日本最大規模ともいわれる右翼団体「日本会議」。

安保法制を合憲とした3人の憲法学者のほか、現役の閣僚15人が名を連ねるという、安倍政権に大きな影響力を持つ団体だ。しかし、その起源は決して古くはない。

日本会議の設立は1997年。70年代中頃、右派の宗教団体を中心につくられた「日本を守る会」と81年に結成された保守系文化人の組織「日本を守る国民会議」が母体となった。

その事務局を中心となって動かしているのも右翼団体で、「日本青年協議会」という70年安保の時代に民族派学生運動で活躍した「全国学協(全国学生自治体連絡協議会)」およびその母体である「生長の家学生会全国総連合」のメンバーたちで構成されている。

それにしてもなぜ、短期間のうちに右翼団体がこれほど日本の政治に大きな影響力を持つに至ったのか?

今年2月からウェブメディアの『ハーバー・ビジネス・オンライン』で日本会議についての連載「草の根保守の蠢動(しゅんどう)」を執筆する、菅野完(たもつ)氏はこう話す。

「ひとつの大きな転機は、1993年の細川護熙内閣でしょう。あの年、小沢一郎が自民党を割って出た結果、7月の総選挙で自民党が下野することになり、非自民・非共産の連立で細川内閣が発足しました。『戦後50年』という節目を目の前にして非自民の政権が誕生したのです。

このことに当時の右翼・保守陣営は大変な危機感を覚えます。折しも、この93年の衆院選は安倍晋三が初当選した選挙でもある。同期には現・厚生労働大臣の塩崎恭久、現・外務大臣の岸田文雄といった議員がいました。

小沢が旧田中派の流れをくむ『経世会』の議員を連れて自民党を抜けたことで、安倍の所属派閥であり、昔から右翼勢力とのつながりが深かった『清和会』が自民党の最大派閥になった節目の選挙でもあった」

また、選挙制度改革による自民党の支持母体の変化も要因のひとつだと菅野氏は分析を続ける。

「2001年の参議院比例代表選挙から、投票用紙に政党名だけでなく候補者名を書くこともできる『非拘束名簿式』が導入されました。すると、候補者ごとの得票数から、どの支持団体にどのくらいの集票能力があるかが、ある程度見えるようになった。

その結果、これまで自民党がアテにしていた農協や医師会、建築土木関連などの団体よりも日本会議のような団体のほうが支持母体として確固たるものだということが明らかになったのでしょう。

さらに、長引く不況と高齢化のため、旧来の支持母体が力を失っていったという背景もあります。その“スキ”を突いて、日本会議の自民党に対する影響力が急速に増していったのだと思います。自民党の変質にはこうした事情もあるのではないでしょうか」(菅野氏)

このように日本会議と自民党の距離が近づく中で生まれた安倍政権が、日本会議の意向を受けて大きく右傾化するのは自然の成り行きだといえるのではないだろうか。

民主党政権下で下野していた自民党が12年に作成した「憲法改正草案」にもその影響は色濃く表れているとみていいだろう。天皇を元首と定め、自衛隊を国防軍とし、国民の義務や愛国心を強調するといった内容は「大日本帝国憲法」的な色彩の強いものになっている。

これは日本会議が主張する「皇室中心」「改憲」「靖国参拝」「愛国教育」「自衛隊海外派遣」という“日本が目指すべき国家像”とも合致する。

そればかりか、安倍政権は靖国神社参拝や歴史認識の問題で、中国、韓国との関係を悪化させ、憲法改正や集団的自衛権の行使に力を注ぎ、「愛国心」や「道徳」に関する教育改革の必要性を強調する。

また、安保法制に関する審議を見ていても、自民党は「議論」や「対話」を受けつけないような姿勢が目につく。これらも日本会議の影響が少なからずあると考えられないだろうか。

安保法制を違憲と断じた小林節慶應義塾大学名誉教授は、本誌にこう語る。

「神道系のいわゆる右翼が集まるのは、思想信条の自由、結社の自由です。だけど、それを通じて国家権力を奪取し、日本人全体を自分たちの価値観に染めようという考え方は間違っていると思う。

それに神道というのは本来、教義を持たず、自然と共生し、先祖を敬う、八百万の神々として、あらゆるものに神性を認める非常におおらかなものだったはず。それなのに、日本会議の人たちは神道系でありながら、他者の価値観に不寛容で、絶対に意見の違いを認めない。

安倍首相の周りのブレーンといわれている人たちには日本会議系の人たちが多く、今の自民党、安倍政権は事実上、日本会議に乗っ取られてしまったといっていい。権力を使って思想統制しようという姿勢は、他に形容しようがないのであえて言いますがナチズムにも似ている。現行憲法に照らしたら違憲な存在です」(小林氏)

国旗国歌法、教育基本法の改正、秘密保護法の制定、そして今まさに進みつつある集団的自衛権の行使を認める安保法制…。

安倍政権の持つ「数」の力を背景に、順調に政治的な成果を挙げつつあるように見える日本会議。今後、最も大きな目標となるのは、やはり憲法改正だろう。

しかし、現在の安倍政権は解釈改憲に躍起だ。一見、日本会議の主張とは矛盾するようだが、ここには5月18日に大阪で行なわれた都構想の住民投票が僅差で否決されたことが影響している。

つまり、たとえ僅差でも国民投票で負けてしまえば、改憲は何十年と遠ざかってしまう可能性がある。それなら国民投票をやらずに憲法を変えたほうがいいと考えるようになったかもしれないのだ。前出の菅野氏が言う。

「国会で安保法制を合憲と証言した日大の百地教授(日本会議に所属)も、かつては集団的自衛権の行使には改憲が必要と語っていたのに、いつの間にか主張がコロッと変わっている。

また、荒唐無稽と思われるかもしれませんが、東シナ海で中国が暴れてくれれば、それを口実に自衛隊を使ってクーデターを起こしたい。日本会議の事務局にいるコアなメンバーにそうした考えを持つ人間がいてもおかしくはない」

安部首相が目指す「美しい国、日本。」はこのまま日本会議の手に取り戻されてしまうのだろうか?

(取材・文/本誌「日本会議とは何か?」取材班)