靖国神社(資料写真:05年8月15日)

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今年もまた「靖国」の季節がやってきた。私も以前、一度だけ国会議員や閣僚による靖国参拝を取材したことがあるが、朝日新聞の記者が「今日は私人としての立場ですか。○○大臣としての立場ですか?」とそれこそオウムのように繰り返す質問を聞きながら、何となく虚しさを覚えたものだ。

 折しも、20日付の日経朝刊は「昭和天皇、靖国合祀に不快感」と、この会社にしては珍しい社会ネタのスクープ。昭和天皇が「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、A級戦犯の合祀(ごうし)が参拝中止の原因だとも受け取れる発言を残していたことを、当時の富田朝彦宮内庁長官が書き記した手帳が見つかったとするもの。案の定、1日経って新聞・テレビではこの問題の議論が過熱している様相である。靖国神社の来歴を含めて、いわゆる靖国問題のポイントについて触れておきたい。

 同神社は、明治維新直後の1869年(明治2年)に東京招魂社(戊辰戦争の朝廷方戦死者の慰霊が目的)として設立され、79年(同12年)に靖国神社と改称。軍の直轄管理の下で「政府のために死んだ軍人・軍属」等を祀っている。現在、約247万人の人が祀られているが、210万人余りは太平洋戦争の戦没者だ。合祀の対象になっているのは戦死した軍人だけに限られているわけではない。つまり、太平洋戦争中の女子挺身隊員や従軍看護婦なども祀られている一方で、問題になっている合祀A級戦犯でも、松岡洋右(元外相)のように、軍人ではないばかりか病死した人物まで祀られているのは、「神社の性格に反していて、一貫性がない」とする議論もある。

 戦前は軍直轄の国家神道施設だった同神社は、戦後、GHQの指令により一宗教法人になった。しかし、多くの戦死者が祀られていることから、日本遺族会などが中心になり国家護持復活の動きが1950年代後半から始まり、自民党もこれに同調。靖国国営化法案が審議されたが、憲法問題がネックとなり74年に廃案になった。

 ここで、靖国問題の行方について考えておきたい。総合誌などで積極的に発言している、元自民党幹事長の加藤紘一衆院議員はこの問題解決のための方策として(1)靖国神社の国営化(2)A級戦犯の分祀(ぶんし)(3)国立の代替慰霊施設の建設――と3つの選択肢を挙げている。

 現在、実現性の高い議論として進んでいるのはA級戦犯の分祀と国立代替施設の建設。加藤氏は新たな施設を作るべきだとの考えのようだし、分祀の可能性はこれまでも自民党サイドからアプローチがされてきた。ごく最近も、古賀誠衆院議員(日本遺族会会長)が分祀の可能性を個人的に提案し、その影響で神社の総代を辞任したことは記憶に新しい。

 靖国問題は「純粋な国内問題だ」とする議論がある一方、中韓の反発に配慮した発言が繰り返されていることに、問題の複雑さがあるような気がする。以下は全くの私見ながら、問題の根っこにある日本人の死生観や遺族の感情に、それなりの配慮がなされないのは誤っていると思う。

 つまり、日本では「人はみな、死ねば神になる」とまでは言わないが、平等に取り扱おうとする気持ちがごく強いこと。靖国神社側も「一度合祀された魂を分祀することは、その鎮魂の本質からして不可能」と話す。一方、国立の追悼施設新設については、それが正しく機能すればよいのだが、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」の現状を見ても分かるように、戦没者遺族が素直に礼拝の場所を変更するとも思えない。やはり、「靖国で会おう」との合言葉と共に亡くなっていった、軍人遺族の存在は大きいのではないだろうか。

 話を蒸し返すわけではないが、靖国参拝を公約の一つにした小泉総理を、日本国民は事実上、5年にわたって支持してきた。首相就任時の01年は、8月13日に参拝。これは国民の半数以上の支持を得た。その後も何らかの形で靖国参拝は続けている。この問題をどう捉えるかは、政治の問題であると同時に間違いなく私たちの国家観の問題だろう。今年の8月15日にまた、大きな“試練”が待ち受けている。【了】

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