若手のホープだった爆笑問題 業界から「完全に干された」過去

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現在数多くの番組にレギュラー出演している爆笑問題。長い間安定した人気を保っているが一時期、完全に業界から干されていたことをみなさんはご存じだろうか。

デビュー直後に早くもブレークした爆笑問題


日大芸術学部で知り合った太田光と田中裕二の二人は爆笑問題を結成し芸人活動を始めた。結成した当初から才能の片鱗を見せ、コント大会で大手事務所の太田プロからスカウト。太田プロ所属後もすぐに『笑いの殿堂』など次々とテレビのレギュラー出演が決まっていく。
まさに若手のホープといえる活躍で、太田自身も自著で当時を「ちょろいなと思った」と振り返っている。

太田プロから独立 干された爆笑問題


しかしテレビに出始めてから2年ほど経過した1990年、状況が一変する。爆笑問題を太田プロへとスカウトした張本人である瀬名英彦氏が爆笑問題を引き抜くかたちで独立したのだ。
太田は2014年の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系列)で独立についてこう言及している。
「『俺がたけちゃんを育てた』って言うから、その人に付いて行ったんですよ。そしたら、後でたけしさんに訊いたら、『あんなヤツ、知らねぇよ』って」
どうやら瀬名氏の口車に乗って独立したはいいもの、これが太田プロの怒りを買って干されたのが真相らしい。この時の太田プロの怒りは相当なもので、出演していた番組もすべて降ろされてしまう。比喩ではなく、爆笑問題がテレビから「消えた」のだ。

「野球ができるから楽しい」田中裕二の衝撃エピソード


仕事がまったくなくなったため、バイトなどで生活費を捻出する必要があった。
田中はアルバイト先のコンビニで店員としての才能を発揮し、副店長に昇進。田中は干されているにもかかわらず、かなり充実しており、伊集院光が「干されるのってやっぱりきついですか?」と聞いたところ、「俺は毎日野球ができるから楽しい!」と笑顔だったという。田中の異常さがよく分かるエピソードだ。

しかし一方の太田はバイトもできず、家でずっと引きこもっていた。そのため、家計は妻の太田光代がパチスロなどによって支えられていたのだとか。

タイタン設立 再ブレークへ


干されてから3年後の1993年、妻の太田光代が変わらぬ状況を見かねて、芸能事務所タイタンを設立した。爆諸問題を唯一の所属タレントとして活動を始めたのだ。
これが契機となり、この年のNHK新人演芸大賞受賞を皮切りに、翌年にはGAHAHAキング初代チャンピオンに輝く。そして再ブレイクのきっかけとなった『ボキャブラ天国』への出演に至ったのである。一度は完全に干されたものの、自らの実力で這い上がった爆笑問題。それだけ彼らの実力が本物だったということだろう。
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