8日、日本テレビ「アナザースカイ」では、昨年50歳で現役を引退した元中日ドラゴンズ山本昌氏がゲスト出演。1988年、その才能を開花させるきっかけとなった野球留学の地、アメリカ・フロリダ州のベロビーチを訪問した様子を伝えた。

「4年間、毎年クビの候補」と苦笑いを浮かべた山本氏は、1984年のプロ入りから4年で1勝も挙げることができなかった過去を持つ。そんな中での野球留学は「今年は一軍では使えない(と球団に判断された)」という意味があったという。

さらにスタジオでは「アメリカの留学が始まってから3週間くらい開幕まであるんですけど、私の野球人生で一番やる気のない時期だった」という山本氏は、「今年アメリカにいて何になるんだ。実際1軍に上がれるわけでもない、大リーガーになれるわけでもない。もしかしたら帰ったらそのままクビって言われるかもしれない。練習しても意味ないって思っちゃった」とその理由を語った。

そんな時、失意の山本氏が変わるきっかけとなったのが、野球留学先のドジャースで指導を担当していた故・アイク生原氏との出会いだった。

「あの時にアイクさんじゃなかったら、恐らく200勝投手・山本っていうのは出なかった」という山本氏は、アイク氏の熱心な指導により技術的な開眼を果たした上、試合で諦めない姿勢を叩き込まれたという。

「私にとってアイクさんは野球の神様です」。こうも語った山本氏は、その年、アメリカで13勝を挙げるまでに成長すると、日本で優勝を目指す中日から帰国命令が寄せられた。

この時のことについて「私は帰らないって言ったんです。あんなに帰りたかったのに。そこでアイクさんに“ドラゴンズが困ってる”と。帰ろうってアイクさんに言われて皆に挨拶して帰るんですけど涙が止まらなかった」と振り返った山本氏。帰国するとシーズン途中から8試合に登板し5勝を挙げる大活躍、チームのリーグ優勝に貢献した。

番組内でベロビーチのマウンドに立ち、1992年に亡くなったアイクさんに引退を報告した山本氏は、「ここに来て初めて“引退したんだな”、“もう投げれないのかな”って思う」としみじみ。「野球は上手じゃなかったけど、努力を続ける才能はあったみたい。コツコツ頑張ってやっていればいつか花が咲く」と言葉を続けた。