ミランの下部組織を率いるフィリッポ・インザーギ監督は、すでにトップチームのマッシミリアーノ・アッレグリ監督を破っている。10月16日の練習試合で、1−0と勝利しているのだ。

現時点ではまだ遠い可能性だが、アッレグリ監督が解任された場合の後任候補として注目されているのが、インザーギ監督である。同監督はかつて、現役時代に苦しんだときのことを振り返った。当時、すでにミランのベンチにはアッレグリ監督が座っている。

「一つ後悔がある。(ズラタン・)イブラヒモビッチともっとプレーしたかった。私たちの間には素晴らしいフィーリングがあってね。彼は私がゴールを決めると喜んでいた。我々はコンビを組むために生まれてきたかのようだと思う。だが、実際はそうならなかった。どうなったかは、周知のとおりだ。残念だった。もっとイブラとコンビを組んでいたら、まだ私はプレーしていたかもしれない」

「私はミランで2回、チャンピオンズリーグ(CL)を制覇した。誰もが、私と言えば2度目と思うだろう。2007年のアテネでのリヴァプールとの決勝で、私は2ゴールを決めた」

「だが実際は、2003年の1度目の方が自分のものだとより感じている。マンチェスターでユヴェントスとのPKを制覇したときのことだ。あのとき、私は12ゴールか13ゴールを決めた。2007年のときは、もっと難しかったんだ。足首の手術をして長期離脱した。万全じゃなかったのは当然だ。実際、(カルロ・)アンチェロッティ監督は決勝の前に、私と(アルベルト・)ジラルディーノのどちらを起用するか悩んでいたほどだ」

「だが、私は試合に出て、2得点を挙げた。スーパーカップのセビージャ戦でも1ゴールし、クラブ・ワールドカップ(W杯)のボカ・ジュニオルス戦でも2得点した。3つのファイナルで5得点。すべて重要なファイナルで、すべて勝った。誰も成し遂げていないことだ。(リオネル・)メッシやクリスティアーノ・ロナウドもね。私はこの記録を大事にしている」

メッシは2011年、3つのファイナルすべてを制し、それぞれでゴールを挙げたが、4得点とインザーギ監督に1ゴール及ばなかった。チームメートのペドロも2009年に3つのファイナルで得点を挙げたが、3ゴールだった。C・ロナウドは2008年、スーパーカップで敗れており、クラブW杯決勝では得点を挙げていない。

インザーギ監督が次に目指すのは、指揮官としての記録だ。

「今は子供たちを指導している。彼らに勝利への飢えを伝えようとしているんだ。我々が持っていた、終わりなき野心をね。野心はごう慢とは違う。今の夢? キャリアの最後までミランに残ることだ。そしてそれが不可能なら、それは受け入れるよ」