フレッシャーズ編集部

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時代劇の定番キャラである「お代官様」。「おぬしも悪よのぅ」と、商人とつるんで私腹を肥やす悪者の代名詞になっているが、本当はため息がでるほどツラい仕事だったのはご存じでしょうか。現代なら都道府県の「知事」に相当する役職で、ドラマでも絶対的な権力者として写し出されていますが、じつはたいした予算も権限も与えられず、幕府と農民の板ばさみにされた中間管理職でした。もめごとが起きれば仲裁、不満を持った農民からは上司に直訴されと、イメージとは真逆のかわいそう過ぎる職業だったのです。

■かなり薄遇だったお代官様

現在の都道府県に対し、江戸時代は「藩」が存在したのはご存じでしょう。ほとんどの藩は大名によって統治され、土佐藩なら山内家、薩摩藩は島津家が藩主として「知事」以上の役目を果たしていました。ただしすべてのエリアが大名に預けられていたわけではなく、幕府の直轄(ちょっかつ)地も存在しました。それを管理するのが「お代官様」です。

基本的に世襲制である「家」に対し、代官は幕府が派遣した役人なので、その地に無縁なひとが赴任することもあるし、解任されて別のひとに変更されることもありますが、領民にとっては大名と同じ権力者。

ただし実際はヒドいもので、広いエリアを管理させられても、給料は150〜200俵(ぴょう)、部下も20人ほどしか付けてもらえず、現代なら手取り700〜800万円のイメージで、薄給とは言えないにせよ、大名にはほど遠い待遇でした。TVドラマでは「おぬしも悪よのぅ」「いえいえお代官様ほどでは」などと、商人とつるんでボロもうけ! が描かれているが、じつは家計は火の車。豪商をたずねて借金することも多く、これが「悪代官」のイメージに発展しました。

■お代官様は、元祖・名ばかり管理職?

お代官様は、どんな仕事をしていたのでしょうか? お察しのように優雅な生活とはほど遠く、飢饉(ききん)が起これば救済、もめごとが起きれば仲裁と、およそ「なんでも屋」として日々走り回っていたのだ。

領主の最大の仕事は「年貢」の取り立てであり、イヤな言いかたをすれば、領地や領民を守るのは年貢のため。そのため村でトラブルが起きれば、放っておくわけにはいきませんでした。

ささいなもめごとであれば幕府に届け出ず、その村だけで済ませる内証(ないしょう)が許されていました。ところが、殺人など重大事件は内証では済まされないばかりか、捜査や裁判には莫大な費用と時間を要します。これらは村で負担しなければならないので、代官の悩みがまた一つ増えることになります。

さらに代官を悩ませたのが「直訴」で、不満を持った領民がわざわざ江戸まで出向き、上司にチクるのも当たり前におこなわれていました。幕府の重役を乗せた駕籠を止めて直訴するシーンをドラマでみたことがあると思いますが、これは駕籠訴(かごそ)と呼ばれ、架空の話ではありません。メンドウを嫌う幕府は「じゃあ、代官クビね」で終わらせることもしばしばで、代官はがんばっても報われない仕事だったのです。

そんな代官は、意外なことに村人からは厚く歓迎されていました。彼らの生活をじかに見てもらえるからです。農民にとって死活問題となるのが年貢(ねんぐ)で、米の場合は収穫量の50%を収めるルールでした。ところが火山の噴火や悪天候で不作のときは、半分も収めたら生活ができません。そんなときに便利(?)なのが代官で、同じ地で暮らし状況をみているだけに「じゃあ3割ってことで」と減免してくれたからです。

幕府からは軽んじられ、領民からは突き上げられと、ふんだり蹴ったりの仕事。「名ばかり管理職」とは、代官のために作られたことば、と言っても過言ではないでしょう。

■まとめ

・代官とは、幕府の直轄地を治める「知事」

・重責を負うのに、現代なら年収800万円、部下20名の部長クラス

・上司にチクられ、クビになるケースもあった

・不作のときに年貢を減らしてくれるので、農民からは歓迎されていた…