「現役高校生芸人」だった劇団ひとり 今の芸風に通じるネタも

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90年代後半、関東お笑いシーンにはある特異な現象が存在した。それが現役高校生芸人の活躍である。

高校生芸人誕生の経緯


なぜ高校生芸人が活躍していたのかといえば、現在のように各事務所が芸人養成所を持っていなかったから。関東の事務所が芸人スクールを開設するのは、1992年に人力舎が開校したスクールJCAが最初である。その後、吉本興業が1995年にNSC東京校を開設し、各事務所が徐々に養成所システムを取り入れるようになる。

それまでは芸人を志望する人間は、特定の師匠に弟子入りするか、各事務所が定期的に行うネタ見せと呼ばれるオーディションに参加していた。ネタ見せは基本的に無料か、いくばくかのエントリー料を払えば参加可能である。
芸人養成所の高額な授業料を負担する必要がないため、高校生芸人が生まれる余地があったといえる。

現役高校生芸人を多く抱えた太田プロ


現役高校生芸人を多く抱えていた事務所といえば太田プロである。80年代はビートたけし、山田邦子、片岡鶴太郎らを排出した関東のお笑い事務所の雄というべき存在であった。

当時の太田プロにはスープレッス、ブラックパイナーSOS、バービーズといった高校生芸人が所属。スープレックスは劇団ひとりがかつて組んでいたコンビである。劇団ひとりの担当はボケであり、漫才では不思議ちゃんの声優や、ボキャブラリーが少ないチーマーなど特定のキャラクターになりきる現在の芸風に通じるネタを披露していた。
劇団ひとりは現役高校生芸人の中でも一番の出世頭であろう。

ブラックパイナーSOSは『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)へ出演し、ヒロミの一存で、コンビ名を「下目黒二丁目」に変更させられていたこともあるが、現在は元の芸名に戻して活動を続けている。
また、バービーズは現役の女子高生2人組によるコンビであったが、その後の活躍は見ない。

他事務所の現役高校生芸人


そしてホリプロでも、ボブ・サンチェと石田ゆかによる女子高生コンビ・あぶらとり紙が活動していた。
また、爆笑問題の事務所であるタイタンには、冷やし中華はじめましたという高校生トリオがいた。メンバーの一人であった高崎悠介は、ガラクタコージョーの名前で現在もタイタンに所属し、キャラクターやゲームのデザインを手がけるプランナーとして活躍している。

いまにして思えば、90年代の若手芸人は、本当に“若い”。『ボキャブラ天国』の出演者はほとんどが二十代半ばであり、爆笑問題ですら30歳そこそこであった。30代、40代でも若手扱いとなってしまう現在のお笑いシーンとは大きな違いであろう。それだけ芸人の層が厚くなっているのだ。
現役高校生芸人は90年代だからこそ活躍できたと言えるだろう。

※イメージ画像はamazonよりQuick Japan Special Issue 劇団ひとり カプチーノを飲みながら