フィリピンで高級ラウンジの経営を始めた小澤マリア。黒髪から一転、髪を明るく染め「フィリピン料理は大好きで毎日食べますね。食が合うってすごい大事!」と語る

写真拡大

6年前に引退した人気アダルト女優の小澤マリアが、なんとフィリピンの首都マニラで高級ラウンジの経営を始めたという。なぜ、わざわざフィリピンで開店したのか? 儲かるのか?

さらに情報を探ると、彼女はフィリピンでセレブ並みのVIP待遇を受けているという…。僕らが知らない間に、彼女に何があったのか? オープニングセレモニーに潜入し、本人を直撃!

前編記事(「小澤マリアがフィリピンで高級ラウンジのオーナーに! そのセレブっぷりとは?」)では、まず店での華やかなセレモニーの様子をリポート、現地での絶大な人気ぶりを伝えたが…。

* * *

そんな小澤にフィリピン人のビジネスパートナーから高級ラウンジ出店の話が持ち上がったのは、昨年10月のことだったと、彼女が振り返る。

「フィリピンで芸能活動を始めたばかりだったので大丈夫かなと不安でしたけど、物件を見るうちに挑戦してみようという気持ちになりました。それでコンセプトをみんなで考え、マニラで一番高級なクラブにしようと考えたんです」

フィリピンは近年、6%を超える経済成長を維持し、その発展ぶりは東南アジア域内でも特に際立っている。街には高層ビルやホテルの建設ラッシュが相次ぎ、ラウンジがある複合施設「リゾートワールドマニラ」はそんな現在のフィリピンを象徴したような場所である。空港に近いことからも高級クラブのニーズは少なくないと判断したようだ。

芸能活動の傍らで小澤自身も週に数日は店に顔を出し、ホステスの管理などを行なうという。

「お客からのリクエストがあれば席で一緒に写真撮影することも可能です。お話もできますよ」

そもそも、日本でトップAV女優の地位を不動にしていた小澤が、なぜ海外で活動するようになったのだろうか。

「2005年に19歳でデビューして、1年後には業界の頂点に上り詰めたのを実感しました。普通なら、あとは落ちるだけですよね? だから、飽きられる前に何か違うビジネスをしなきゃと思ったんです。元々、負けず嫌いな性格でとにかく有名になりたかった。そんなことを考えていたら、24歳ぐらいから運良く海外からポンポンと仕事が入って、一気にAVの出演本数を減らすようになりました」

最初の海外での仕事はグアムでのAV撮影だった。その後、中国の劇場でダンスを披露するイベント出演や台湾の映画、タイでは大物ロック歌手のミュージックビデオに出演するなど活動範囲をアジア各国へ広げていき、最終的にフィリピンに落ち着いた。

「他の国よりも働きやすかったんです。人としてフィリピンの方が優しいというか温かみがあるというか。うまく言えないですけど、スタッフと女優の間に壁がない。だからみんな仲間みたいな感覚で、それが肌に合っていたんです」

幼少期、カナダ人の父親とは英語で会話し、都内のインターナショナルスクールに通っていたことからも小澤の英語は流暢(りゅうちょう)だ。これまで活動したアジア各国の中でもフィリピンは英語が圧倒的に通じるという環境も決め手となった。

「それにフィリピンだと、AV女優という過去は、もう昔の仕事だし別によくない?みたいな。だからこの国ではやりやすい。これが日本だったら元AV女優ってだけで、できない仕事がいっぱいありますよね」

日本の芸能界で、AV引退後も活躍する女優はひと握りだ。「有名になりたい」という夢を叶えようとすると、やはりその過去が足かせになる。そんな閉塞感が身に沁みていたからこそ、自身の経歴が障害にならないフィリピンに懐(ふところ)の広さを感じたようだ。

「芸能活動とラウンジと平行しながら、ゆくゆくは裏方として経営者に回る仕事をメインにしたいですね。裸で仕事を始め、だんだん服を着ていくほうが格好良くないですか?」

小澤のフィリピン人マネージャーによると、すでに次の映画出演の話も浮上しているという。

「もう日本にやり残したことはありません」ときっぱり語る小澤。新宿歌舞伎町で3年間経営していたラウンジバーも数ヵ月前に閉店したとのこと。

「あとは日本に置いてある家財道具とか犬とかを全部こっちに持ってこられたらパーフェクトですね!」

(取材・文・撮影/水谷竹秀)