ギャスパー・ノエ最新作『ラブ(原題)』に出演のアオミ・ムニョック(左)&クララ・クリスティン(右)/写真:SPLASH/アフロ

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あなたが監督だとする。セックスを自由に描いていいとする。しかも3Dだ。どんなシーンを描く?

【写真を見る】ギャスパー・ノエ監督の最新作『ラブ(原題)』は3Dでの性描写が最大の見どころ/写真:SPLASH/アフロ

3Dとなると、“飛び出す”のがお約束だろう。せっかくの遠近法を強調しなければ損である。ホラー映画であれば、斧が振り降ろされたり、首が飛んで来たり……となる。セックスで何を飛び出させるか?と問われれば、決まっているではないか。雄記号と雌記号、どちらが飛び出て、どちらがへこんでいるのか?こういう私の妄想通りのシーンが、やっぱり出て来たのには笑った。巨匠も私も同じ男、考えることは一緒なのだ。

スペインで10月9日〜18日に行われたシッチェス国際ファンタスティック映画祭で、ギャスパー・ノエ監督作『ラブ(原題)』(日本2016年公開予定)を観た。同映画祭が扱う「ファンタスティック」の定義には、ホラー、スリラー、SF、サスペンスとともにエロも含まれているが、それはエログロとしてのエロであり、芸術としてのエロではない。その点、モニカ・ベルッチへの暴力的な強姦シーンが話題になった、同じギャスパー・ノエ監督の『アレックス』(02)は、シッチェス規準を満たしていると言える。しかし、「セックスを通して愛を描きたかった」と上映前の舞台挨拶で監督が言っていた『ラブ』は、ここで上映されるべき映画だったのだろうか?今年5月にワールドプレミア上映されたカンヌ映画祭こそ、まさにふさわしい舞台ではなかったか。

なにせ、肝心のセックスシーンがグロではないのだ。肉と肉がぶつかり、こすれ合って、汗も吐息も混じるセックスはいくらでもグロに描ける。これはその辺のポルノ動画サイトを覗けばすぐにわかる。しかし“ポルノ映画でない”というプライドからなのか、色もアングルも綺麗にセックスシーンが描かれており、これはどう見ても芸術であって、肉体による肉体の征服という暴力的なリアルさも感じさせない。

加えて、セックスを用いて愛を語ることを目的化していることで、セックスと同じくらい愛の重要な構成要素である言葉や表情によるコミュニケーション描写が希薄で、主人公の人物像も関係性もよくわからない。特に、彼らがなぜ多彩な性癖を持つようになったのかはこの物語を理解するための重要なカギだと思うが、“セックスのマンネリ化を防ぐため”という中年夫婦のような理由しか伝わって来ないのだ。

性器が映っていれば“衝撃作”と騒がれる日本と違って検閲のないスペインでは、セックスシーンくらいでは誰も驚かない。だからこそ3Dという刺激を加えた、とは考えたくない。赤裸々なセックス描写のある映画は嫌いではない。『アンチクリスト』や『ニンフォマニアック』(ともにラース・フォン・トリアー)や『ベーゼ・モア』(コラリー・トラン・ティ)、『インティマシー』(パトリス・シェロー)、『ブラウン・バニー』(ヴィンセント・ギャロ)はすべて検閲なしで見て、それなりに気に入っている。セックスをあえて描かない、裸を出せないというのは、創作の不自由でしかないとも思っている。

3Dで135分間セックスに次ぐセックス、と聞けば一見楽しそうである。しかし、シッチェス風のエロを期待していた私には場違いだった、としか思えない。ついでに言えば、「未成年者禁止だから身分証明書を持参しろ」と警告されてあったのに実際はフリーパスだった。ただ、たとえ未成年者が混じっていたとしてもあれではトラウマにはならず、その点は良かったかもしれない。【取材・文/木村浩嗣】