5日、都内のホテルで行われたダイエー創業者、故中内功氏の「お別れの会」(撮影:常井健一)

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9月19日に脳梗塞(こうそく)のため亡くなった、ダイエー<8263>創業者の故・中内功氏(享年83)をしのぶ「お別れの会」が5日、東京都千代田区のホテルニューオータニで執り行われた。会場には安倍晋三官房長官や二階俊博経済産業相をはじめ、政財界から約2000人が献花に訪れ、生前の故人をしのんだ。

 同会は、流通関連の11団体が合同で行い、長男の潤氏(流通科学大学理事長、元ダイエー副社長)が喪主を務め、イオン創業者の岡田卓也名誉会長、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊・セブン・アンド・アイ・ホールディングス名誉会長、スーパーマーケットの「育ての親」として知られる渥美俊一氏、堤清二・元西武百貨店会長など戦後流通業界の黎明期を築いた “盟友”らが発起人となり、一堂に会した。日本チェーンストア協会の佐々木孝治会長(ユニー社長)は、中内氏の功績を並べ「偉大なる企業家、情熱と紳士の精神あふれる先導者、永遠の師であり、好敵手だった。本当にお疲れ様でした」と哀悼の意を捧(ささ)げた。

 故・中内氏は1922年大阪市に生まれ、神戸市に育った。神戸高等商業学校(現兵庫県立大)卒業の後、太平洋戦争の激戦地フィリピン・ルソン島に出征し、奇跡的に生還。復員後は、空襲で焼け野原になった神戸の闇市で医薬品販売を始め、57年に「良い品をどんどん安く」を売り文句にした小売店「主婦の店ダイエー」1号店を大阪市に開業した。「価格破壊」に象徴される安値競争など、流通業界の既成概念を次々と打ち破り、ダイエーを全国最大のスーパーチェーンに育成、プロ野球参入や積極的な企業買収で一大財閥を築いた。

 90年に旧経団連副会長就任、93年に勲一等瑞宝章を受章するなど、いずれも流通業界初の栄誉を与えられ、同業界の地位向上に貢献したが、01年には業績悪化の責任をとる形で経営から退任。晩年は、私財を投じて設立した流通科学大学の学園長として教壇に立ち、流通業を担う人材の育成に努めた。

 ダイエーは、04年末に産業再生機構入りし、林文子会長・樋口泰行社長の体制で経営再建に着手した。大幅な資産売却や店舗・人員削減を柱とした再建計画を掲げ、12月1日にはロゴを30年ぶりに一新。スローガンも「ごはんがおいしくなるスーパー」に刷新し、 “脱中内” を推進している。故・中内氏の葬儀は、11月に流通科学大学の学園葬として行われたが、ダイエーは社葬を行わず、同日訪れたダイエー関係者らも沈黙を守っていた。【了】

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