昨今隆盛が著しい中央アジア・ウズベキスタンの首都タシケント(画像:dreamstimes)
 太平洋に面したユーラシア大陸東端の島国・日本にとって、中央アジアの存在感はあまりにも薄い。隣国中国は古来よりシルクロードを通して西側諸国と関係を築いてきたが、2014年に習近平主席がシルクロード経済ベルトという経済圏構想を発表したのは記憶に新しい。次々と進む中央アジア開発、日本は中国に大きく遅れをとっていると言える。そもそも50以上もの少数民族を内包し交流してきた歴史を持つ中国人たちにとって、中央アジアに対する民族的な感情の距離感もあまりないし、新たな協力者として受け入れる下地が十分作られてるのだろう。北京のイスラム系料理屋に入るとテュルク系中国人がカタコトのトルコ語でトルクメン留学生と会話してるなんて光景も珍しくない。

 今回はそんな日本人にとって知識、歴史ともに馴染みの無い中央アジア、主にカザフスタンの民族事情をお伝えしたい。

◆中央アジアを占める「スタン」がつく国々

 中央アジア5ヶ国というと、一般にはかつてソ連を構成していた「スタン」のつく国々のことを指す。カザフスタンに始まりウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン、そしてトルクメニスタンだ。このなかに旧ソ連国家ではないパキスタンやアフガニスタンは含めない。この「スタン」という語はペルシア語で土地を意味するestan(エスターン)に由来する。つまりカザフ族の土地でカザフスタン、ウズベク族の土地でウズベキスタンということだ。

 中央アジアの国々は、漢語で話す漢族が94%を占める中国などとは少数民族の事情がだいぶ異なる。中国語(北京官話)を解さない中国人はほぼいないが、カザフスタンではカザフ語をまったく話せないカザフスタン人が大勢いる。中央アジアではソビエト連邦樹立以来、伝統的に信仰されてきたイスラム教などは弾圧され急速に世俗化していった。ソ連は「他文化の尊重」という標語の下で、民族自決の原則に基づき、ついぞロシア語を標準化することは無かったが、中央アジア内での政教分離は進み、ロシア語話者も格段に増加していった。

 ここでまず中央アジアの民族構成を理解するためにカザフスタンの例を挙げる。

◆カザフスタンで特徴的なドイツ系と朝鮮系民族

 カザフ人(Казахи) が1140万人で66%、ロシア系(Русские) が360万人で21%で大部分を占め、その他ウイグル系やウズベク、トルコ系などの伝統的にその地で交流してきた民族が1割近くいる。ロシア系がここまで大きな比率を占める理由としてロシア帝政時代からの植民地であった中央アジアに流入してきたことや、ソ連時代の移住政策などの歴史的背景がある。

 他に構成の中で特徴的なのはドイツ系と朝鮮系民族である。この両民族は歴史に翻弄された被害者である。18世紀にエカテリーナ2世がプロイセン人民のロシア誘致を始め、ロシアのヴォルガ地方には180万人近くのドイツ系移民いたようだ。しかし1941年からソ連とナチス・ドイツの間で戦争が勃発するや、スターリンは国内のドイツ系人がスパイ化することを恐れ、中央アジアへと強制移住させることを決定した。遊牧民だけだった土地を開拓する労働力として活用することも出来たのでソ連側としては一石二鳥の政策であったはず。強制移住させられたドイツ系民族はカザフスタンやキルギスタンなどに定住するようになり他民族との同化が進んでいる。筆者の周りには、キルギスの世俗化したイスラム教徒と結婚したドイツ系の血筋という例が多く、彼らが言うにはお酒は嗜む程度、豚肉は習慣的に口にすることはないがイスラムの教えを遵守しているわけではないということだ。

◆韓国と中央アジアの交易で鍵となる朝鮮系民族

 まったく似た理由で、朝鮮系民族もまた中央アジア、特にカザフスタンやウズベキスタンに多く定住している。彼らは高麗人、ロシア語でカリィエツ(кореец)と呼ばれている。ソ連時代からロシア沿海地域に住んでいた朝鮮北部地方の人民が一定数いたが、ここでもスターリンは高麗人が敵対関係にあった日本のスパイと化すことを恐れ彼らを中央アジアへと強制移住させたのだった。彼らの多くは既に3、4世代目となっていて民族的教育も育まれることはなかったので朝鮮語を話せない場合が多い。