インタビューに答えるアライドアーキテクツの中村壮秀社長(撮影:吉川忠行)

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ライブドアへの強制捜査から120日が経とうとしている。「ライブドアショック」とも呼ばれた混乱に見舞われた新興株式市場では、ネット関連株を中心に低迷が続いている。相場全体の値動きを示す東証マザーズ指数とヘラクレス指数は、1月16日比で30─40%と低水準のままだ。5月に入り、ソフトバンク<9984>やUSEN<4842>、楽天< 4755>など“ネット界の雄”として知られる各社の株価がそろって年初来最安値を更新。堅調だったインデックス<4835>やヤフー<4689>も復調の兆しがなかなか見えてこない。

 「咳が止まらないのは体調が悪いのではなく、緊張しているだけなんで。みなさんの顔が怖く見えてしまって」─。サイバーエージェント<4751>社長の藤田晋(32)は、10日の中間決算説明会で、100人以上の投資家を前に思わずこう漏らした。同じ週に1─3月期業績を発表した楽天社長の三木谷浩史(41)は、金融事業への依存度が高まるのをよそに「ネット企業の取捨選択、選別がこれから徐々に進んでいく」と強気の発言。自社の株安を「業界内では下げ幅が少ない」とし、懸念を一蹴した。

 「事件よりもネットへの期待のほうが勝っていると確信している。ユーザーは逃げてないですよ、インターネットから」と断言するのは、東京・恵比寿にあるネット関連企業「アライドアーキテクツ」を起業して半年余りの中村壮秀(31)。業界への不信感が強まる中、3月末に第3者割当増資を実施し、住友商事<8053>、ジャフコ<9984>、日本アジア投資<8518>から総額1億7000万円の資金調達に成功した。

 本業では、複数のブログから特定のテーマに言及した記事を集め直した、雑誌風のサイトを制作する無料ソフト「edita(エディタ)」を開発。中村は「ユーザーが“編集者(editor)”になり、記事を書かなくても集めることができれば、自分や仲間どうしでネット上に独自の雑誌が作れてしまう」と口角泡を飛ばし、アピールする。

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 中村は、ここ5、6年のネットベンチャーの栄枯盛衰を見守ってきた証人のひとりだ。大学卒業後に住友商事に入社。新規事業会社を立ち上げる部署で、イタリアのコーヒーショップ、「セガフレード・ザネッティ」の日本進出を手がけた。入社3年目に、当時の株式市場を席巻していたITバブルに触発され、起業を志して退社。同じく商社マン出身で、故石坂泰三・元経団連会長の孫の石坂信也(38)らと合流し、「ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)」<3319>を立ち上げた。

 だが、会社設立にこぎ着けた2000年5月といえば、ITバブルが崩壊した直後。“追い風”と期待した大企業のIT投資は滞り、脆弱なベンチャー企業は次々と失速していった。中村は「逆にそれが良かった。粛々と業務を進めながら、じっくりと市場に入り込めた」と回想する。

 国内ゴルフ場の検索・予約、用品販売をネット上で手がけるGDOは、外資が買収攻勢を強める転換期のゴルフ業界に入り込み、ネット利用が高まる中高年に浸透。創業3年で国内最大手にまで急成長し、中村が統括する用品販売部門は、売り上げの約8割を占める同社の屋台骨となった。04年4月には東証マザーズに上場。公募売出価格51万円に対し、翌日についた初値が116万円となるなど、投資家の注目を独り占めにした。

 そんな中、起業ブームの再来を感じさせた04年11月、国内最大規模の若手経営者交流会「ニュー・インダストリー・リーダーズ・サミット(NILS)2004」が宮崎で開催された。ライブドアの堀江貴文(33)やサイバーエージェントの藤田、GMOインターネット<9449>の熊谷正寿(42)も参加し、話題の中心といえば“フューチャー”、“ビックマネー”。理工学部出身の中村は、飛び交う最先端の技術動向も聞き逃さなかった。「一般人が発言できるメディアは、まだまだ進化する」。“第2の起業(セカンドベンチャー)”を決意すると、堀江が総選挙出馬で奔走していた8月には、自己資金をもとに資本金2400万円で会社設立。社名「アライドアーキテクツ」には「Architects(創造する輝く個性)をAllied(連合)するとすごいことになるぞ」という思いを込めた。

 「一時代前は会社に入らずに起業した人間が成功したけれど、今では大企業で経験を積んだ人間がどんどんベンチャーに参入している」というのが最近のネット企業に対する中村の分析。パートナーの瀧口和宏(27)も大学中退後、徹底した実力主義で知られる新興外食、グローバルダイニング<7625>で、し烈な社内競争を勝ち抜き、22歳の「史上最年少店長」としてグループ最高級の仏料理店を統括した実績を持つ。

 逮捕で会社の信頼を失墜させた経営者、堀江については、淡々とこう語った。「サラリーマンの経験があると、納得いかずに上司にねじ曲げられ、苦汁を飲まされることもある。彼は、他人と違う感性で、タブー視されることをズバっとやる。躍動感や面白みという点では、夢を見させてもらったが、そこが仇となったのでは」。

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 06年1月16日夜7時過ぎ。中村は、仕事の最中にたまたまアクセスした「ヤフーニュース」で、ライブドアに強制捜査が入ったことを知った。1DKほどのオフィスの隅に置きっぱなしになっていたテレビをあわてて接続し、ニュース番組にチャンネルを合わせると、高層ビルに列をなして入っていく捜査員の姿が目に飛び込んできた。

 中村の会社はその2カ月前に、ブログデザイナー紹介のビジネスで、ライブドアと業務提携を結んだばかり。タブーを犯す企業体質を幾度となく聞かされていたが、抜群の知名度や、ブログ登録者数首位という集客力には魅力を感じていた。「うちの会社にとってもネガティブだね。注文が減るかも」。一緒にテレビの前に座り、提携先の崩落を目の当たりにした社員からはため息が漏れた。

 捜査直後、中村は、ライブドアの担当者に「こんな状況でもがんばりましょう。僕らがやっていることは間違ったことではありません」とメールを打った。起業して間もない中村にとって、ライブドア経由の売り上げが激減し、ショックを受けた自分へのエールでもあった。

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 あれから3カ月、保釈された堀江の写真を見た中村は「彼はまたやってくれるでしょう。すごい大きな人間になったように見えたし、翼はもがれていないような表情をしていた。あの目で出てきてくれてよかった」と笑顔で印象を語った。事件の影響で、インターネット事業全体のイメージが虚業と勘違いされてしまったのではと問うと、「まったくないですね」と即答。ライブドアブログとの協業は維持しつつ、ユーザー主導でネットサービスの質を高める新たな潮流「ウェブ2.0」にもうまく乗り、大手ネット企業からの発注件数を順調に伸ばしている。

 この春にはオフィスを、スタッフ増員で手狭になったマンションの一室から、同じ恵比寿にある2階建て、200平方メートル以上の外国人向け住宅に引っ越した。豪華絢爛(けんらん)な六本木ヒルズとは正反対のアットホームな物件を選んだ理由は、1.一体感が生まれる、2.シリコンバレーのガレージベンチャーへの憧れ、3.立派な庭でバーベキューができる…。

 「ウェブ2.0時代のネット企業は技術者を内包することがかなり重要。ユーザーからもらったコメントを参考に、自社で即座に改良していく。外注なんてありえない。それが企業のあり方になってくる」。中村の会社では、10人あまりの社員のうち、大半がエンジニア。08年の株式上場を目指し、自ら掲げた未来像に揺らぎはない。大型連休の夜も、オフィスにはあかりがともり続けていた。(敬称略)【了】

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