風船おじさんはフィクションだったが……

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今から7年ほど前に、『カールじいさんの空飛ぶ家』という映画が公開されました。冒険好きの老人・カールが、亡くなった妻との約束を果たすために、自宅を風船で飛ばして旅に出るという本作。
ピクサー製作、ディズニー配給のファンタジーですが、かつて現実に試みた男がいたのをご存知でしょうか?

テレビの企画ではありません。普通の、いや、こんなことをする時点で普通ではないのですが、一般人による私的な挑戦です。彼の名は通称「風船おじさん」。ビニール風船で太平洋横断を試みた、世紀末の日本に現れた怪人物です。

太平洋の横断を夢見た現代のドンキホーテ・風船おじさん


1992年11月23日。風船おじさんこと、元ピアノ調律師の鈴木嘉和は、巨大ヘリウムガス入り風船・26個を装着した自作の風船ゴンドラ「ファンタジー号」に乗り、琵琶湖の湖畔にいました。

そもそも、なぜ彼はこんな無謀な挑戦を始めたのか? それは、島根県の琴ヶ浜にある上を歩くとキュッと音の鳴る「鳴き砂」の保護を訴える目的……というのは表向きの理由。
本当は、事業による失敗からこしらえた約5億円にも及ぶ負債を、返済するためだったといいます。太平洋横断に際して複数のスポンサーがつき、成功すれば冒険家として世間の注目が集まり、CMなどで多額の収入を得られると考えたのです。

最大5,600メートルも上昇した初飛行


はじめて彼がメディアに登場したのは、この約7ヶ月前。'92年4月17日のこと。当日、風船おじさんは、府中の多摩川河川敷から、千葉の九十九里を目指すという計画を実行するため、同じように風船ゴンドラへ搭乗。「降りてきてくださいよー!約束が違うじゃないですか!」という警察の警告を無視して、初のフライトを実施したのです。
高く舞い上がった風船とおじさんは、重りの砂袋が落ちるというアクシデントに見舞われ、最大5,600メートルの高度まで上昇。マイナス10度を上回る極寒の中、飛行を続ける彼を、フジテレビの情報番組『おはよう!ナイスデイ』はヘリコプターで追跡しました。結局、出発地から約24キロ離れた大田区の民家の屋根に不時着して、この挑戦は終わったのです。

「どこへ行くんだ!」「アメリカですよ!」周囲の制止を振り切り空へ


そして迎えた、琵琶湖湖畔での再フライト。その様子を見守るべく、何社かの新聞社・テレビ局の社員、同志社大学の教授、学生数人が集結しました。予定では、200〜300m上昇するだけの簡単な実験。まずは120mほど浮かび上がると一端、地上へ降りてきた風船おじさん。
ところが突如、牽引用のロープを外して「行ってきます!」と一言。予定にない彼の行動に、慌てふためく同志社大学の教授は「どこへ行くんだ!」と問いただします。するとおじさんは「アメリカですよ!」と返答。重りとして入れていた焼酎入りの瓶を地上に投げ捨て、周囲が唖然とする中、颯爽と大空へ飛び立っていってしまったのです。

「貴乃花と宮沢りえの婚約報道」と同等のトップニュース扱いだった


このエキセントリック過ぎるおじさんの行動は、民放各局のワイドショーにて、連日トップニュース扱いで報じられました。その加熱ぶりは、時を同じくして世間を騒がせた「貴乃花と宮沢りえの婚約報道」と同等かそれ以上。
名も無き一人の元ピアノ調律師が、彼が望む世間から注目される存在となった瞬間です。しかし、それは「冒険家」としてではなく、お騒がせな奇人としての扱いだったのは、言うまでもありません。

さて、風船おじさんの顛末ですが、フライト翌日は携帯電話で「朝焼けがきれいだよ」と家族へ連絡があったものの、2日後には救難信号が発信。ただちに、海上保安庁の捜索機が飛び立ち、天空を浮遊する彼を発見します。
最初は捜索機に向かって手を振ったり座り込んだりしていたものの、突然、SOS信号を自らストップ。雲間に消えていき、以降、今の今まで発見されていません。遺体も遺留品も見当たらないのです。
未だ終わらぬファンタジー世界の住人になった……と言うと、聞こえは良いかも知れませんが、多額の借金を肩代わりするハメになった家族の身になると、たまったものではないでしょう。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりカールじいさんの空飛ぶ家 [DVD]