Gawkerは消え、報道の自由は死に、金をもつ者が残る

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ピーター・ティールという偉大なる投資家による鉄槌は、ゴシップサイト『Gawker』の息の根を止めたと同時に、メディア、マスコミ、オンラインジャーナリズムのこれからにも影響を与えることになるだろう。ハルク・ホーガンのセックスヴィデオ訴訟から続くゴーカー・メディアの破産のもつ意味とは。

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『Gawker(ゴーカー)』が、死んだ。

ゴーカー・メディア(Gawker Media)は『Gizmodo』『Kotaku』、そして『Lifehacker』のようなクールなテック系サイトを運営している企業で、『Jalopnik』『Deadspin』『Jezebel』といったサイトも有している。

これらのサイトは、ゴーカー・メディアが倒産したあとも、何らかのかたちで生き残るだろう。というのも、ニッチなセグメントにおいて優良な読者を抱えており、それぞれ専門領域における知見をもっている。メディアのありようが広く理解されやすいので、広告主への売り込みも容易だ。誰かしらがこれらのアセットを手に入れて、金を稼ごうとするだろう。

しかし、当のメディア、Gawker自体は生き残れない。いわゆる「ニューヨーク系メディア」で、インサイダー情報を扱うゴシップメディアとして2000年代初旬にスタートした、オンライン上でのスナーク狩りの先駆者は、死んでしまうのだろう。

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創設者ニック・デントンは、新しいタイプのオンラインジャーナリズムをつくったといえる。誰もが知っているけれど誰も言わないことを、誰もが競って真似したくなるような話法で伝えるやり方だ。

その精神は、シリコンヴァレー版Gawkerともいうべき『Valleywag』による2007年の報道にも表れている。その年、Valleywagはペイパル共同創立者でフェイスブック創業にもかかわった投資家、ピーター・ティールがゲイであると伝えた。

執筆をしたオーウェン・トーマス(現在は『San Francisco Chronicle』のビジネスエディター)によると、そもそもティールは友人や同僚に対して自分の性的傾向を隠さなかったというのだが、むしろ記事の焦点は、多くのヴェンチャーキャピタリスト(VC)たちに特有の「偽善」に異議を唱えることにあった。彼らは体制に同調しないことを重視する一方で、異なった性的傾向の噂をひた隠しにする傾向がある。こうした点を追及する姿勢こそ、Gawkerの編集方針といえるものだ。

そして、これこそが、誰一人としてGawkerを生かしておくというリスクを背負うことに積極的にならない理由でもある。

記事の執筆者自身も最近のコラムで指摘しているが、彼の原稿は興味深いことに、ティールの立場を必ずしも貶めるものではない。むしろ「ピーター・ティールは世界で最も賢明なVCでありゲイであり、同氏の健闘を期待したい」と言明している。

しかし、ティールはGawkerの敗訴を導くべく、同サイトの「ジャーナリズム」に苦渋を味あわされた人々を探し求め、ハルク・ホーガンといううってつけの訴訟を見つけたわけだ。

もちろん、この記事投稿がもつニュースの価値には、議論の余地がある。この論争そのものがティール自身の関心に必ずしも適うものでなないのは明らかだ。彼は「平等に発言する機会」などには関心がなく、沈黙を金で買いたいだけだ。

そして彼は、やり遂げた。ハルク・ホーガンへの1億4,000万ドルの賠償金と、長期化する見込みの法廷闘争は、ゴーカー・メディアを倒産に追い込んだ。Gawkerのブランドはジャーナリズムの名に値しない、と思っている言論界の軽薄なメンバーもいるだろうが、これは他人事ではない。世界中のピーター・ティールが、次に自分たちに向かって来るかもしれないからだ。

ゴーカー・メディアは『Gizmodo』や『Kotaku』など、日本でも人気のメディアを展開している。PHOTOGRAPH BY SCOTT BEALE(CC BY-NC-ND 2.0)

米国憲法修正第1項の本質は、言論の自由を守ることだけにあるのではない。その究極的な目標は、活気のある議論を通して、思想の衝突、自由な情報の流れ、自由な市民社会を生み出そうというものだ。

ピーター・ティールは裕福なる有名人であり、そのビジネス手腕と知性は正当に評価されている。彼ほどの地位があれば、言論に言論で戦うことができただろうし、自らの言葉に広く耳を傾けされることもできただろう。それこそ、ティールが貫いてきた自由主義と一致するものだ。

しかし、ティールの「Gawker撲滅運動」は、彼が実は大した自由主義者ではないことを示している。いまや彼は、乱暴なマスコミを金で屈服させる仕組みをつくりあげたも同然だ。同じことは二度と起きないだろう。

あの大統領候補(ティールも支持を表明しているのことだ)は、マスコミをより容易に訴えられるように、名誉毀損法の「範囲を拡大する」ことを公約している。もはや、マスコミとの法的な消耗戦が避けるものでないのは明白だ。『Vox』も『BuzzFeed』も『New York Times』も『WIRED』も、Gawkerは特別な例だと考えている余裕はない。礼儀正しさや理想主義、樽いっぱいのインクの購入が、寡頭政治の独裁者たちからわたしたちを守ることにはならないのだ。

ましてや、いま、多くのニュース機関がその資金繰りに苦労をしている。訴訟の対象となることは、すなわち致命的な結果へとつながることを意味する。この倒産は、Gawkerの敗北だけを意味するのではない。その銃弾は、報道の自由に向けて発射されたのだ。

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