渡辺喜美氏(元みんなの党代表・元金融担当相)

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■1日でも早い復帰を目指すべきだと思っている

【塩田潮】7月10日投票の参院選に比例代表での立候補を決めましたが、次期総選挙ではなく、参院選に出馬する理由は。

【渡辺喜美(元みんなの党代表・元金融担当相)】私に期待して下さる人たちは異口同音に「衆議院でも参議院でもいいから復帰してくれ」と言ってくれるんです。自分が力も組織もないという立場に置かれて歯がゆい思いをしていて、私自身も1日も早い復帰を目指すべきと思っています。私に期待をかけて下さる方々は全国にいるので、比例代表がいいと思いました。

【塩田】おおさか維新の会の公認で、という選択は。

【渡辺】当選の可能性も当然、考えなければいけませんが、国会に戻って何をやるかが何よりも大事です。旧みんなの党が主張していたマクロ経済政策を現在、いろいろな党が言っています。安倍晋三首相のアベノミクスは、もともとみんなの党が掲げていた成長路線そのものです。首相官邸が主導して積極的に進めている金融緩和、積極財政、成長戦略という路線は、実は自民党の中では割と少数派ですが、みんなの党は自民党の外側から「てこの原理」で応援しました。今、おおさか維新がみんなの党とほぼ同じ主張を展開しています。主義、主張が似通っているのが有力な判断基準となりました。

【塩田】おおさか維新は「党の顔」だった橋下徹・前大阪市長が政界引退を実行中です。

【渡辺】橋下さんは多分、だらだらと長い時間をかけて政治をやるという発想は最初からなかったのでは。でも、もう一度、橋下フィーバーが起きて、知事からあっという間に首相になった細川護煕さんのようなシチュエーションあれば復帰もありかと思います。舛添要一東京都知事の問題がこじれていますから、東京都知事から復帰という線も面白いですね。そういう雰囲気が出てくるかどうか、本人はテレビに出ながらじっと見ているところじゃないんでしょうか。

【塩田】おおさか維新や橋下さんとは、もともとどういう関係だったのですか。

【渡辺】大阪維新の会の誕生には、みんなの党が投じた一石も関係しているかもしれません。2010年の参院選で、みんなの党が約800万の票をいただきました。参院選の直後にできたのが大阪維新の会です。橋下さんから翌11年の統一地方選挙を一緒にやりませんかという申し入れがあり、これは私にとって渡りに船でした。「大阪維新の会公認・みんなの党推薦」という形で一緒にやった。その後、大阪維新が国政政党になるとき、みんなの党はコンテンツを提供した。「維新八策」はみんなの党のアジェンダをかなり採用していますね。そういう経緯があり、私とおおさか維新との関わりは深いです。

【塩田】維新とみんなの党が一つになるという話がありましたが、頓挫しました。

【渡辺】会談が決裂したのは12年の8月でしたが、実は私がみんなの党の代表を退いた後、14年の9月くらいに橋下さんが「お詫びしたい」と言ってきたことがありました。12年8月、橋下さんは「みんなの党を解党して維新に合流したら」と言ってきましたが、みんなの党は当時、地方議員が300人くらいいて、参院選でも800万票を獲得していたので、落とし所としては、合流でなく、相互承認で、公認候補を推薦し合う形を考えていました。「解党は有権者に対して責任放棄になるからできません」と私はお断りしました。

橋下さんは2年後、「あのときは言い過ぎた」とおっしゃった。「けんか橋本」のイメージがありますが、律義で礼儀正しい人ですよ。私は会わなくても電話でどうぞと言って、電話で小1時間、話をしましたね。

■非常事態のときこそ政治の真価が問われる

【塩田】橋下さんがいなくなった現在のおおさか維新をどう見ていますか。

【渡辺】橋下さんは政策・法律顧問という立場を通して事実上のオーナーではないでしょうか。おおさか維新の会はみんなの党同様、「何をやるか」の政策実現を重視する政党ですからね。

【塩田】安倍首相は通常国会の閉会日の6月1日に、17年4月実施予定だった消費税率の10%への引き上げを2年半後の19年10月まで延期することを決めました。

【渡辺】非常事態のときこそ政治体制の真価が問われます。熊本地震が発生し、一方で、経済は急激に需要が消えてなくなる事態ではないけど、リーマンショックを超える状態が進行しつつあるのは事実だと思います。国際商品市況を示すCRB指数(米英の商品取引所で取引されている先物取引価格から算出される国際商品指数)を見ているとわかります。原油価格が底を打ち、CRB指数も160まで下がったのが170とか180くらいになっていますが、リーマンショックのときでも、この指数は200を割っていなかった。ただならない異常事態が起こっても不思議ではない。じわじわときている危機で、それに気づかないといけない。安倍首相は当然、それが頭にあって増税先送りを決めたのだと思います。

14年は財務省が反乱を起こす可能性があったので、増税延期を決断した上で国民に信を問うて総選挙を実施しました。財務省と自民党増税族が連動して起こす反乱を封印するという政治的な意味合いだったと思います。ですが、今回は先送りが既定路線になり、あえて衆議院を解散しなくても、再延期宣言によって党内で反乱が起きる状況はなかった。

【塩田】憲法改正が悲願の安倍首相は、自民党総裁任期満了の18年9月までに改憲実現をと考え、改憲案の国会発議に必要な衆参での総議員の3分の2を確保するために、内心では最後まで衆参同日選の実施に執念を燃やしていたのでは、と見る人もいました。

【渡辺】「密教戦略」としては考えたかもしれませんね。「顕教戦略」と「密教戦略」を使い分けた。顕教戦略として増税で信を問う。密教戦略として自公プラスアルファで3分の2を確保する。公明党が改憲に積極的ではないので、逆に「てこの原理」で自公以外の政治勢力が外部からレバレッジを利かすことで改憲の布石を打つ。それは十分考えられます。ですが、密教戦略を封印し、顕教戦略でも同日選は選択しなかった。まず非常時対応しなければならない事態が出てきたから、それをないがしろにするのは安倍首相の美学にも反する。そういうことではなかったかと思います。

【塩田】渡辺さんは第1次安倍内閣で公務員制度改革担当などの特命相を務めましたが、12年12月以後の2度目の安倍内閣と安倍首相の政権運営をどう見ていますか。

【渡辺】2度目の安倍内閣の政策を見ると、もともと私がみんなの党の時代に主張していたことが採用されています。みんなの党というベンチャー政党をつくり、その後、数個の政党ができました。結果として2度目の安倍政権が誕生し、私が自民党にいた時代から主張していた政策が曲がりなりにも実現しつつある。それは大変、結構なことです。

安倍首相の真骨頂は、歴代内閣で金融政策などのマクロ経済政策に初めて強い価値を持ったことです。そのために日本銀行の総裁と副総裁の人事を行った。この点は高く評価をしています。ですが、アベノミクスとは異質の増税をやったのが最大の失敗だったと思います。異次元の金融緩和と積極財政をやらなければいけないのに、緊縮財政で急ブレーキがかかって消費が伸びなくなり、デフレギャップを拡大させた。インフレ目標が達成できない状況になった。これを正しいマクロ政策に戻すことが肝心です。

■自民党の支持基盤への切り込みはやっている

【塩田】アベノミクスが効果を上げていないのは、産業政策や規制政策、構造改革など、官僚機構が握り続けるミクロ経済政策に切り込めないのが大きな原因では。

【渡辺】ミクロ政策は効果が出るのに5年くらいかかります。思い切ったことができていないという指摘もあります。自民党の支持基盤への切り込みは既得権益に関係する族議員をいかに抑え込むかがポイントです。農協改革では、農協中央会という既得権益集団を解体する法律を通した。本当に解体されるかどうかは今後の運用次第で、株式会社の農地の保有を解禁しないとか不十分な点は確かにあります。一方、自民党の支持基盤だった電力、エネルギーの世界でも小売りの電力自由化を断行しました。今後、発送電分離をどこまで徹底していくかが鍵ですね。

既得権益と統制型システムの背景にある官僚機構については、内閣人事局が第2次安倍内閣でスタートしたのが大きい。第1次内閣時代に私がつくった人事局プランよりもはるかにマイルドですが、それでも各府省の幹部人事にグリップをかける点でかなり威力を発揮していますね。私が着目したのは内閣人事局長の人選でした。警察官僚出身の杉田和博さんという事務の官房副長官が起用されるのではと言われましたが、実際には初代が加藤勝信さん(現一億総活躍担当相)、2代目が萩生田光一さんで、政務の官房副長官が兼務しています。党人派の安倍直系が内閣人事局長を握っている。ここがミソです。仲間内人事はさせないぞという強いメッセージを発しています。

以前だったら、増税見送りと言うと、財務省が政治活動をやって増税派に根回しし、倒閣工作みたいなことをやりかねなかった。今は人事を握られているから、おとなしくしているという状況でしょう。からめ手で規制改革にもつなげていける類の話です。

内閣人事局の機能強化は、ぜひお薦めしたいですね。抜擢も降格もあるというところまで行くと、驚天動地の改革につながると思います。年功序列人事があるために、いろいろな統制型の仕組みが必要になる。天下りで人を送り込んでいくことと統制はセットの話です。岩盤規制の基を断たなければいけない。ミクロの構造改革は、実は公務員制度改革と表裏一体の話と私は理解しています。

【塩田】2度目の安倍政権は、1度目の失敗の教訓を生かして、政権運営の要諦を修得しているようにも見えます。

【渡辺】2回目の安倍内閣は1回目と比べて非常に戦略的です。狡猾になったと言う人もいます。1回目は発足10ヵ月後に参院選があり、時間がなかったため、天下り規制を入れた公務員制度改革を通すとき、正面突破作戦だったわけですが、「自爆テロ」が起きた。

国会の会期を2週間延長し、参院選を1週間ずらして通しましたが、役所が人事で動かすのが天下りで、国家公務員法改正案はその人事をやってはいかんという法案ですから、役所の抵抗はすごかった。安倍さんはとにかく法案を通そうとして、事実、通ったのですが、通すと決断したときから何が起きたかというと、もっとも出来の悪い公務員制度だった旧社会保険庁(現日本年金機構)から、でたらめの「消えた年金記録」が次々とリークされたんです。当時の民主党にもたらされて、長妻昭さん(後に厚生労働相)が国会でリーク情報を基に質問するたびに安倍内閣の支持率が下がっていった。自民党幹事長だった中川秀直さんは「これは自爆テロ攻撃」と言いました。

古来、戦略論の定石は、正面突破ではなく、すべて間接アプローチです。奇襲攻撃あり、背面・側面攻撃ありで、2度目の安倍内閣は非常に上手になっています。霞が関との全面バトルを回避しながら、少しずつではありますが、改革を進めているという印象です。

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渡辺喜美(わたなべ・よしみ)
元みんなの党代表・元内閣府特命担当相(規制改革・金融)
1952(昭和27)年3月、栃木県那須郡西那須野町(現那須塩原市)生まれ(64歳)。栃木県立大田原高校、早稲田大学政治経済学部政治学科、中央大学法学部を卒業。83年から父・渡辺美智雄(副総理、外相、蔵相などを歴任)の秘書を務める。95年に死去した父の後継者として96年の総選挙に自民党公認で栃木3区から出馬し、初当選(以後、2012年の総選挙まで小選挙区で6期連続当選)。1990年代後半の金融危機のとき、「政策新人類」の一人に数えられ、自民党内で頭角を現した。2006年に第1次安倍内閣で規制改革・公務員制度改革担当特命相、07年に金融担当特命相に就任。08年に麻生首相への批判を強め、09年に自民党を離党してみんなの党を結党し、代表に就任。14年に『週刊新潮』の報道がきっかけで8億円の借入金問題が露見し、代表を辞任。離党者続出でみんなの党は解党となる。14年総選挙に無所属で出馬したが、落選した。16年5月におおさか維新の会に入党し、参院選出馬を表明した。著書は『反資産デフレの政治経済学』など多数。落選後、ダイエットで12キロ減量に成功し、スリムに。「以前はよく怒鳴り散らすことがあったけど、落選後はなくなった」と笑いながら漏らす。

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(ノンフィクション作家 塩田潮=文 尾崎三朗=撮影)