そして、マリー・アントワネットを誹謗中傷する多くの逸話は、近年になって虚偽の話しが多いとされ、汚名を挽回していますが、それだけ事実無根の話が出回ったことは、彼女に対する国民の憎悪の念が激しかったのかもしれません。でも、見方を変えれば、その美貌、ファッション、教養など備わった女性だったことで同姓から羨まれ、やっかみででっち上げられ巷に流されたということも考えられるのです。いわゆる今で言う“有名税”だったのかもしれません。

羨望の的であったとはいえ、フランス国民の嫌われ者だったアントワネットは、処刑後、遺体は哀れにも集団墓地となっていたマドレーヌ墓地に葬られましたが、後に王政復古となり、新しく国王となったルイ18世は、既に私有地となっていたマドレーヌ墓地を地権者から購入し、兄嫁の遺体の捜索を命じました。

そして、ごく一部でしたが遺骸を見つけ、1815年1月21日、歴代のフランス国王が眠るサン・ドニ大聖堂に夫のルイ16世と共に改葬されたのです。38年の短い生涯を他意によって終わらなければならなかったマリー・アントワネット。ルイ16世に嫁がなければ、と悔まれもするのですが、これが定めだったのですね。

《註:文中の歴史や年代などは各街の観光局サイト、取材時に入手したその他の資料、ウィキペディアなど参考にさせて頂いています》

(トラベルライター、作家 市川 昭子)