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八ヶ岳・山小屋の今昔=長野県

八ヶ岳・山小屋の今昔=長野県
昭和38(63)年8月に、長野県・八ヶ岳から届いた、山小屋宿泊の承諾ハガキ、左が八ヶ岳赤岳山頂小屋(朝倉忠孝さん)、右が夏沢こまくさ(j松澤純男さん)から。(撮影:穂高健一)
【PJ 2006年10月17日】− 古書を整理していると、古い二枚のハガキが出てきた。昭和38(63)年7月21日消印の『八ヶ岳赤岳山頂小屋』・長野県の朝倉忠孝さん、同20日の『夏沢こまく』の松澤純男さんから届いた、山小屋予約を承諾した内容のハガキだった。松澤さんは肉筆で日付を(7.19)と明記。

 ふたりはすでに故人だった。他方で、山小屋はともに別の経営者に移り、夏沢こまくのほうは『ヒュッテ夏沢』と呼称が変わっている。住所のゴム印には『県立公園・八ヶ岳山頂小屋・八ヶ岳キレツト小屋』となっている。いまでは『八ヶ岳国定公園』である。40年余りの歳月を感じさせる。

 ハガキによると、宿泊料金は1泊素泊まり380円、炊事料金一食2合・60円と表記されている。現在の貨幣価値とはあまりにも違う。他方で、登山者が山小屋に米を持参する時代だったと、まさしく隔世の感をおぼえてしまう。

 炊事料金1食2合・60円の解釈を求め、八ヶ岳のある長老から当時の山小屋について取材してみた。1食2合の米を持参すれば、60円で炊いたご飯と引き換えで、味噌汁とお新香をつけてあげたという。登山者は小屋泊まりでも、米とおかずを持参した登山だったのだ。

 同長老にはさらに朝倉さん、松澤さんについて語ってもらった。八ヶ岳山頂小屋は、朝倉忠孝さんが戦後まもなく山頂に小屋を建てたのだという。他方で、夏沢こまくさは大正末期にできた県営だったが、戦後まもなく県から借用した松澤さんが営業をはじめたもの。ともに昭和20年代後半だったと記憶しているという。

 ふたりは八ヶ岳の山小屋経営の草分け的な存在である。ともに競うように商売熱心で、客の誘致合戦をくりひろげた。日本全体が登山ブームとなった60年代には、競争に火がつき、『八ヶ岳商法』と全国にその名が知れ渡ったのだという。

 PJがいま手にする古いはがきには『但し、この葉書持参のパーティは宿泊料1人に付1割引致します』と記載されている。当時は割引合戦。予約のない登山者に対しても、登山口でこの1割引のはがきが配られていたものだという。他方で、山小屋の従業員が登山口で客の荷物を預かり、さきに山小屋に届けておく。すると、登山者は必然的にそこに泊まることになる。こうした値引き合戦が激しくくりひろげられていたのだと語った。

 いまでは山小屋間の協定で禁止されているようだ。値引きの風土は多少残っているかもしれないけれど、と長老はつけ加えていた。

 米とおかずを持参した50〜60年代の登山。現在は7800円(山小屋によっては料金が異なる)を支払えば、ヘリで運ばれてきた材料で調理された、品数多い食事をすることができるのだ。山小屋の今昔を二枚のハガキが教えてくれた。

 ただ、山小屋がたやすく泊まれて快適さを増しても、山の天気の厳しさは普遍だ。とくに秋の山岳は怖い。低気圧が接近すれば、とたんに高所は冬山となる。せめて非常食は忘れないでおこう。小屋に辿り着く前に、お金を握ったまま、凍死などの事故に遭わないように。【了】

■関連情報
記者HP:穂高健一ワールド

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※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。

パブリック・ジャーナリスト 穂高 健一【 東京都 】
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