ピカチュウ、名前が原因で出世を妨げられていた?

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今月16日、パイサンドゥのDFイアゴ・ピカチュウはヴァスコ・ダ・ガマと3年契約を結んだ。

サントス、フラメンゴなどへの移籍を噂されたなか、23歳のピカチュウが選んだのはロマーリオ、エジムンド、ジュニーニョ・ペルナンブカーノらを輩出したリオの名門だった。

ヴァスコは今年のブラジル全国選手権で18位に沈み、2016年はパイサンドゥと同じ2部で戦うことになる。しかしヴァスコの英雄ジュニーニョ(とマルコス・アスンソン)のフリーキックに影響を受けたピカチュウにとって、今回の決断に「迷いはなかった」のだという。

こうして2005年の加入以来10年間所属したパイサンドゥを離れ、名門での新たな船出に舵を切ったピカチュウ。その個性的な登録名によりブラジルでもじわじわと知名度を上げているが、実は以前からその名前のために偏見を受けていたのではないか?出世を妨げられていたのではないか?という“都市伝説”があったことをご存知だろうか。

ピカチュウの本名はグライビソン・イアゴ・ソウザ・リスボア、ピカチュウという愛称は9歳の時に入ったフットサルチームのコーチが付けたものだ。

それは彼がチームで最も小さく、最も素早かったこと、ピカチュウの絵を描いていた?ことに由来するのだという。この時のチームは全ての子供に愛称を授けていたようで、ピカチュウの3歳年上には“ガチョウ"と呼ばれた選手もいた。その選手とは後にサントスでネイマールとともに一大センセーションを巻き起こすブラジル代表MFガンソ(現サンパウロ)である。

それからピカチュウは2005年にパイサンドゥの下部組織へ移り、2012年、全国選手権3部でデビュー。この年いきなり6ゴールを決めると、サンパウロ州の名門パウメイラスが早くも接触を図った。

しかしJリーグでもプレーした元ブラジル代表セーザル・サンパイオがマネージャーを務めていたパウメイラスとピカチュウの移籍交渉は決裂する。同じポジション(右サイドバック)の選手の加入が決まったことに加え、当時の会長は、

「その名前の選手を雇うことは困難だね」

と、なんと“ピカチュウ”という名前が理由だと述べたのである。

これが冗談だったのかどうかは不明だが、何とも理不尽な理由でピカチュウはビッグクラブへの移籍を断たれることになった。

しかしピカチュウはその後、ブラジルでは珍しくパイサンドゥ一筋で活躍を続け、今年、コパ・ド・ブラジルでフルミネンセ相手にゴールを決めたことから再び全国区の話題に上る存在となっている。

「私はこの名前で偏見を受けたことはないし、むしろこの名前によってたくさんの繋がりができたと思っています」

ピカチュウ自身も当初はこの名前が好きではなかったが、次第に慣れ、今ではお気に入りになっていることを明かしている。

さらに、今回ヴァスコに加わることになった際のインタビューで、名前によって移籍を拒否されたという噂を否定し、新天地での更なる飛躍を誓った。

「実際のところは分かりませんが、(噂のような事実は)ないと思います。(だから)動揺は全くありませんでしたね。私は常に、現在のような機会を示すために懸命に働きました」

「何人かの選手がヴァスコから大きく飛躍し、その後、欧州でも輝きました。このクラブは多くの扉を開きます。これは私にとって絶好の機会ですよ」