天才テリー伊藤対談「内山信二」(3)心の支えになったさんまさんの存在

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テリー じゃあ、子役のピークが過ぎて、夢のような生活は中学で終わって、普通の高校生になっちゃったわけだ。

内山 ええ、でも3日でやめちゃいましたけど。

テリー アララ、それはまたどうして?

内山 仕事はありませんでしたけど、勘違いは続いてますから、「もう俺が学ぶことはない」と思っちゃったんですよ。それにその頃、金銭感覚も会話もズレて合わないので、友達づきあいもすごく難しくなってきて。高校をやめたあと、数カ月引きこもりみたいになりましたね。

テリー でも、別にグレちゃったわけじゃないんでしょう?

内山 いえ、そのあとに少しでも「内山君」というイメージをなくそうとして、ちょっと荒れちゃいまして。

テリー あ、そこからの非行デビューか(笑)。

内山 わかりやすいんですけど、頭を金髪に染めて周りを牽制していましたね。「最近テレビで見ないね」とか「昔はかわいかった」って声をかけられるのが、本当につらいので、先にキレてみせるんですよ、「誰が内山だ、バカ野郎!」みたいな感じで。

テリー うん、その気持ち、わかるよ。

内山 その頃、正直、芸能界もやめようと思ってたんです。そんな時、僕の目を覚まさせてくれたのが、(明石家)さんまさんなんですよ。「今、舞台やってるんだけど、お前どうせ暇やろうから出ろ」って、突然、連絡をくれたんですよ。

テリー へぇ〜、さんまさんは内山君のそんな状況を知ってたのかな。

内山 そうですね。だから、その舞台のおかげで「まだ芸能人だ」という意識は持つことができて。それをきっかけに気持ちを立て直して、バイトを始めたんです。古着屋さんとかガソリンスタンド、あと地元の先輩の紹介で引っ越し屋さんで働いたりして。

テリー そうすると、お金を稼ぐことの大変さもわかってくるよね。

内山 はい。で、そうこうしていた19歳くらいに、デブにとって画期的な番組「(元祖!)でぶや」(テレビ東京系)が始まりまして。

テリー 石塚(英彦)さんとパパイヤ(鈴木)さんの「まいうー」がはやった番組だね。

内山 そこにゲストで呼んでもらえるようになったことをキッカケに、少しずつテレビに戻ってこれたんですよね。だから、さんまさんの気遣いと、「でぶや」がなかったら、ホントにやめていたと思います。

テリー よかったなぁ。さんまさん、大恩人だね。だって内山君、トークも本当にうまいけど、それもさんまさんのおかげでしょう。

内山 いや、ホントです。共演させていただいた「あっぱれさんま大先生」でトークスキルは本当に鍛えられましたから。あとは、坂上忍さんの存在も大きいですね。

テリー あ、同じ子役出身だものね。

内山 ええ。やっぱり子役って、どうしても一度落ちる時期、「子役氷河期」があるんですよ。どんなにかわいい子でも、ヒゲが生えたりニキビができたり、まあ、だいたいブサイクになります(笑)。

テリー そう? 内山君はあんまりイメージ変わらないけどね(笑)。

内山 それでもまたあんなふうに復活された坂上さんの姿は、僕にとって大きな励みになりました。