事件現場となった中学校の校門。今は建て替えられている

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 6月10日、1997年に起きた神戸連続児童殺人事件の加害者で当時14歳だった「酒鬼薔薇聖斗」こと、「元少年A」(32)が綴った手記、『絶歌』(太田出版)が発売となった。

 同書の発売以降、書店では、「発売以来完売の状態で在庫がなく、いつ入荷されるやわからない」(関西の大手書店員)という売れ行きをみせる一方で、東京都、神奈川県で店舗展開する啓文堂書店(東京都多摩市)はその発売を取り扱わないと決めた。遺族感情に配慮したものだという。

 事件以来18年――酒鬼薔薇聖斗が暮らした町には、被害児童の命を奪った殺害現場「タンク山」、彼が暮らしていた家、切断された頭部が置かれた中学校も当時と変わらず残っている。そんな彼が暮らしていた町で彼の足跡を追った。

自宅周辺の近隣住民「大人しい子」「口数の少ない子」

 神戸市須磨区の新興住宅街「友が丘」周辺の地域住民の間ですら、彼が暮らした家は、「すでに更地になった」「取り壊して駐車場になった」との風評が飛び交っていた。しかし実際に足を運んでみると、意外にもその住居は当時のまま残っていた。近隣住民女性が語る。

「この家です。今でも時々、誰かが来ている様子はあります。事件後、あなたたちマスコミの人だけではなく、野次馬も含め大勢の人が来て石を投げたりということもありました。最近、あの子(少年A)が本を出したということで、またマスコミさんがぽつぽつ来るようになりました。ほんと迷惑な話ですよ」

 静かな口調、やわらかいイントネーションで近隣住民女性が続ける。

「事件当時、記者さんたちは、深夜2時、3時でも玄関チャイムを鳴らす。今ほど携帯電話も普及してなかった頃だったので、玄関のドアを開けなかったら自宅の固定電話にもかけてくる。“お仕事”だとは思うけど、ちょっと考えてほしかったな。迷惑です」

 当時の、そして今のマスコミの取材手法に苦言を呈しつつも近隣女性は、今でも酒鬼薔薇の人となりを覚えていると話す。

「大人しく色の白いシュとした男前な子だった。近隣ではあんなことするような子にはみえなかったんだけどね。ご両親も、まあ大人しい普通の人だったよ。駐車場の空いたところに小さい卓球台を置いて、家族みんなで遊んでたのは覚えてる。もうあの子も32歳か。本なんか出して、何を考えてるんだろうな。ご遺族の方どう思っているのか……」

 酒鬼薔薇の母親とも付き合いがあったという別の近隣女性はこう話す。

「事件の後はお見かけしてないですね。うちの孫は歳は違うけど、あの子(酒鬼薔薇)と近所だったので一緒に自転車を乗って走り回ってましたよ。孫にも事件の後、話を聞きましたけど、『全然、そんな風にはみえなかった』と言ってました」

 酒鬼薔薇が暮らした自宅周辺では、「大人しい子」「口数が少ない子」という声ばかり聞こえてきた。とても凶悪事件を引き起こす雰囲気すら感じられなかったという。

 だが中学校の同窓生だったという女性は、酒鬼薔薇への印象をこう明かす。

「ホラー映画の話とかを女子の前でもしていた。キモ過ぎて、近寄りたくはなかった。大人しい子だったとは思うけど、どこか不気味なところはあった。中学生でも小さい子と時々遊んでいたり。被害児童もそうだけど、自分の弟や妹でもない子と、普通、中学生にもなって遊びますか?」

事件現場には被害児童の慰霊碑があった

 被害児童を殺害した通称「タンク山」(竜の山)には、今、被害児童の慰霊碑があるという。近隣住民に尋ねてみたが、住民の多くが「知らない」と首を振る。実際、足を運んでみると、事件当時、「チョコレート階段」と呼ばれたそこにはフェンスが立ち、山への入り口にはチェーンが張り巡らされている。

 ここを管理する神戸市によると、「あくまでも自動車進入を防ぐ目的のもの。近隣住民の方の中には訪れて手を合わせる人もいる」という。

 山の入り口から歩くこと約5分程度。貯水目的と思われるタンクの横に小さな慰霊碑があった。時々、誰か訪れるのか供え物もあった。見晴らしのいい高台からはとても18年前凶悪殺害現場となった地とはよもや思う者はいないだろう。

「慰霊碑にあの子(酒鬼薔薇)が手を合わしてからじゃないの? 本を出すのは……」

 タンク山を下りてから話を聞いた近隣住民女性の言だ。酒鬼薔薇の自宅からすこし離れたこのタンク山近くでは、彼の「大人しい子」という評判は聞くことはできなかった。むしろ「猫に悪さをする不気味な子」という印象のほうが強かった。

「もう忘れていることが多いけどね。猫に悪さする気持ち悪い子、何かそんな記憶があります。あの子(酒鬼薔薇)が出した本、うちはちょっと読もうという気にはなれませんね」

 酒鬼薔薇が通っていた中学校では生徒たちが体育の時間なのだろうか。無邪気に球技をしている様子が伺えた。切断した頭部を置いたという正門は事件後、撤去、現在のそれは建て替えられたものだという。前出の同窓生女性はいう。

「いくら建て替えても正門を見る度に事件を思い出す。あの子(酒鬼薔薇)は新しい人生を歩んでいるのかもしれない。でも、うちら地元に残っている者にとっては、まだ“あの子(酒鬼薔薇)”なんです。もう20年近くになるけど、忘れることはできませんね」

 取材は平日の昼間ということもあり、話を聞いたのはすべて近隣に住む女性だった。そのためか、皆、一様に酒鬼薔薇のことは“あの子”と呼んでいたのが印象的だった。まだ酒鬼薔薇が暮らした町では事件は完全に風化していない様子が伺えた。

 今回、手記を出した理由を酒鬼薔薇は《自己救済》(『絶歌』から)だと記している。事件当時は少年だったとはいえ、いまはもう32歳の大人だ。自己救済以前に他人の心を慮ることが大事なのではないか。

(取材・文・写真/秋山謙一郎)