東京大学東洋文化研究所教授 安冨歩氏

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■アップルCEO「ゲイを誇りに思う」発言の衝撃

アップル社のティム・クックCEOが、ゲイであることをカミングアウトしたことでも注目を集めているLGBT。LGBTとは、レズビアン(L、同性を好きになる女性)、ゲイ(G、同性を好きになる男性)、バイセクシャル(B、性別にかかわらず同性も異性も好きになる人)、トランスジェンダー(T、性同一性障害者を含む、出生時の性別と異なる性で生きることを望む人)の頭文字を並べた言葉で、性的マイノリティのことを指す。企業内でこうした人々を受け入れ、活用していくことのメリットは、「性的マイノリティに対して寛容で、働く人の人権を尊重する企業である」という対外的なアピールだけではない。実は、LGBTの人々がその実力を発揮できる職場にしていくことで、企業に大きなイノベーションを生む可能性をもたらすのだ。

そのことはドラッカーの理論からも読み取ることができる。今回は、性的マイノリティであるLGBTが企業にもたらすメリットを、ドラッカーのマーケティング、イノベーション論から紐解いていく。自身も「トランスジェンダーでレズビアンの男性(≒女装しているストレートの男性)」であるという、東京大学東洋文化研究所教授の安冨歩氏に話を聞いた。

■マーケティングとは「己を知っていくこと」

「ドラッカーは、マネジメントの本質を“マーケティング+イノベーション”と表現しています。しかし、ここで注意が必要なのは、マーケティングにせよイノベーションにせよ、ビジネスの現場ではドラッカーの意図とはかけ離れた意味で使われていることです」と、安冨氏。

例えば、マーケティングという言葉は一般的に「市場を調査してターゲットを定め、そこに向けて商品を訴求する」というように、顧客や市場など外に向けてなされるものとして使われている。

だがドラッカーは、マーケティングとは、外界からのフィードバックを受け止めて、「己を知っていくこと」だと説明している。「この場合のフィードバックとは、自らの振る舞いの結果、他者などの外部環境から返ってくる応答のことです。その応答を無視しては、組織も個人も成り立たないとドラッカーはいっています」(同)。

イノベーションのほうも、日本では「技術革新」と訳されることが多いが、技術やモノだけを意味するのではない。フィードバックを通じてもたらされる応答、つまりドラッカーの言うマーケティングを、人や組織が真剣に受け止めるなら、それは必然的に自己の変革に結びつく。これが「学習する」ということなのだが、それは自らを新しくつくり替えていくことでもある。その新しくなった自分は、周囲とのコミュニケーションのあり方に自ずから変化をもたらしていく。これがドラッカーのいうイノベーションなのだと、安冨氏は説く。

まとめると、ドラッカーのいう「マーケティング+イノベーション」とは、周囲とコミュニケーションを取りながら(フィードバックを受けながら)、自らの行いを注意深く観察し、自らのあり方を変え、周囲とのコミュニケーションのあり方を変えていくことなのだ。

これを個人と組織の関係に置き換えると、従業員一人ひとりのマーケティング+イノベーションの集積が、企業としてのマーケティング+イノベーションとなっていく。従業員一人ひとりが学習によって自らを新しくつくり替え、周囲とのコミュニケーションを変えていくことこそが、企業が顧客とのコミュニケーションを変えていくことにつながっていく。これが本来のイノベーションなのだ。

企業が利益を上げ生き残っていくためには、時代を読み、イノベーションを起こし続けるしかない。つまり、イノベーションを起こせる従業員をどれだけ増やせるかが、勝負の分かれ目となってくるのだ。

■LGBTの人はなぜイノベーションを起こしやすいのか

ここまで、ドラッカーの言うマーケティングとイノベーションの真意を述べてきた。次に、「なぜLGBTの人たちはイノベーションを起こしやすいのか」という点に話を進めよう。

LGBTの人たちは性的マイノリティであるがゆえに、自分を抑圧したり、他者から差別を受けたりという経験が多くなり、他者との軋轢にも常時直面する。結果、「自分とは何者か」と己を知ろうと探求する機会が必然的に多くなる。それはLGBTの人たちがそうでない人たちに比べて「学習」の回路を開かざるをえないことを意味する。ドラッカーの見方に立てば、まさに個人でマーケティング+イノベーションを実践するように仕向けられるのだ。

安冨氏は自身の体験を交えながら、実は「己を知ること」(マーケティング)は、とても難しいことだと説明する。「身体的には男性だが、自分では女性だと思っており、好きになるのは女性であること(レズビアンと同じ心境)」に気付いたのは約1年前。きっかけは、ファッションだった。

それまでは男性の衣服を着ていた安冨氏。ファッションにはこだわりがあり、数十万円かけて洋服を仕立てたこともあったが、「いくらお金をかけても満足はできませんでした」。

女性的な体形のため男性用ズボンのサイズが合わないことを、同居者のパートナーに話したところ、「女性用をはいてみたら?」とアドバイスされた。そうして実際身につけてみて、「私が求めていたのはこれだ! と、感じました」。それをきっかけに、女性の装いでいることが、精神的に最も安定することに気付いたという。

「自分の洋服の趣味など最も気付きやすい情報のはずですが、私の場合は本当の自分の好みを発見するのに、50年かかりました」。安冨氏のように、多くのLGBTの人たちが迷い苦しみながら、「己を知ること」を試みていることがうかがえる。

安冨氏はLGBTの人たちがマーケティングとイノベーションを推進しやすい理由を、さらに説明する。「自分は身体の性と、自分の認識する性が違っていることに気付く、という『通常ありえないと思われていることがありうる』体験をしています。差別を受けることで、『普通』であることの暴力性を理解しているがゆえに、他人から無視されている人の気持ちなど、『普通』であれば気付かないことに気付くのです」。

女装をするようになって、精神的には安定したという安冨氏。だが一方で、差別的な視線や言動に出合う機会も増えたという。

「LGBTの人たちには、差別になどあったこともない人とは、社会の違った面が見えてくる。そういう人たちのもつ鋭敏な感性に基づいた知恵や知識こそが、イノベーションを起こすための重要な資源なのです」

■野村証券は規定に「性的指向を理由に差別しない」と明記

LGBTのことを考えるときに、必ず立ちはだかるのが差別の問題だ。日本企業にも彼らに対する偏見をなくしていこうとする動きは、少しずつだが広がってきている。性的マイノリティとその支援者をサポートし、性的マイノリティが暮らしやすい社会を目指すNPO、「虹色ダイバーシティ」のウェブサイトには、同法人が支援する日本企業の取り組みが紹介されている。

野村証券などで構成する野村グループは、グループの倫理規定に「性的指向、性同一性を理由とする差別やハラスメントを一切行わない」と明記。社内にLGBTネットワークを設立し、社員に向けて情報を発信し、主に外資系金融機関で構成されている社外ネットワーク「LGBTインターバンク・フォーラム」の活動に参加するなどしている。大阪ガスも、グループ全体のダイバーシティ推進方針で、性的指向・性自認について言及。LGBTに関するコンプライアンス研修を実施している。

こうした取り組みが増えてきているとはいうものの、LGBTへの理解が浅い日本での現実はまだまだ厳しい。安冨氏は、大手銀行で働く30代のレズビアンの話を例に、「いきいきと働く」とは程遠い企業現場の状況を指摘する。

「銀行などの堅い職場では、カミングアウトはもちろんできません。女性と結婚している男性ばかりの職場で、『なぜ独身なのか』と聞かれ、『いい人がいなくて』と、心にもないことを言い続ける。同居する女性がいるのに、その存在を明らかにすることすらできず、扶養手当申請など論外。イノベーションどころか、働き続けること自体が、大きなストレスになってしまっているのです」

■LGBTの知恵や感性を活かすには

ではLGBTの人たちがいきいきと働けるようにするため、どんな取り組みが必要になるのだろうか。

安冨氏は「LGBT同士や、彼ら彼女らに理解を示す社員が交流できるコミュニティをつくり、会社として支援する。そうした活動を通じて、社内外の無理解や差別を減らしていくのです」と指摘する。

例えばWorks誌124号では、ゴールドマン・サックスの「LGBTネットワーク」という社内横断組織が紹介されている。当事者、支援者を含め、会員数は国内だけで約200人。会員同士の交流だけでなく、社外のイベント参加、LGBTの学生向け会社説明会などの活動をしている。

「こうした活動の支援で、企業にどれほどの費用負担がかかるというのでしょうか」(安冨氏)

LGBTは、人口の数%は存在するという調査結果もある。こうした取り組みでLGBTの人たちがいきいきと働き、生産性を上げてくれるなら、非常に効率のよい投資ではないだろうか。

「LGBTだけでなく、性別、障害、宗教、慣習などによって差別を受けているマイノリティが、世界にはどれだけいることでしょうか。『当社ではあらゆる差別を許しません』と、世界中から差別を受けている優秀な人材を集めたなら、どんなイノベーションが起こるのか想像してみてほしい。そのコストはわずかです」と、安冨氏は話す。

海外では、大手企業のリーダーやトップクリエイターがLGBTであることを次々とカミングアウトしている。またその人々がもたらしてきた功績も認められている。LGBTに限らず、ダイバーシティに不寛容な企業は「差別的」と指弾される社会になってきている。一緒に働く人たちの多様性を受け入れられない堅物は、今後さらに社内での居場所を失っていくことになるだろう。

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東京大学東洋文化研究所 教授 安冨 歩(やすとみ・あゆむ)
1963年生まれ。京都大学経済学部卒業後、住友銀行勤務。京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。2009年から現職。人々の魂の脱植民地化に役立つ「社会生態学」創設を目指す。著書に『誰が星の王子さまを殺したのか』、『ドラッカーと論語』など。

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(文=五嶋正風 撮影=宇佐美雅浩)