東京人生ゲーム:41歳学芸大学で始めた「他人と比べない暮らし」
慶應大学卒業後とある総合商社に勤めた拓哉。20代を「渋谷」「西麻布」で過ごし、挫折を経験し「蒲田」へと引っ越す。その後スタートアップ企業「5MINUTES」へと転職し、経営幹部に。「芝浦」「広尾」と引越し、上場も見えてきて上り調子だったはずの拓哉の41歳の時のお話。
東京人生ゲーム第5話:上場が見えてきて広尾で暮らす38歳。順風満帆なはずだが?
先週もこの連載をご覧になったみなさん、41歳になった僕はどうなるんだろうと想像しましたか?ストックオプションでウハウハ(笑)し出して、「ムカつく!」って思った方もいたかもしれませんね。
実は、39歳の時に5MINUTESを退社しました。
ストックオプションについて、社長のタケシに聞いてみたんです。「ストックオプションのないスタートアップなんて、ドロップキックだよ(笑)」って、業界の経営幹部仲間何人かから言われて、経営幹部であればもらっているのが普通だと聞いていたので。すると、「ストックオプションをどう付与するかを決めるのはCEOの価値観それぞれで、一般論で語られるものではない」と一蹴されました。
もちろん、僕はストックオプションのためだけに頑張っていたわけではありません。大企業の名刺を捨てて5MINUTESというベンチャーに転職して、暗中模索しながらもやればやるだけ売上が伸び、仕事自体にやり甲斐を感じていました。年収も1,200万円まで上げてもらいました。たしかにタケシはCEOとしてリスクを取っていて、それ相応のリターンを受け取る権利はあると思います。ただ、これから上場という時に、側近の僕らともリターンを分かち合おうとか、そういう考えになっても良いと思ったのに...
最終的には「そんなに金のことをいうなら、無理に働いてもらわなくてもいいよ」と言われ、なんだかやる気がなくなりました。虚しさを覚えましたね。
結局僕が40歳の時に5MINUTESは上場しました。公募時時価総額100億円に対して、初値で300億円の時価総額を付けていました。時代の寵児としてタケシはもてはやされて、彼は公募時の売出しで5億円程度のキャピタルゲインを得ていたようです。
そして、ハローワーク通いの日々
39歳での5MINUTESの退社。上場直前の企業から経営幹部が抜けるというのは、世間的にはネガティブな見られ方をするようです。僕くらいの立場であれば、ヘッドハンティングとかたくさん来てもいいはずだと思っていたのですが、思ったほどオファーはありませんでしたね。
ちなみに、BeNAから転職してきた僕の後任のCOOはストックオプションをもらっていたようです。風の噂によると、タケシは僕の働きに満足していなくて、ストックオプションを与えないことで僕が出て行くように働きかけたようです。「本当に抜けて欲しくない人材だったら、意地でも引き止めるさ」そう彼は社内に漏らしていたようです。僕に実力がなかっただけですね。情けない限りです。
春香は僕が辞めた後も5MINUTESで奮闘していました。タケシと揉めて会社を飛び出し、精神的に疲弊していた僕に、「しばらく充電して次に何をしたいかゆっくり考えるといいよ」って言ってくれました。
彼女の収入だけに頼るわけにはいかず、とはいえすぐに転職する当てもなく、ハローワークに半年ほど通いました。失業手当で前職の月収の6割程度が給付されます。素晴らしい制度ですね。
さすがにハローワークに通う身で、春香の収入があるとはいえ、広尾のビンデージマンションに住み続けるわけにもいきません。家賃を抑えるために、引越しをすることにしました。
渋谷、代官山、中目黒、そして・・・学芸大学?
「渋谷、代官山、中目黒、そして・・・学芸大学」?
春香と話した結果、引っ越し先に選んだのは「学芸大学」です。広尾のような都心からは若干離れますが、渋谷まで急行で6分と都心に出やすく、家族住まいが多い住宅街です。
駅を出て西口・東口共に商店街になっていて、スーパーやドラッグストアも多い。毎週のように港区のレストランを徘徊していた広尾時代と比べ、自炊に向く、地に足のついた暮らしができそうな街です。
新しい住まいは鷹番2丁目で2LDKの賃貸マンションにしました。家賃は18万円。58平米とさほど広くはないけど、まあ暮らせないこともないです。ばびろん系列でも、マテリアル・ガールでもない春香は広尾のビンテージマンションに固執することもなく、「学芸大学って住みやすいのね。案外気に入っちゃった。拓哉さん、働いてない分、晩御飯くらい作ってね」と言ってくれています。なんて柔軟性のある子なんでしょうか(笑)
学芸大学はハローワーカーな僕でも(笑)気軽に入れて、懐が痛まない美味しいレストランがいくつかあります。人気筆頭は『オステリア バル リ.カーリカ』でなかなか予約が取れないらしいけど、夜遅めに行くと案外入れるらしいです。最近オープンしたらしい、『地中海料理 Oliva』も気になります。
駒沢通り沿いの洒落たカフェ『エンポリオ』もお気に入りです。茶蕎麦のペペロンチーノという珍しいメニューがあります。反対側の目黒通り沿いまで行けば、スタイリッシュな空間が魅力のホテルも擁する複合施設の『CLASKA』もあります。ここでたまに10時とかに遅めの朝食を食べますね。
あと、お隣の都立大学にはなるけど、少し足を伸ばしてでも行きたいのが有名中華の『わさ』。ここの炒飯は本当に美味いので、遠方からでも赴く価値アリですよ。
最近、ネットで見たマンションポエムの話で、「渋谷、代官山、中目黒、そして学芸大学」という野村プラウドのコピーを見かけました。無駄に「そして」がついてないなと少しだけ納得できるほど、案外充実してますよ?学芸大学。
この駅名を並べただけのコピーに「祐天寺の立場は?(笑)」というツッコミが多くあったようですが、とにかく学芸大学はバランスのとれた良い街ですよ。プラウドも意味がないようで、深いコピーを書いてきますね(笑)。
あ、残念ながらうちは「プラウド学芸大学」ではありません。
春香の妊娠が発覚。そして結婚へ
そんなこんなで学芸大学に引っ越した39歳。ハローワーク生活を続けながら、次に何をするかを考え続けていました。その矢先、春香の妊娠が発覚したのです。タイミング的に順序が逆になってしまったけれど、結婚するなら彼女しかいないと思っていました。いわば“ヒモザイル状態”になっていた僕でも見捨てずに一緒にいてくれて、31歳になっても「家の片隅にゼクシィ」という“ゼクハラ”を仕掛けてこなかった人です。
自分が無職であることも構わず、「結婚しよう」って言いました。すると彼女は「おせーよ」との四文字。しかしその後の笑顔は、「やっと言ったか」という表情で、答えがイエスであることは明らかでした。
なぜ僕のような頼りないやつを選んでくれたのでしょうか?「私がいてあげなくちゃって」母性本能をくすぐられていたらしいです。それだけらしいですよ。まったく、頼もしい限りです(笑)
春香は出産後も働くつもりのようですが、出産時には休職します。すると、世帯年収はゼロです。
やばい。さすがにそろそろ働いて稼がないと。
転職することも考えましたが、結局、自分で事業を立ち上げることにしました。
拓哉が立ち上げた事業とは・・?
東京資本主義に疲れ、カウンターカルチャーへ傾倒
実は資本主義に嫌気が差している自分がいました。5MINUTESを辞めたのも、結局ストックオプションで揉めたことが引き金でしたが、今振り返ると自分は何て小さいやつなんだと思いますね。そういった株とかに惑わされず、小さくてもいいから実体経済で、自分の足で立ちたいと思うようになりました。
そうしてたどり着いたのが、伝統工芸品やハンドメイド品の販売です。
アメリカではリーマンショック以後の世界で、大量生産大量消費の資本主義に疲れたカウンターカルチャーとして、ポートランドを中心とした地産地消やハンドメイドにこだわる生き方が、注目を浴びていました。日本でも最近『KINFOLK』がかなり人気を博していますよね。清澄白河にできた『ブルーボトルコーヒー』も、そういう流れです。
その気持ち、すごくよくわかったんです。
資本主義って結局他人と自分を比較し続けなきゃいけない世界で、東京では上には上がいる。蒲田に住んでいた頃、東京の大海を知らず。な状態でしたが、他人と比較していてもキリがないってことに、ようやく気付いたんです。
5MINUTESの時、あのまま上場してストックオプションでキャピタルゲインを得て、一瞬ウハウハ(笑)できても、満たせたのは虚栄心だけだったのかもしれない。自分に軸がなく、東京の“出世圧力”に押し潰されないように、戦っていただけなんじゃないかな。
そういうのには、もう疲れてしまったんです。
伝統工芸品販売の「CRAFT JAPAN」を設立
40歳の時になけなしの貯金を叩いて、資本金500万円で「CRAFT JAPAN 」を設立しました。資本金を食いつぶしながら事業を始めて行ったのですが、創業後半年経った頃には5MINUTESの時のようにベンチャーキャピタルではなく、銀行借入で資金調達をしました。日本の伝統工芸品に代表されるハンドメイド作品は、今や世界中に欲しがる人がいます。インバウンドブームも視野に入れた事業で、将来的にはリアル店舗を持ちたいと考えています。
ちなみに家の近所の鷹番3丁目にはFOOD&COMPANYというグローサリーストアがあり、KINFOLK的な文脈で注目されているようです。こういうオーガニックにこだわったていねいな暮らし、いいですよね。どこから仕入れたのだろう?と思うほど、普通のスーパーや同じような洒落たグローサリーストアでは見かけないモノばかり。家から物理的に近いということもあり、通っていくうちに、その思想に影響を受けるようになりました。
まずは東北や北陸地方を周って伝統工芸品を100種類ほど仕入れて、「Etsy」に出品することから始めましたが、3日も経たずして完売しました。モノを仕入れて売るというのは商社でやっていたような仕事で、PLなどの肌感覚もあり、事業は最初から比較的順調に回り始めました。5MINUTESでは最終的にはあまり役に立っていなかったようですが、やっぱり自分には商才があるんじゃないかと思ってしまいましたね(笑)
41歳の今は、新米中小企業経営者として、なんとかやっている感じです。春香も出産を機に5MINUTESを退職して、CRAFT JAPANを手伝ってくれるようになりました。家族経営ですね。自宅がオフィスで、仕入れた伝統工芸品の置き場がなくなってきて困っています。利ざやも薄く、スケールしないと儲からず大変ですが、自分でしっかり事業をやっているんだという手応えを得始めることができています。
もう僕は他人と比較する人生には懲りたんです。春香と娘を幸せにすることを第一に、この会社の経営を成り立たせていきたいと考えています。
5MINUTESを退職し、ハローワーク通いも経た結果、伝統工芸品を扱うCRAFT JAPANを設立した拓哉。44歳の彼はどこで何をしているだろう?
次回最終回:12.27日曜「18時」更新予定
