【新コラム】ネイマールに宿る、サッカーの本質とは?

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ブログ「大人になってから学ぶサッカーの本質とは」を運営しているKEIです。

この度、“Qoly”でコラムを書かせて頂くことになりました。

外国人リーグでプレーする傍ら、育成年代の指導にも携わり、独自の視点でサッカーの本質を捉え、サッカーの魅力を発信していきます。

日本にはまだまだサッカーの面白さ、奥深さが浸透していないと思います。

世界で活躍する選手もたくさん出てきて、つい先日はリオ五輪出場も決めました。

日本サッカーはここ数年大きく成長したと思います。しかし、世界のトップレベルとの差は縮まっていないと私は感じています。

世界のトップとの差は何なのか。

サッカーの本質とはいったい何なのか紐解いていきたいと思います。

サッカーの本質を紐解くヒントが詰まった選手がいる。

多くの日本人が忘れてしまったサッカーをプレーする喜びを、観る者を楽しませるプレーを魅せてくれる選手がいる――。

初回のテーマは“ネイマールに宿るサッカーの本質”です。

ネイマールというブラジル人クラッキがいる。

彼の表現するプレーは、見る者の感情を揺さぶる。

身体から湧き出るようなリズム、柔らかく鋭いフェイント。

そして不可能を可能にしていくそのボールタッチに人々は酔いしれる。

彼の紡ぎ出す表現には、サッカーの本質が詰まっている。

ネイマールのドリブル

サッカーは90分の中で、それぞれがリズムを揃える瞬間もあれば、誰かがリズムを変える瞬間もあれば、誰かがリズムを刻み始める瞬間もあれば、誰かがリズムを加速させる瞬間もある。

これは誰もが予定できないことなのだ。

予測ができない選手。常識が通用しない選手。それがネイマールでありネイマールは常に本能的で野性的な感覚を大切にしている。

感覚が思考を凌駕する。それがサッカーだ。

サッカーの神様は「自分を解放しろ」と言っている

サッカーで大事なのは自分を表現することである。自分の感情をボールにのせること。

サッカーは自分を制御することよりも、いかに自分を解放するか、表現するかということを突き詰めるゲームなのである。

自分の内から湧き出るものを解放すること。

ピッチで自分をさらけ出すことができなければ、真剣な遊びも真剣勝負もできない。

ネイマールは常に自分の感覚に忠実なのである。自分をさらけ出すことをためらわない。

そこに彼の魅力があり、サッカーの本質がある。

ネイマールのドリブル

「僕には自分のスタイルがある。人の真似はしないし、誰かに似ようとも思わない」

ネイマールの言葉だ。

自分のリズムを刻むこと。チームメイトそれぞれのリズムを知ること。チーム全体のリズムを感じること。相手のリズムを感じること。そしてリズムで遊ぶこと。

自分のリズムを愛することなしに、誰かのリズムを愛することはできない。

ネイマールはピッチで自分の良さを出すために常に考え、感じ続けている。

どこにいるべきか、どこでボールに触るべきか...

ネイマールは空間をつくり、そこへボールと身体を滑り込ませる。

圧倒的な武器を最大限生かすための知恵が備わっている。

サッカーはボールと身体の感覚がとても大切

サッカーは理屈よりも身体で感じることからはじまる。“考える”ことが重視されすぎると“感じる”ことや“感覚”がないがしろにされたりする。これは子供に限らず大人もそうだ。

言葉で表現できることなんてたかがしれているし、本当に大切なことは言葉にできないことの方が圧倒的に多い。サッカー選手は言葉にできない“なにか”を表現する人でもある。

言葉で表現できないところにサッカーの本質はある。そして、サッカーをする上でなにより大切なのは喜びを表現することであり、喜びを与えることである。

ネイマールはピッチで己を表現し続ける。

以前、ネイマールは日本との試合後にこう言った。

「日本代表は必死さが足りなかった。僕らブラジルでも泥臭く攻め続けるのに格好を気にしているように見えた」

きっと日本代表は必死にプレーしていたんだと思う。ただ、ネイマールにはそう見えなかった。これは自分を制御することがサッカーでは大切だと教わる国と、自分を表現することがサッカーでは大切だと教わる国の違いだ。

サッカーは“自分を表現すること”がなにより大切なんだと、ネイマールは私たちに言っている。

サッカーの本質を追求する旅はつづく…