

※イメージ画像はamazonよりたかじん やっぱ好きやねん ‐シングル・コレクション‐