川島永嗣(撮影:佐野美樹/PICSPORT)

写真拡大

2014年、日本代表は13試合を戦い、そのうち11試合で川島永嗣が先発でゴールを守った。ところが2015年、17試合のうち川島がピッチに立ったのは7試合。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督就任後はシリア戦までの16試合で、わずか3試合しか日本の最後尾を受け持たなかった。最後に試合に出場したのは、2015年6月16日、シンガポール戦のことだ。

2015年夏、スタンダール・リエージュを退団し、ヨーロッパでの移籍先を捜した。ところがなかなか決まらず、その間に日本代表チームから遠ざかる。昨年末、ダンディー・ユナイテッドへの加入が決定し、今回9カ月ぶりに代表チームに戻った。だが、待っていたのはゴール前のポジションではなかった。

ハリルホジッチ監督は、アフガニスタン戦の前日会見で「エイジはプレーするために来たんじゃありません」「(呼んだのは)我々とディスカッションするためでもありますし、治療するためでもありますし、そして少しトレーニングするためでもあります。第1試合目で23人の中に入ることは考えていません」と川島を起用しない考えを明言していた。

アフガニスタン戦ではベンチ外。一人スタンドで試合を見ることになった。シリア戦ではメンバーに入ったものの、ベンチから戦況を見つめるだけだった。

それでも川島は喜びを感じていた。

「もう一回ここに戻って来れたというのは自分にとっては非常に大きなことだし、もう一回ここでスタートを切れるというのは、そういう雰囲気も含めて、チームのプレーも含めてこれが日本代表のスタンダードだと思うし、その中の一員で自分がいられるというのは自分にとっても喜ばしいこと」

「チームにとっても今日のパフォーマンスはよかったと思うし、ここから自分もチームも、また高い目標を目指していきたいと思います」

ところが、練習には川島も参加して、他のメンバーと同じメニューをこなしていた。監督の話は何だったのか。シリア戦の前に川島に話を聞くと、いつものように丁寧な答えが返ってきた。

普通にプレーしているようだが、とぶつけると、川島は「そうですね」と笑いながら、「(日本に)来る前は右足で蹴るときに痛みがあったので、来る前の試合には90分間出ましたけど、基本的には左でボールを蹴っていた」と明かした。

「だいぶ感触としては良くなってきていますし、普通の動きは問題ないので、ボールを蹴るところで問題があった、でもだいぶいい状態になりました。ほとんど普通の状態には戻ってきていると思います」

そう言いながらも、出場には川島自身が慎重だった。

「無理はできると思います。でも監督はリスクの話をしているし、無理して再発して(完治までが)長くなるのは避けたいと思います」

こういう使われ方をするのを川島はわかっていたようだ。正GKからサブになり、それでも参加したのは何故か。「何かを与えられるためにここに来ているとは思っていませんし、もう一回、自分もポジションを勝ち取るためにやっていかなければいけない」。そう川島は決意している。

自分がいない間に、チームが進化したのを感じていた。「自分がいない間みんなアウェイで厳しい戦いもしていますし、チームとしてはまとまっていると感じています」。しかし、まだまだ進化できるとも思っているようだ。

「自分たちが目指しているところは、これからどれくらいまたクオリティを上げていけるか。日本代表というチームが技術面だけではなくいろんな面で強くなっていけるかなので、自分たち自身が高いところを目指していかなければいけないと思います。新しいメンバーが入ってきていますが、一人ひとりが結果も、そういう部分を求めていくことが大切だと思います」

3番手、4番手に落ちたことを屈辱的だとは思っていないのだろうか。

「自分の中では屈辱的だとは思っていないし、逆にまたこういう場所に戻ってこられるチャンスをもらえたと思っています。常に試合に出られる準備をするのは、どんな年齢になっても変わらないし、気持ちも変わらない」

岡田武史監督時代の2009年、川口能活、楢崎正剛が負傷し、いよいよ第3GK川島永嗣の出番かと思われた試合で、岡田監督は急きょ都築龍太を招集し起用した。川島はそのとき、急に序列が4番目に落ちる気持ちを味わっている。

「そういう辛い気持ちはここまで散々経験してきたので。自分が今やることに集中するのが大切だと思うし、自分の中の自信とか、やれることは変わるわけではないので、それをもう一回自分が証明しながら監督に見せていくしかないですね」

監督がもう1つ心配していた来季の所属チームについて、川島はまだ1年間契約が残っているという。「所属チームなし」の不安が遠ざかった今、また「ドヤ顔」が日本代表のゴール前で睨みをきかせる日が遠くないかもしれない。

【日本蹴球合同会社/森雅史】