■働き方を根本的に変える法案の中身

今の通常国会にサラリーマンの働き方を根本的に変える法案が国会に提出される。それは「高度プロフェッショナル制度」の創設、いわゆる「残業代ゼロ」法案と「企画業務型裁量労働制」対象者の大幅拡大の2つ、だ。

制度設計を検討してきた厚生労働省の労働政策審議会が2月末に法律案要綱を厚労大臣に提出し、閣議決定を経て、「労働基準法改正案」として国会に提出されることになる。

「残業代ゼロ」法案はアメリカのホワイトカラー・エグゼンプション(以下、エグゼンプション)の日本版だ。一定のホワイトカラー労働者を対象に、法律で定めている休憩・休息時間の付与、深夜労働、日曜・祝日労働などに関する労働時間規制の適用を外すものだ。つまり、現行の1日8時間、週40時間の法定労働時間を超えた場合に支払われる25%以上の割増賃金を会社が支払わなくてもよくなる制度だ。

07年1月に第1次安倍政権で世論の反発を受けて廃案になった。もはや二度と日の目を見ることがないだろうと思われていたが、2014年6月、アベノミクスの第3の矢である成長戦略(日本再興戦略改訂2014)の労働規制改革の目玉として新たに装いを変えて突然浮上した。安倍晋三首相にとってはまさにリベンジの産物である。

筆者は第1次安倍政権下でのエグゼンプション導入の動きを取材し、さらに今回の導入を画策した経済界・政府の動きや厚労省の審議会のほとんどを傍聴してきた。その中で浮かび上がる経営者の狙いと今後サラリーマンにどんな影響を与えるのかをまとめた本を出版した(『2016年残業代がゼロになる』光文社)。

この法案が国会で成立すれば、具体的な施行は2016年4月1日になる。ということは、導入企業はそれまでに就業規則の見直しや対象者の選定、労使協議などの準備作業を終えて、実施に踏み切ることになる。エグゼンプションに関心があるかないかに関係なく、多くのサラリーマンが当事者となる。

■具体的な対象業務は省令に記載される

新制度の中身を紹介しよう。「高度プロフェッショナル制度」は法律には「高度の専門的知識等を要するとともに業務に従事した時間と成果との関連性が強くない」といった文言だけが明記され、具体的な対象業務は省令に記載されることになっている。審議会の報告書では例示として以下の業務を挙げている。

金融商品の開発業務、金融商品のディーリング業務、アナリストの業務(企業・市場等の高度な分析業務)、コンサルタントの業務(事業・業務の企画運営に関する高度な考案又は助言の業務)、研究開発業務等

あくまでも例示であり、これだけでは自分の業務が対象になるのかどうかわからないだろう。じつは厚労省は、高度な職業能力を有する年収1000万円以上の業務(管理監督者を除く)について事前にヒアリング調査をしている。その具体的事例の一部が審議会で公表されている。業種は証券、銀行、情報通信、製薬の4つ。その具体的業務とは以下の通りだ。

【証券】
・ファイナンス・M&Aに関するアドバイザリー業務
・有価証券の売買業務
・金融商品の開発業務
・企業・市場等の分析業務
・対法人向けの金融商品の営業
【銀行】
・有価証券の売買業務
【情報通信】
・システムエンジニアの業務
・コンサルタントの業務
・営業
【製薬】
・研究開発業務
・管理部門(財務、人事、法務)
・営業(MR)
・製品の生産技術の開発業務

■すべての企業に“専門家”が存在する

なるほど証券・銀行の業務については専門的知識を要する業務である。しかし、よく考えてみると証券会社の場合、株の売買やアナリスト業務、法人顧客の営業というと、それだけでほとんどの社員が該当する。情報通信業にしても、SEやコンサルタントといえば最も多い職種であり、企業によっては入社直後にプログラマー、SE、コンサルタントと職階を設けているところも多く、ほとんどの社員がこの業務に従事している。

製薬業界でも、薬の研究・生産技術の開発、そして営業職といった職種はビジネスのほとんどを網羅している。さらに人事、財務、法務というのは製薬業界に限らない。あらゆる業種に存在する職種である。たとえば、人事業務は採用、教育、人事制度企画、労働組合担当など、高度かどうかわからないが専門家がいる。

ここではたまたま4業種を列挙しているが、すべての業種に“専門家”が存在しているはずである。

つまり、高度専門職でありながら管理職ではない“その道のベテラン”はどんな職場にも存在する。こうやって1つひとつ見ていくと、要するに「何でもあり」だということがわかる。当然、厚労省も業務が多岐に及ぶことを意識しているのだろう、具体的な業務については、国会審議を経ずに随時更新できる「省令」で規定することにしている。

そして、もう1つの要件が年収だ。報告書のポイントは「(1)平均給与額の3倍を相当程度上回る」「(2)当面は年収1075万円以上」「(3)具体的金額は省令に書き込む」――の3つだ。(1)については法律に明記される。

平均給与額とは厚労省が毎月調査している「毎月勤労統計調査」の「決まって支給する給与」の12カ月分の金額。ちなみに2013年の月平均給与額は約26万円。年間で312万円。その3倍は約936万円だ。

■「3倍」を「2倍」に変える法改正は簡単!

しかし、この金額を鵜呑みにすることはできない。

一見、ほとんどの人は「自分の仕事は対象業務ではないし、年収もそんなに高くないので関係ない」と思うだろう。たとえ省令ではなく法律に盛り込まれていても、この「3」という数字が曲者だ。民主党政権下で厚生労働省の政務官を務めた山井和則衆議院議員「エグゼンプションは将来的に中所得者層まで残業代をゼロにするための第一歩なのです。今回、対象は平均年収の「3倍」を上回る労働者、と法律に明記されますが、「3倍」を「2倍」に変える法改正は、1年で簡単にできます」と語っている。

新たに条項をつけ加える法改正は大変だが、3を2に変えるのは簡単にできるという。仮に平均給与額の2倍に変更すると年収は624万円。課長の手前の係長・主任クラスなど多くの労働者が対象になる。経団連の榊原定征会長は「少なくとも労働者の10%が適用できるようにしてほしい」と発言しているが、全労働者の10%は約500万人に相当する。

また、審議会でも使用者側委員の中小企業団体の代表者が「年収1000万円以上では中小企業は制度を活用できない。もっと引き下げてほしい」と要望していた。中小企業経営者などの陳情を受けて数字を変更してくる恐れも十分にあるのだ。

(ジャーナリスト 溝上憲文=文)