■現代日本に生きる自然言語があった

現代の日本に、日本人の知らないまったく別の文法や言語系統を持つ“もうひとつの日本語”が存在している。それは英語やハングルのことを指しているのではない。そのような事実を知らされたら、「一体なんのこと?」と驚くのではないだろうか。かくいう私もその1人だった。

そのもうひとつの日本語とは、手話のことだ。多くの人は、手話とは単に日本語の音声を手のサインに置き換えたものと考えている。しかし、手話はれっきとした自然言語であり、その誕生は音声言語と同様に古い。手話に関する最古の記録は4世紀以前に書かれたユダヤ教の律法書に確認でき、世界各地で独自の発展を遂げてきた。もちろん細かい文法や語彙もあり、それを習得することで、哲学や心理学なども含めこの世の森羅万象を語ることができる。日本には日本手話が、アメリカにはアメリカ手話があり、世界各国の手話のほかに「方言」も存在している。

「手話とは、日本語の音声を手のサインに置き換えただけのものだ」と健常者が誤解するのには理由がある。実は、私たちがテレビなどで目にする手話は、「日本語対応手話」と呼ばれ、実際のろう者が使う「日本手話」とは別物だからだ。手話は手だけで表すものと思われがちだが、実際は手の動きに加え、表情や目線、眉の上げ下げや一瞬の間など細かい要素から成り立っている。耳の聞こえないろう者は、聴覚の代わりに視覚が発達しているため、それらの細かい形容詞や時制の変化を読み取れるが、音声情報に多くを頼りがちな聴者には読み取るのが難しい。

現在、日本で唯一、日本手話による教育を行う斉藤道雄明晴学園理事長に、日本のろう教育について伺った。

「多くのろう学校では、いかにして正確に『あいうえお』を発音させるかに膨大な時間と労力を費やしていますが、自分が発した音のフィードバックがないのだから、いくら練習しても正確に発音できているのか本人にはわかりません。周囲が『それが正しい発音だ』といえば、そんなものかなと思う。なかには天性の勘や努力が実を結び、発話に成功する子もいますが、せいぜい全体の1、2割程度。あとの8割は手話も口話もどちらも身につかずに卒業してしまいます。でも全体の8割が落ちこぼれる教育は、非常に危険な側面を孕んでいるのではないでしょうか」

しかも「口話ができる」としても、学校の外ではなかなか通じにくい。一般の人はろう学校教師のようにゆっくりはっきりとは発音しないし、ろう者の声にも慣れていないからだ。長年の口話教育の努力の末に、「何を言っているのかわからない!」と怒られる口惜しさを何人ものろう者が経験しているのだ。

■母語をしっかり教育。外国語は、その次で

ろう者に口話を強要する動きは日本に限ったものではない。その流れは1880年にミラノで開催された世界ろう教育者会議で決定的となった。ろう者も聴者同様、発話をすべきだという論調に支持が集まり、日本もその流れを追い口話教育を推進してきたが、その背景には「手話を身につけると、口話および日本語が身につかなくなる」という恐れがあった。その誤解はいまだに文科省や一部の医学者、ろう教育者の間に浸透している。だがそれは大きな誤りであると斉藤氏は指摘する。

「母語である日本語は下手なのに、外国語である英語が非常に素晴らしい、という人はいませんよね。第一言語(母語)のレベルを第二言語が超えることは絶対にありえないのです。

ろう者にとって、第一言語はあくまで手話であり、日本語は第二言語なのです。ろうの子たちの頭の中には、本来日本語は存在していません。彼らは夢すら手話で見ます。現在、どんな楽観的な教育者でも、従来の口話教育が成功してきたとは考えていないでしょう。口話教育だけでは正しい日本語が身につかない以上、まずは手話を第一言語としてしっかり習得し、その次に日本語や英語に進むべきなんです」

明晴学園では、幼稚部では親子ともに手話を学び始め、小学部からは日本語の授業が、中学部からは英語の授業が始まる。興味深いのは、「国語」ではなく、「日本語」の教科だということだ。教師も国語教師ではなく、外国人に日本語を教えるプロである日本語教師が就いている。

「世の中にはバイリンガル、トリリンガルと呼ばれる人たちがいます。母語に加え、第二、第三言語を自由に操れる人たちのことです。しかしその反対に、どの言語も身についていない半言語状態の人たちも残念ながら存在します。セミリンガルと呼ばれる彼らがどのようなものか、一般の人はあまり目にしないと思いますが、かなり悲惨な状況です。

どの言葉も持たないということは、下手をすればモノには名前があることや、時間の概念すら理解できていない可能性がある。そういう人たちに、社会保障を受ける権利がありますよ、と教えても、そもそも権利や社会保障という概念がわからないわけです。自分が何を知っていて、何を知らないかがわからない。それが言語がない、もしくは半言語の人の実態です。移民や外国人労働者が多く住む地域では、親の母国語も日本語も満足に喋れない2世の子たちが問題になっていますが、ろう者の間でも、残念ながらそのようなケースがあります」

もとは単に耳が聞こえないだけの問題だったのが、言語習得に失敗したがゆえに、うつになったり、非行に走ったり、知的障害の疑いを持たれる人もいる。近年、日本企業も障害者枠を設け、ろうの人たちを雇用する動きが出てきたが、実はそのような企業からも相談の電話が明晴学園にかかってくる。障害者枠として採ったはいいが、まったくコミュニケーションができず、どうしたらいいかという相談だ。だがそれはきちんとした言語教育を受けられなかったために起こる問題だと説明するしかない。

耳の聞こえない子の9割は、健聴者の両親から生まれる。遺伝以外にも出生時のトラブルや細菌感染など、聴覚を失う原因は1つではない。わが子の耳が聞こえないとわかったとき、多くの両親は医師から勧められるままに人工内耳の手術を受けさせるが、視覚とは違い劇的な改善にはつながらない。「やはり、大切なのは手話教育だ」と斉藤氏は強調する。

人間はおよそ5歳になるまでに何らかの言語に日常的に接しないと、生涯にどの言語もネーティブ並みに操ることが不可能になることが、言語学の研究で明らかになっている。なにより手話を禁ずることは、ろう者から独自の言語やアイデンティティを奪うことにもなる。

「耳の聞こえる子は、『耳が聞こえるんだからしっかりしなさい』とはいわれません。でも、ろうの子たちは物心ついてからずっと、『耳が聞こえないのだから、しっかりしなさい。ほかの子より勉強しなさい』といわれ続ける。裏を返せば『聞こえないままではダメなんだよ』というメッセージにもなる。私は『君たちはそのままでいいんだよ』と、子どもたちを育てたい。そこらへんの子たちと同じく、勉強して騒いで笑って、元気に遊びまわっている。唯一違うのは、日本語ではなく手話という別の言語で会話していること。ここは障害者学校というより、一種の外国語学校なんです」

(三浦愛美=文 奥谷 仁=撮影)