インドを代表するデザインオフィスに訊く(2)

〜3m四方のオフィスから始めたエレファントデザイン〜

2020年1月9日
TEXT:大谷和利(テクノロジーライター、AssistOnアドバイザー)

3m四方のオフィスから始めたエレファントデザイン

私は1989年にNIDを卒業し、エレファントデザインの設立に関わりました。先に触れたインドのデザイン教育が始まって20年ほど経った頃のことです。

たぶん、皆さんも、こんな喩え話をご存知でしょう。ほとんどの人が裸足で暮らす国を訪れた靴のセールスパーソンのエピソードです。1人は、それでは商売にならないと思い、別の1人は、それならチャンスがいっぱいあると考えました。私たちは後者の立場で、インドにはデザインによって解決すべきことがたくさんあると感じたのです。

当時、私はデザインのトレーニングを受けていたタタモーターズから同社のカーデザイナーにならないかと誘われていましたが、自分の道を行くことに決め、友人らとエレファントデザインを始めました。当時のインドには、デザインコンサルティングを行える企業がなかったからです。

銀行に勤めていた父は、息子に安定した職に就いて欲しかったので、私の決断に驚きました。しかし、その翌日に台帳の書き方に関する本を持ってきて、会社経営に必要な貸借対照表について教えてくれたのです。それで、父から30万ルピー(約46万円)を借りて3m四方のオフィスからスタートしました。

設立場所としてプネを選んだ理由の1つは、タタモーターズのトレーニングをこの街で受けて、土地勘があったことです。また、プネ自体が興味深い街だったこともあります。州都はムンバイで、プネは小さな地方都市です。しかし、教育や文化の都として知られています。産業も盛んですし、住民は積極性に溢れ、常に何かを考えることが好きです。小さな山々に囲まれて気候も穏やかなため、北部のデリーの大学で学んだ私には、そこと対照的なプネが魅力的でした。

ノーコラボレーション、ノーデザイン

エレファントという社名の由来には、面白いエピソードがあります。盲目の村人たちが初めて象と出会ったときに、それぞれ自分が触れた場所の感触などを元に、それが何であるかを議論するというものです。

ある者はそれ以上前に進めずに「壁」のようだといい、別のある者は風を感じるので「扇」ではないかといいます。それは、個々の人が認識できることに限界があるためです。しかし、皆の意見を集めていくと、象の全体像がわかってきます。

デザインも同じです。私は、コラボレーションなしにデザインは成り立たないと考えています。問題点が何かを考える場合でも、1人一人の視野は狭いものです。複数の人間がチームとしてコラボレーションすることで問題の全体像が浮かび上がり、解決法も見出せるようになります。エレファントデザインという名前には、そういう思いが込められているのです。

私自身はプロダクトデザイナーですが、妻や仲間はグラフィックデザイナーだったので、会社の設立当初は、その2分野から他の企業などにアプローチしてみたものの、仕事は取れませんでした。当たり前ですね。自信だけあっても、少し前までは学生に過ぎず、実績もない人間たちの集まりだったわけですから。

しかし、プネという街のおかげで2つの幸運に恵まれました。大都市では埋もれてしまうような小さな会社でも、興味を持ってくれる人が居たこと。そして、教育水準が高く、一旦こちらの考えを理解できてからは、手助けしてくれるようになったことです。たまたま出会った面識のない人たちが、これまでとは違うことをしたいという私たちの考えに賛同し、それが仕事につながったことになります。

その後、会社の成長と共に、提供するサービスの内容も変化してきました。最初のうちは、ビジネスにおけるデザインの価値を認めてもらえず軽く扱われていましたが、時代の移り変わりとともに、企業のリーダーにも変化が生じたのです。他との差別化のために少し異なる考え方をし始めて、それを実現するうえでの課題に社内スタッフでは対応できないことがわかると、急に私たちの話を聞いてくれるようになりました。

そのためエレファントデザインとしても、プロダクトデザインやグラフィックデザインだけでなく、ビジネスの戦略デザインやコンサルティング業務にも力を入れるようになったのです。企業の意思決定者と直接やり取りができるようになったことは、大きな進歩でした。今では、それらに加えてブランディングやパッケージデザイン、UXデザイン、IoTデザインなども手がけており、業務内容は多岐に渡ります。

しかし、これらの要素はバラバラに存在しているわけではありません。企業は、まず利益を確保しようとします。それがスタートラインです。そこで、私たちのコンサルティングを受ければ、このようになるというビジョンを示します。そして現状とのギャップを指摘し、どのようにすれば、そのギャップを埋められるかを説明するのです。

ここが理解されれば、次の段階として、ブランディングやプロダクトデザインの改革の話に移ります。私たちは、このようにトータルなデザイン提案をしているというわけです。

>>「熱烈なラブコールでシンガポールに進出」へ続く

[筆者プロフィール]
大谷 和利(おおたに かずとし) ●テクノロジーライター、AssistOnアドバイザー
アップル製品を中心とするデジタル製品、デザイン、自転車などの分野で執筆活動を続ける。近著に『iPodをつくった男 スティーブ・ ジョブズの現場介入型ビジネス』『iPhoneをつくった会社 ケータイ業界を揺るがすアップル社の企業文化』(以上、アスキー新書)、 『Macintosh名機図鑑』(エイ出版社)、『成功する会社はなぜ「写真」を大事にするのか』(講談社現代ビジネス刊)、『インテル中興の祖 アンディ・グローブの世界』(共著、同文館出版)。