ユーロは今回2016年大会から本大会出場チームが16から24に増加。とりわけ有力国には、緩い設定になった。スペイン、ドイツなどは、落選の可能性が低いからか、最後までテスト色の濃いメンバーで予選を戦う余裕があった。

 それだけにオランダの落選が痛々しく見える。オランダの「予選落ち」は、2002年日韓共催W杯以来の失態だが、その時の欧州枠は15。今回のユーロに比べると狭き門だ。同じ落選でも意味合いが違う。

 2002年は戦力的には問題なし。間の悪い番狂わせを許しやすいサッカーをしていたことに原因があった。それに対して今回は完全な力負け。プレイの質そのものが低かった。しかも、結果は負け越した(4勝5敗1分)挙げ句、グループ4位。惜しいという感じがまるでしない敗退劇だった。問題の根は深いーーとは、前回でも述べたことだが、その姿と重なって見えるチームが僕にはある。同じオレンジ色のユニフォームをチームカラーにする清水エスパルスだ。

 オランダと言えば、W杯準優勝3度を誇る世界の強豪。W杯本大会の第1シード国だ。それが今回、欧州で24番以内にも入れなかった。J1で強豪と言われたチームが、J2に転落するようなものだ。清水は10チームで始まったJリーグの初年度から在籍していたオリジナル10。以降23年間、鹿島、名古屋、横浜とともにJ2に一度も降格したことがない老舗チームのひとつでもある。

 だが「清水」は、Jリーグが発足する以前から知られた存在だった。と言うより、日本で最もメジャーな存在だった。それ以前の世の中は、打倒清水で回っていた。もう一つシンボリックな存在として、読売クラブが挙げられるが、対抗軸になっていたわけではなかった。当時、日本のサッカー界で最も注目を集めたイベントは冬の高校選手権。清水はそこで圧倒的な力を示していた。

 静岡県の代表は、清水勢のみならず、どのチームが出場しても決勝まで行く力を備えていた。静岡県内でベスト16に進出したチームは、全国大会ではベスト8は十分に狙えそうな力があった。

 静岡と他県との間にはそれほどのレベル差があった。その静岡のサッカーを清水はリードしていた。静岡県内では打倒清水。全国大会では打倒静岡。高校サッカー界はそうした構図を描いていた。

 少年サッカーの構図も同様。清水FCは日本の少年サッカー界のリーダー的な存在で、その高度な少年サッカーのレベルが高校サッカーに引き継がれていた。もちろん、日本代表に上り詰める選手も数多くいた。

 サッカーには独自のスタイルがあった。一言でいえば攻撃的。支配率の高いパスが多く繋がるサッカーだった。清水FCの定番として使用していた布陣は3−3−4。後にオランダのサッカーを見た時、クライフのバルセロナのサッカーを見た時、思わず、似ている! と思ったものだ。その結果、打倒清水に燃えるキック&ラッシュ型のチームに時々、不覚をとる姿も共通していた。争い事を好まない県民性がそうさせるのか、大一番に弱く、準優勝が多いという点でも一致していた。ある意味での余裕を感じさせたものだが、Jリーグが始まるとそういった特別な感じ、いわばカリスマ性は、このクラブから次第次第に薄れていく。成績も大抵中位。清水のサッカーがかつてこだわっていたものは、いつしかすっかりなくなってしまった。

 清水に変わって、サッカー王国静岡の面目を保ったのは磐田。独自のパスサッカーで2000年を挟んだ数年間、トップの座を維持した。しかし2000年代中頃に入ると成績は急降下。2013年にはJ2に陥落した。そして青息吐息の状態だった清水も今季陥落。静岡は地に落ちた状態にある。

 現在、日本代表選手は長谷部1人。療養中の内田を含めても2人。清水生まれは0だ。いい選手が少なくなったことは確かだ。全国的なレベルの上昇という外的な要因もあるが、内的な要因も多分に含まれている。育成に失敗したことは間違いない。