今夜の金曜ロードSHOWから三週に渡って「ルパン三世」映画名作選が放映されます。
トップバッターはもちろん「ルパン三世 カリオストロの城」。
たまには「ルパン三世VS複製人間」も放送してほしいなー。

宮崎駿は、これが映画としては初監督。
製作期間半年以下という超無理やりスケジュールな作品。宮崎長編アニメは基本シナリオなしで絵コンテから作ります。ただしカリオストロの城のみ、シナリオがあります。
ルパンのジャケットが赤から第一期の緑に戻されていたり、車もアルファロメオから一期後半のフィアットに戻ってたりと、コネタの多い作品です。この映画のヒットで、ルパンはフィアットのイメージが完全に定着しちゃいましたね。

さて、今となっては有名なこの作品。興行成績自体はそこまで振るいませんでした。
しかし「これはすごい」と、アニメ関係者とアニメファンが猛烈に食いついた。
特に多くの人の目を引いたのがクラリス

75から80年くらいにかけて、「ロリータ・コンプレックス」の語が、アニメファンの間に広がり始めました。
当時は自分たちを「ビョーキ」と自虐的に呼びあい、いかにマニアックかを楽しみました。
もちろん当時「おたく」という言葉はありません。

この流れで燦然と輝いたのがクラリス。
「カリオストロの城」がテレビ放映(80年12月)されてからというもの、多くのファンの心を鷲掴み。
ルパンがカリオストロ伯爵に「妬かない、妬かない、ロリコン伯爵!」と叫んでいることから、「クラリスを好きなアニメファンはロリコンである」という常識が出来上がりました。

アニメージュ82年4月号には「ロリコントランプ」という、ウソみたいな付録がついてきたこともあります。
中身は吾妻ひでおのキャラをはじめ、ラムちゃんからじゃりン子チエまで。そして、クラリス。

1980年にはさえぐさんじゅんが同人誌「クラリスマガジン」を創刊。
コミックマーケット準備会代表の米沢嘉博が「病気の人のためのマンガ考現学」で、病気としてのロリコンについて語るほど浸透していきます。「病気」は疾患ではなく、「おたく」とほぼ同義。
1981年アニメック17号では、カリオストロの城特集が組まれ、表紙には「”ろ”はロリータの”ろ”」とデカデカと載っていました。
特集記事の中では、「クラリスマガジン」も掲載。

ルパンが「今はこれが精一杯」といって幽閉されたクラリスに万国旗をつなぐシーン。
紳士的なシーンです。これを「一歩引いて少女を見る」と解釈。
ラストシーン。「おじさま!」といってクラリスが抱きついてきた時、抱きしめ返そうとするルパン。
でも抱きしめ返さない。少女の心に踏み込まない。
結婚したり恋人になったりしない。「おじさま」でありたい。

このような思いをかかえた人を、後に「クラリスコンプレックス(クラコン)」と呼ぶようになりました。

82年6月号のアニメージュで、宮崎駿はこう語ります。
「クラリスに、”ロリコン”人気が集中しているということですが、ぼくには無関係のことだと思います。ただ、いまの若い人はロリコンを“あこがれ”の意味で使っているでしょう。思春期にはダレにも体験があることです。(中略)ぼくらはあこがれを”遊び”にはしなかったし、また、大っぴらに口にすることは恥ずかしかった。”恥じらい”があったんですよね。それがあったほうがいいかどうかは別問題ですけど、とにかくいまのぼくは”ロリコン”を口で言う男はきらいですね。」

ぼくは間違いなくクラリスコンプレックスです。「紅の豚」のフィオに対して、そんな気持ちになります。
てかポルコもフィオのキスに応えてねえじゃねえか! クラリスの時と変わんねえぞ!
(たまごまご)