資本金600万円で始まったベンチャー企業は、M&Aを繰り返し、10年ほどで子会社40社以上を抱えるまでに膨張していった。(撮影:吉川忠行)

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男性株主「グループ全体で、これまで買収した企業の数は大小合わせて何社ぐらいですか」

堀江「ボクも正確には覚えてないんですが、たぶん5、60社ぐらいだったと思います。開示しなくてもいいものがあるので、いつの間にか買収していた案件もあります」

 2005年クリスマスに行われたライブドア(LD)定時株主総会で、社長だった堀江貴文は、同社が手がけるM&A(企業の合併・買収)の拡大を期待する株主からの問いにこう答えた。隣に座る最高財務責任者の宮内亮治に確認しつつ、注目の資本政策についてのビジョンを示すと、会場は拍手で沸いた。

 LDは00年4月、東京証券取引所の新興企業向け市場「マザーズ」に上場。同時に投資事業に参入するために金融子会社「キャピタリスタ」を立ち上げた。ホームページ制作・運営から始まったベンチャー企業はM&Aを繰り返し、05年末までに子会社44社、関連5社のコングロマリット(複合企業体)を形成。600万円の資本金は、上場以来83回に及ぶ増資で、1400倍以上の862億円にまで膨張した。

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 「デューデリジェンス(資産査定)など買収前の作業で、会社にやってきたのは宮内さんや中村(長也)さんでした。時間がかかるものですが、彼らは2日ほどで集中的に終わらせてしまいました」

 LDに自社を買収された経験のある会社社長、A氏は、当時の宮内について「非常に優秀だった」と印象を語った。

 ITバブルが崩壊した直後に株式上場。「勝ち組」企業が相次いでM&Aを仕掛ける混沌とした時代に、ITベンチャー企業が弱かった財務・金融面の戦略、知識、経験、スピードの速さなどすべてにおいて、LDは異彩を放っていた。同時に、どのような資本政策をとれば自分たちの株が上がるか、格別の自信があるようにA氏には見えたという。

 A氏が自社の売却のために行った競争入札には、数社が手を挙げた。事業上のシナジーだけでなく、現金など多額の流動資産の存在や、「のれん代」の少なさなどを見抜いて交渉してきたのはLDだけ。3週間ほどで話をまとめるスピード、株価の評価の良さなど、自分が売りたいように「ピタリ」と作業を完了する巧みな交渉術に期待も込めて合意した。

 だが、ライブドアマーケティング(当時バリュークリックジャパン)を完全子会社にした04年3月ごろから、高い技術が功を奏した時代も曲がり角にさしかかる。堀江が現場に口をはさむ。ソフト開発、コマースなどLDの“実業”を支えた各部門のキーパーソンが、堀江体制に見切りをつけて、次々と辞めていく。空席となった幹部ポストには、堀江、宮内に美辞麗句を並べてウケがよい、いわば「腰巾着のような人間」が増えていったという。

 会社を買われて、「利益を出せ」と堀江や宮内から“ゲキ詰め”されて、そのうち社長が姿を消す。結果的に黒字にならないから、本体に吸収されるのが子会社の現実・・・。「タイムリーに事業の方向性を示すのは天才的。だが、あれだけ金と人を投入しても、本業の収益モデルが確立できない人も珍しい」とA氏は堀江を評した。

 事件に至った背景について、A氏は「堀江や宮内が持つ拡大、利益確保のスケジュールに、現場の実力がなかなかついていかない現実に苛立ったのでは」と推測する。堀江は宇宙事業に参入の意思を表明するようになると、本業に身の入らない様子も見られたという。

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 1月16日の強制捜査を受けて、翌17日の東京株式市場ではLD株が大量に売られ、一夜にして時価総額が、1000億円以上も吹き飛んだ。その後、「ろうばい売り」する個人投資家の株を外資系ファンドなどが買い集めたとされ、米国や香港に本店を持つ投資ファンドが突如、大株主に躍り出た。