タフさに欠ける五輪代表。現状打破のカギは南野拓実の事例にある
サッカー・リオ五輪予選が危うい(2)
世界サッカーを標準にした場合、日本の若手選手の育成環境は危機的とも言えるかもしれない。
「素質だけを考えれば、日本人の若手選手も悪くはなく、とくに技術センスは低くない。ただ、勝負に対する脆さを感じる。高いレベルでの試合経験を重ねたら、自ずと勝負感覚が磨かれるはずなのだが」
ある欧州のスカウトはそう言って残念がった。真剣勝負の場数の差は、大きく出るのだろう。
例えばU−22代表の植田直通(鹿島アントラーズ)は「ヘディングが強く、キックがすばらしい」と評されている大器だが、武器を持っていてもそれを使いこなせていない。Jリーグではどうにかごまかせても、アジアチャンピオンズリーグのような強度の高い試合では実力を出し切れなかった。ヘディングが強くてもマークを見失い、準備動作でポジションが悪かったら、名刀を振り回しても当たらないのに等しい。
その点、興味深いのはオーストリアに渡った南野拓実(ザルツブルク)の進化だろう。
素質としてのプレーセンスの高さはセレッソ大阪時代から定評があった。しかし昨季はザルツブルクに移籍後、ヨーロッパリーグのビジャレアル戦では未体験の圧力にうろたえ、完全に腰が引けていた。それが今シーズンは開幕からスピードやインテンシティに順応。試合の中で自分のプレーを出せるようになりつつある。踏みつけられても立ち上がり、ポジション争いに身を投じ、"負けられないゲーム"を数多く戦うことで、どんな敵にも対処できる懐の深さを身につけつつある。
日本のリオ世代の多くは、競争力が欧州のトップリーグに劣るJリーグでもプレー時間を増やすのに四苦八苦している。
そこでJリーグでは若手強化の一環として、3部リーグに相当するJ3でU−22選抜が設けられたが、効果はほぼ望めないだろう。なぜなら、プロの世界ではポジションは自らつかみ取って初めて自信を得られ、成功体験として実利となる。定位置を争うことそのものが、味方だけでなく相手に対してもコンペティティブな選手になることを意味する。
U−22選抜は勝っても負けても、所属クラブに帰るだけ。実質的なU−22代表とも言えるU−22選抜がJ3で町田ゼルビアに完敗するなど、内情は深刻と言えよう(来季に向けてFC東京、ガンバ大阪、セレッソ大阪などが若手中心のBチームをJ3に送り込むという案は、欧州リーグでもスタンダードの一つで、純粋な競争となり得るだけにアイデアとして真っ当だが)。
結局のところ、日本では育成からプロという段階で選手が正しく淘汰されていない。
日本サッカー界は今、各都道府県内の有力選手のほとんどがクラブユースに入団しているが、プロとして頭角を現す確率は断然、高体連組(高校のサッカー部でプレー)が多い。まさに捻(ねじ)れた実情である。昨年10月のブラジル戦は本田圭佑らをベンチに置き、若手中心だったにもかかわらず、11人中10人が高体連出身者だった。
戦える才能を見抜けているのか? そう疑わざるを得ず、スカウティングから育成を見直すべきなのかもしれない。選手の値打ちを正しく評価できているのか、不審を抱かざるを得ないのだ。
例えば世界的代理人のジョルジ・メンデスは、ろくにリフティングもできなかったジエゴ・コスタが17歳のとき、前半で退場した試合でその才能を見抜いている。力強くボールをゴールに運ぶ一瞬だけで、ストライカーとしての価値を判断。迷わず欧州に連れて行っている。
クラブフロントがプロとして本質を見抜く目がなければ、才能も埋もれる。
さらに言えば、育成においては、理不尽をはねのけられる反発力をどう養わせるのか、がひとつの鍵になる。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすというが、バルセロナの指導陣はリオネル・メッシが下部リーグでプレーしていたとき、ベテラン選手からラフなチャージやタックルを受けるのをむしろ奨励していた。なぜなら、その程度で生き残れない選手がトップで栄光を勝ち取ることはできないからだ。
「選手が壊れてしまう」
日本では選手保護の方が優先される。それはひとつの正論なのだろうが、ぎりぎりの勝負をしてないとタフな選手も生まれない。
では、リオ世代の活路はどこにあるのか?
歴史は語りかける。その言に従えば、やはり過去の五輪世代に学ぶべきなのだろう。
(続く)
小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki