--80年代に入ると『鬼龍院花子の生涯』をはじめ、『陽暉楼』『櫂』と宮尾登美子原作、五社英雄監督で、先生が脚本を手掛ける作品が続きます。どういう流れで始まったんですか?
 「そもそも最初は、先輩の脚本家に断られて僕に話が来たんです。初めて東映本社で五社さんと会ったときは、『お前なんかにわしの相手ができるのか』って態度でね。ところが僕のアイデアを聞き終えたら、抱きついてきて『兄弟!』ってオーバーなのよ(笑)」

 --流行語になった「なめたらいかんぜよ!」は、どのようにして生まれたんですか?
 「そもそも五社さんの口癖が『俺をなめんなよ』だったの。よく一緒に飲み歩いたけど、飲んでいる間も絶えず言ってた。それで僕が書いたと思い込んでたんだけど、あとで台本を見返したら、五社さんが現場で方言指導の人に『なめんなを高知弁でどう言うんだ』と聞いたらしいね」

 --主役も夏目雅子さんではなかったんですよね。
 「最初は大竹しのぶさんに交渉したけど断られたみたいだね。それが結果的に良かった。台本を読んだ雅子ちゃんが五社さんのところに行って、『やらせてください』って台本の上に座ったと。これは本当の話みたいですよ」

 --女優ありきで脚本を書くこともあるんですか?
 「僕の場合は『極妻』がそうだったね。この作品に関しては脚本がガラッと変わった。『極妻』は完全に女が主役だけど、家田荘子さんの原作はそうじゃないのよ。旦那さんの浮気とか金遣いで苦労する女たちの物語で、あくまで極道を裏で支える存在として書かれていた。だけど、岩下志麻さんに交渉して『やってもいいわよ』って答えが返ってきた段階で、女が主役になった。そこで女一人じゃつまらんから姉妹の話にしようと、対抗馬として肉体派のかたせ梨乃さんを出した。最後まで組長が刑務所の中にいる映画なんて、それまでなかったと思うよ。じゃあ男は誰にするかで世良公則さんを持ってきて、彼の迫力が梨乃さんと火花を散らし、要所で五社さんが独特の芝居をつけた。2時間、興奮で一気。あの映画が受けた要素やね」

 --今回の小説も女性たちのたくましい生き方が鮮明に描かれています。
 「男なんてどんなに金があっても命は一つ、死んだら終いということが分かってないから哀れや。女は妻になり、母になり、死んで三べん化けるという。命を三つ持っている。僕は世の中に女さえいればいいと思っているからね(笑)。今どきは子供相手の映画ばかりです。飽き足りない映画ファンの方は、僕の小説を映画を見る気で手にしてください。そして、感想をSNSに寄せてください。ハリウッドをあっと言わせる映画化も、夢ではないと思っています」

高田宏治氏の主な脚本作品=『懲役太郎 まむしの兄弟』(1971年)、『山口組外伝 九州進攻作戦』(1974年)、『仁義なき戦い 完結編』(1974年)、『資金源強奪』(1975年)、『北陸代理戦争』(1977年)、『野性の証明』(1978年)、『鬼龍院花子の生涯』(1982年)、『陽暉楼』(1983年)、『櫂』(1985年)、『極道の妻たち』シリーズ(1986年〜2005年)、『民暴の帝王』(1993年)など。