注意!:ネタバレありのトークになりますので、必ずアニメーション映画『聲の形』を一度以上ご鑑賞のうえ(そしてできれば発売中のサウンドトラックをご購入のうえ)お読みください。

映画『聲の形』の空気感は、監督と劇作家、音響監督、録音、効果音のスタッフが一丸となって、映像と不可分な音響をつくりあげたからこそできたものである――ということを、映画公開前のインタビューで牛尾憲輔氏に語ってもらった。
映画公開後の本インタビューでは、この映画を二度、三度、四度くりかえし観て楽しむために、音楽に込められた意味や仕掛けについて訊いた。



「インベンション」に込められた意味


――映画『聲の形』の音が非常にコンセプチュアルに作られていることは前回のインタビューでも語られていましたが、すでに映画は公開中、サントラCDも発売中ということで、具体的に「あのシーンのあの曲は一体?」といったことをお話いただきたいと思います。
 早速ですけれども、映画冒頭にthe whoの「My Generation」が流れますよね(サントラには未収録)。あれは……?

牛尾 山田監督のアイデアですね。かっこよくて意気揚々としていた小学校時代の将也の疾走感がよくあらわれていますよね。

――今回の劇は電子音だけではなくてピアノ、シロフォン、マリンバなどの「響き」を重視したものになっていますよね。たとえば、ものすごくゆっくりさせたバッハの「インベンション no.1」が折に触れて流れてきます。

牛尾 この映画で20数小節の曲である「インベンション」を2時間かけて順番に演奏しているのは、あの曲がピアノの「練習曲」だからなんですね。最後の、文化祭に入るシーンの直前であの曲が終わるのは、将也が練習曲を終えて、次に進む準備ができたということをあらわしています。
 音響監督の鶴岡(陽太)さんが「他の音と重なってもいいから、全編ずっと『インベンション』を鳴らそうよ」と言ってくださったんですけど、さすがにそれは……と(笑)。ただ実は20数小節を映画の時間に合わせて引き延ばしたトラックは、僕、つくってあるんです。だから何かの特典にそれを付けようと思えばできる。ただ、劇中で使用されているトラック以上に遅いので、いろんな音が伸びまくって、音像がもう大変なことになってるんですよ。

――ピアノの音がドローン(持続音)みたいになっていると(笑)。

サントラを聴かないとわからない(?)、店内BGMの仕掛け


――サントラCDに即していくつか訊いていきたいんですが……そもそもサントラの話をすると、1枚目が劇中使用曲を収録したもので、2枚目はそれに加えて使用曲の別バージョン(未使用バージョン)や未使用楽曲が収録されていますよね。
 1枚目は「int」とか「lit」とかアルファベット3文字で統一されていて、2枚目は「heart beat」「into sparkle」みたいに意味の取れる英語の曲タイトルがついています。これは?

牛尾 コンセプトベースの作曲は前提としながらも、最初は一般的な作品と同様に、僕の仕事はまるっと曲を書いて渡して、あとは場面に合わせて他の方に選曲してもらうつもりで、識別コードみたいに3文字のタイトルをつけていたんです。それはオーダーを元に作ったものではないので、タイトルから「こういう意味の曲です」という予断を与えないで使ってもらいたかったからなんですね。その名残で、サントラを聴く人にとってもそうであってほしいなと。
 ただランダムな3文字、というわけではなくて1枚目の12曲目「htb」の別バージョンが2枚目1曲目の「heartbeat」だったり、ヒントは多少あります、という感じです。

――永束くんと将也がファストフードで食事をするシーンが2回あって、2回とも「laser」というイタロディスコみたいな曲が流れていますよね。
 あと、植野がバイトしている猫カフェでかかる曲は「(i can)say nothing」という、四つ打ちの上にシンセベースのTB303がビヨビヨ言うやつで、「どうしてこの世界の喫茶店やカフェではJ-POPじゃなくてダンスミュージックが流れているのか」と疑問を持ったんですが(笑)、それはさておき、この2曲、「いかにもな劇中BGM」「劇伴らしい曲」と捉えるには、気になるところがあるんです。
 まず「(i can)say nothing」。劇中ではほんの一瞬しか流れませんが、サントラで改めて英語で歌われている歌詞を聴き取ってみたら(歌詞カードは付いていない)、「むむ?」と。

牛尾 「あなたを目の前にすると何も言えなくなっちゃうの」みたいな内容の、恋の曲ですね。「グラスゴーのバンドの曲」という設定なので、キックや303の音はでかいけどヴォーカルはうしろに引っ込んでいて小さいんです。

――UKっぽいミックスだと(笑)。で、この曲「escape your eyes straight you close to you」とかって歌ってますよね。でも「(i can)say nothing.」だと。これ、植野の将也に対する心情と重ねてつくられてますよね?

牛尾 そうです。よく気付きますね(笑)

――やっぱり。めっちゃ泣ける曲だなと思って。だってあの曲、将也が退院したあと講演で植野と話して自宅(美容室)に戻って来たらそこでもかかってるんですよ? やばくないですか。植野のファンはこの曲を聴くためだけにでもサントラを買う価値があるんじゃないかと思いましたね、まじで。

牛尾 (笑)。自分のヴォーカルを吹き込んだものが世に出るのは「(i can)say nothing」が初めてなので、僕にとってはこっぱずかしい曲ですね。

あのディスコ曲には永束くん(へ)の愛が!


牛尾 こっぱずかしいと言えば「laser」は実は僕が20歳くらいのときにイタロディスコやハイエナジーにハマっているときに作ったもので、当時、まわりの大人にさんざん笑われた曲だったんですよ。実は映画『聲の形』では、あの曲を当てる前は仮にデッド・オア・アライヴをつけていたんです。「You Spin Me Round」て曲。監督と「こういうイナタい曲、おもしろいよね」と。将也たちの横を車が横を通ったときにもデッド・オア・アライヴがかかってる、とかね。

――ああ、シンセとギターがめっちゃ鳴ってる、80年代の陽気で能天気なダンスミュージックが。

牛尾 デッド・オア・アライヴのPVって当時最先端だったんだけど、今観るとすごく牧歌的なんですね。それを山田監督は「やさしい」と言っていて。それって作品の世界観とは全然関係がない。だけど「そういうものだって本当は君たちのまわりにあるんだよ」という見せ方をいろんなところでしている作品だから。

――将也や硝子のまわりを鳩が飛んだり蝶が舞ったりするのと同じように、世界ではデッド・オア・アライヴだって鳴っていると。

牛尾 そういう話をしたあとで「ちなみに僕、こんなのつくってたんですよね」って言って「laser」を聞かせたら監督が「これ!」ってなっちゃって。だけどさすがにそのまま使うのもどうかなと思って作り直してもみたんですけど……20歳のころの初期衝動には勝てなくて。あの音源だけ、僕が10何年前につくったものがそのままサントラにも入っているんです。

――なるほど。で、僕が訊きたかったのは、その「laser」がファストフード店だけじゃなくて、文化祭で「宇宙喫茶」というコンセプトの飲食店をやっている自分のクラスに将也が入ったときにも流れるじゃないですか。「ん?」と思ったんですよ。

牛尾 あれは……山田監督いわくなんですけど、最初に将也と永束くんがフライドポテトを食べながら「友達ってなんだろう」みたいな会話をするシーンの前に、将也が永束くんに「あの曲、好き」っていう話をしているんですって。
 つまり永束くんにとっては「laser」は「将也との友情のテーマ」で、だから文化祭のときに将也が来ることがわかっていた永束くんは、ずーっとループであの曲をかけてクラスで待ってるんですよ。そのあと将也を追いかけていく永束くんが教室のドアを開けると、いったん下がっていた「laser」の音量がもう一回上がる。それはそこに永束くんの気持ちが乗っているからなんです。

――……すごすぎる。

牛尾 そこまで読み取るのはムリでしょ?(笑)

――いやあ、永束くん、愛されてますね……。

牛尾 永束くんはいいですよね。硝子と将也が初めて橋の上で話すのを結絃がカメラの望遠レンズで覗き見するシーンでは「int」っていうかわいらしい曲が流れているんですけど、その曲が終わって音が消えて一拍あけて結絃の横にいる永束くんが「落ちるなよ、少年」って言う、そこのタイミング。僕、めっちゃこだわって曲の尺とか入りを調整しましたからね。

橋へ向かうふたりの背景でヴァイオリンが流れる理由


――終盤の劇伴の楽器の選択もコンセプチュアルだと思いました。
 たとえば将也が入院したあと西宮がみんなとの関係を取り戻すためにひとりひとりに会いに行く曲「svg」がおそらくほぼ唯一、ギターが入ってドラムが入ってという明確なバンドサウンドになりますよね、映画冒頭の「My Generaton」を除けば。

牛尾 そうですね。

――バンド、つまり複数人でいっしょにやる音楽が、関係を再構築していく場面で使われるのも象徴的だなと思いましたし、何よりそのあとの「slt」ですよね。この曲では、この作品唯一のゲストミュージシャンである勝井祐二さんによるヴァイオリンが入ります。
 映画『聲の形』では「水に飛び込む」「花火」「うつむく」「雨」といった垂直/上下の運動のモチーフがずっと繰り返されていて、それと劇伴の基調をなす楽器がピアノをはじめ、やはり垂直/上下に叩いて音を出すものであったことが軌を一にしていた。
 でも、ずっと人の顔を見られなかった将也が前を向けるようになる、夜の橋での硝子との再会のシーンの前に、ヴァイオリンという横に引くことで音を出す楽器が用いられている。ピアノの垂直の運動にヴァイオリンの水平の運動が加わる。そして二人が向き合うカットが入る。というかたちで、そこでも音と映像と物語の歩みがシンクロする。だからすごくあの曲に感動したんですけども……どうでしょうか。

牛尾 ……正解かどうかはさておき、そういうことにしておきましょうか(笑)。
 あそこの前のシーンで硝子と将也は夢の中で会っていて――ちなみにそこではノイズの音がどんどん高まっていくんですが、左右で鳴っている音が違うんですね。というのも硝子は右耳が聞こえなくなっていて、左耳からは補聴器のノイズ、右耳はそのシーンまでに記号的に与えられる将也の心象音――、そのあと目覚めて、二人は走って橋に向かう。目覚める瞬間の無音も「slt」のテンポで一拍分、無音のアウフタクトになって次の音を導いている。
 そこでさらに「走る」ということを、弦で引っ張りたかったんですね。あの横顔のために、ああいうアレンジにしたかったんです。彼らの意志の強さを出したいなと。キャラクターが走るシーンって、たしかあそこ以外ほとんどないんですね。

――たしかに決して多くはないですね。

牛尾 ……実はあの曲は「いつか山田尚子監督と組めることがあったら使いたい」と思って何年もあたためていた曲なんですよ。

――今回、劇伴をオファーされる前から、というか、面識ができる前からですか?

牛尾 ……はい(笑)。引きますよね。その、元のバージョンというのが、サントラのdisc2の19曲目「your silent portrait」で、それを今回のために作り直したんです。
 あの夜の橋の上のシーンで将也と硝子が物語の根幹をなす内容の会話をしているときに、山田監督は、ふたりが見上げているわけでもない空を映して、そこを飛んでいる旅客機のカットを入れますよね。
 つまり空の上には地上にいる彼らと同じ質量の人生が何百倍もある、ということを示唆している。だけどそれは彼らを突き放しているんじゃなくて、「今まで気づかなかったかもしれないけど、外にはやさしい世界があるよ」「あたたかい人生があるよ」という作品なんですね。そういう視点を監督も持っていたし、僕も持っていたから、あの曲がハマったんじゃないかなと思っています。

春の光/a shape of light


――最後の文化祭で鳴る、この映画のハイライト「lit(var)」については?

牛尾 みんなの顔についていた「×」がとれて、「lit(ver)」の前半でドーンと将也の世界が広がったあと、そのあとのアレンジをどうしたらいいかわからなかったんですよ。それで困って山田監督に「どう思います?」って相談したんです。そうしたら「勤めているスタジオの近くに河原があって、私はそこで気づいたことがありました」と言われたので、京都アニメーションさんまで行ってみたんです。
 その前から、映像をつくっているスタッフさんがふだん見ている景色を共有しておきたいと思っていましたし。それで、スタジオでみなさんを紹介していただいたあとに、河原に何時間も立ち尽くしていたんです。滂沱の涙を流しながら。

――え?

牛尾 そこに着いた瞬間、泣いちゃったんです。雨が降ったり止んだりというぐずついた天気だったんですけど、遠くを見るといろんな色の傘がきゃっきゃしながら動いていく姿があり、違うところに目を向ければ犬の散歩をしているおじさんがいて、また別のところには、本当は降りちゃいけない川辺に降りた中学生か高校生が集まってフリースタイルでラップをしていて……。勿論、皆立っている場所が違うから、お互いに気づいてはいない。それを見ていたら、泣けてきちゃって。
「ああ、将也たちを取り巻く世界が美しいとかやさしいっていうのは、こういうことなんだ」と思いながらずっとそこに立っていたんです。さっき紹介してもらった京アニのスタッフさんたちが「こいつ、大丈夫か?」みたいな怪訝な顔をしながら通りすぎていくなか。

――(笑)。

牛尾 そこで同時に「ああ、取り巻く世界は確かにあるのだから、最後は将也ひとりの話にしてもいいんだ」と気づいて。だからドーンと広がった後、最後は「将也が弾いているピアノ」というイメージのピアノに行くんです。
 実は監督と往復書簡をしている作業初期段階のときに「春の光」みたいなことを言っていて、たしかそのころ百人一首の「ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心(しづごころ)なく 花の散るらむ」という句の話もしたんだど思うんですね。
 つまり、作中の季節は秋だけど、将也があたたかい光に気付いていく話だから、ラストのイメージは春なんです。

――序盤で高校生になった将也は桜並木を歩いているんだけど、全然その景色を見ても感じてもいないですよね。だけど紙吹雪が桜のように空から振ってくる文化祭のときには、外の世界が見えている。そういう対になっている。たしかに文化祭の場面は、とても春めいています。

牛尾 最後の曲は「lit」で、この曲は2回しか出てこないんですけど、「light」っていう意味なんです。この作品は光に行きつくためのものだった、と思うと、附に落ちる終わり方になったな、と感じています。
 僕の中ではモランディもそこに関わってくる。彼は静物画で知られている作家ですけど、モランディにおける静物と影の関係は、主人公・将也にとっての彼の母親、ヒロイン・硝子と彼女の母親、そして将也をとりまく人々、世界だと僕は思ったんですね。子に寄り添う親や、人々や世界、影を描くことで必然的に光が描かれる。モランディは晩年、静物画というよりだんだん「光と影」へと、ぼやけていく。僕はその作家のあゆみと、将也や硝子の成長の過程をなぞらえて捉えています。監督がどう思っているかはわからないけど、僕の解釈。

――なるほど。映画の冒頭とラスト、真っ暗な中に奥側に光が見えているカットがあります。あれはくりかえされる水のモチーフと合わせて考えると、羊水の入った子宮から産道を通って生まれてきて光に包まれることの比喩なのかなと思っていたんですが、そう考えると、今の話もしっくりきます。そしてサントラのタイトルは『a shape of light』である……と。

牛尾 そう、映画『聲の形』は、将也が生まれ直す話なんだと思います。

・映画『聲の形』公式サイト(http://koenokatachi-movie.com/)
・映画『聲の形』オリジナルサウンドトラック『a shape of light』発売中(http://koenokatachi-movie.com/music/)




(飯田一史)