第61回:37回目の優勝

夏場所(5月場所)で全勝優勝を飾った横綱。
注目の稀勢の里戦でも貫録の相撲で勝利し、
その強さを存分にアピールした。
だが横綱自身、決して万全の状態ではなかった。
通算37回目の優勝は苦労の末につかんだものだった。
その舞台裏に迫る――。

 青く澄みきった空が広がり、爽やかな風が薫るこの季節は、日本の四季の中でも特に美しい時期ではないかと、私は思っています。自然の緑も色鮮やかで、故郷・モンゴルの夏の草原を思わせることもあって、なおのことそう感じるのかもしれません。

 そんないい季節に、大相撲夏場所(5月場所)が行なわれました。

 ゴールデンウィークの最終日となる5月8日に初日を迎え、その後も天候に恵まれたこともあって、連日満員のお客さまが両国国技館に詰め掛けてくれました。毎朝、当日券を求めるファンが列をなしていて、そのチケットもすぐに売り切れとなる盛況ぶり。ほんの数年前には考えられなかったことです。

 これはまず、今年初場所(1月場所)で初優勝した大関・琴奨菊や、横綱昇進を目指す大関・稀勢の里の活躍が大きいと思います。そのうえで、ここ最近は生きのいい若手力士たちが躍動。彼らが日々土俵を盛り上げ、場所を通して奮闘してくれていることが、現在の人気につながっているのでしょう。

 いずれにせよ、多くのお客さまが相撲場に足を運んでくれることは、本当にありがたいことです。ただ一方で、国技館に入場できなかったファンの方々には、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 さて、この夏場所を迎えるにあたって、私にはある目標がありました。それは、幕内通算勝利数において、あと1勝と迫っていた歴代最多の魁皇関(現・浅香山親方)の記録(879勝)に並ぶことです。

 そのため、長く横綱を張っている今でも初日の取組は緊張するのですが、今場所は余計に緊張しました。それでも、小結・隠岐の海を寄り倒して勝利。魁皇関の記録に並ぶことができて、ホッとしましたね。

 翌2日目は、先場所黒星を喫した宝富士が相手でした。その分、気を引き締めていきましたよ。結果、寄り切り勝ち。この白星で幕内通算勝利数(880勝)が歴代トップとなって、私のモチベーションはますます上がっていきました。

 その勢いに乗って、中日の8日目には勝ち越しを決めることができました。そして、11日目からは大関戦がスタート。11日目に琴奨菊、12日目には豪栄道を下して12連勝としました。しかし、13日目は同じく12連勝と好調な稀勢の里が相手。厳しい戦いが予想されました。

 なにしろ、先に触れたように、稀勢の里には綱取りがかかっていました。ファンの期待も相当なものがありましたからね。

 そもそも、数年前から「横綱にもっとも近い男」と言われてきた稀勢の里。先の初場所で、琴奨菊が10年ぶりとなる日本出身力士の優勝を飾ると、稀勢の里自身にもそうした自覚が芽生えてきたようでした。それを受けて、「稀勢の里には何としても横綱になってほしい」というファンの思いもかなり強まっていました。中日を過ぎた辺りからは、その期待が一段と膨らんでいることが、周囲の我々にもはっきりとわかりました。

 当事者である稀勢の里本人も、それは十分に感じていたと思います。実際、彼はそうしたファンの期待を後押しにして、白星街道を突き進んでいっているように見えました。

 そうして迎えた13日目、稀勢の里と私が対戦する結びの一番は、まるで千秋楽の優勝決定戦のような騒ぎになりました。稀勢の里が私を倒して優勝するか、その後も白星を重ねて優勝に準ずる成績を挙げれば、彼の横綱への道が拓けますからね。そんな雰囲気になるのも当然のことだったのでしょう。

 緊張感漂う立会い。互いに全力でぶつかっていきました。そして、ともに力を出し尽くした相撲は、私が下手投げで勝利。この大一番を制した私は、翌日の日馬富士戦にも勝って、稀勢の里が鶴竜に敗れたことで、37回目の優勝が決まりました。

 実は、稀勢の里戦を前にして、私は12日目の取組が終わったあと、ある場所を訪ねていました。都内にあるちゃんこ店です。私が所属する宮城野部屋のマネジャーが腕を振るうお店で、そこのつみれのちゃんこを食べることが、私の息抜きのひとつになっています。

 ただこの日は、かつてお世話になった方がお店にいらっしゃるということで訪問。美味しい鍋をつつきながら、懐かしい思い出話に花を咲かせました。今場所は「稀勢の里が大きな壁になる」と、その対戦に向けて緊張感を高めてきましたが、逆にこうした機会をもって、いい気分転換を図ることができました。おかげで、変に気負うこともなく、稀勢の里戦に臨めたのかもしません。

 ともあれ、今場所ほど苦しんで手にした優勝は自分の中でもあまり記憶がありません。というのも、場所前から負傷を抱えていて、場所中にもケガを負って、身体的にも、精神的にもかなり厳しい状況にあったからです。

 ニュースなどでご覧になった方も多いかと思いますが、夏場所前の4月29日、両国国技館での一般公開された横綱審議委員会の稽古総見で、私は土俵に上がって相撲を取ることができませんでした。春場所(3月場所)後の巡業のときに痛めたヒザの具合が芳しくなく、大事をとってのことでした。

 その後も治療は慎重に重ねていましたが、ヒザの痛みがすぐに癒えることはありませんでした。ゆえに、ヒザの回復と相撲の調整のためには時間が必要でした。しかし今年の夏場所は例年よりも早くスタート。これほど不安を抱えて本場所に臨むことは、過去にもなかったことですね。

 加えて、場所の途中で右足の親指を負傷。さすがにこのときは、気持ちが折れそうになってしまいました。それでも、目の前の一番に集中し、結果が出たことで最後まで戦い切ることができました。

 千秋楽に全勝優勝を決めて、場所中は控えているお酒を口にしたときには、心の底から達成感を味わうことができました。両国国技館での優勝も、昨年の初場所(1月場所)以来、久しぶりのことでしたから、うれしさ倍増でしたね。

 本当にやりきった――。

 一夜明け会見の際に今の気持ちを問われたとき、「チョー、気持ちいい!」と発言したのは、自分の中でそんな思いが強かったから出た言葉でもあるんですよ。

武田葉月●構成 text by Takeda Hazuki