「死のうかな、と思ったぐらいです。最初は何をやってもうまくいかなくて」

発言の主は、球界No.1外野手との評価を受けながらも、オフに突然、北海道日本ハムファイターズからオリックス・バファローズにトレードされた糸井嘉男。もっとも「死のうかな」とはトレードに関してのものではない。自由獲得枠で投手として入団しながらまったく芽が出ず、入団から3年目に<投手から野手>へのコンバートに挑戦し始めた際の心境だという。
『プロ野球 コンバート論』の冒頭で紹介されるこのコメント、すぐに「ウソですけどね」と否定してはいるものの、それに近い悲壮な決意のもとのコンバートだったことは想像に難くない。

本書は、これまでにも『2番打者論』『プロ野球二軍監督』『キャッチャーという人生』などを上梓し、華々しいプロ野球界の中で、むしろ影に隠れがちなポジション・役割にスポットを当て続けてきた著者・赤坂英一による最新作だ。
“コンバート”という言葉の語源は、宗教用語の「conversion=(宗教の)改宗」から来ている。由来からして非常に重い意味合いを持つ言葉であるからこそ、プロ野球の世界で実際にコンバートを経験した選手たちの経験談もまた、重い響きを放つ。
「ぼくはまだ、死ぬほど野球をやっていない」(森野将彦・中日 ※外野手←→内野手)
「新しい視界を持つことができました」(田中雅彦・東京ヤクルト ※捕手←→内野手)
「新しいことを始めるのにトシは関係ない」(遠山奬志・元阪神 ※投手←→内野手)
「生まれ変わって別人になるくらいのつもりだったんです」(石井琢朗・元広島 ※投手→内野手)
……etc.
登場する選手たちは、人生の崖っぷちに立たされ、それでも尚、プロ野球選手として生き残るため、プライドやこだわりをかなぐり捨ててでも自らの新たな道を切り開いてきた男たちだ。複数のポジションがこなせる“ユーティリティ性”や、日本ハム・大谷の“二刀流”が話題を集める今日のプロ野球をより深く考察する上でも、「コンバート論」は非常に重要なテーマの一つと言える。

本書におけるキーパーソンが、自身も長嶋茂雄の閃きで、プロ野球史の中でも前代未聞の<外野から内野へのコンバート>を経験した高田繁(現・横浜DeNAベイスターズGM)。
日本ハムのGMとして糸井のコンバートを主導した高田が、コンバートを成功に導く上での欠かせない条件として“タイミング”と“退路を断つこと”の二つを挙げる。
「新しいポジションをものにできなかったら終わりだ。プロ野球選手としておしまいだ。それぐらいの覚悟を持たせられるか、本当に死に物狂いになれるのか、そういう気持ちが一番大事なんだよ」

このように、本書に登場するのはコンバートを経験した選手たちだけではない。コンバートを“させた”監督・コーチ・GMといった指導者や球団側にもスポットを当て、なぜコンバートをしなければならなかったのか。コンバートが選手の人生にどんな影響を与えるのか。チームにもたらす効果は何か。成功するポイントはどこか……まで掘り下げていく。

例えば、糸井のコンバートを支えたのが、同じく投手から野手に転向した経験を持ち、当時コーチになったばかりの大村巌(元ロッテ)。
「糸井を何とかしなければ、ぼく自身もその年でクビになると思いました」という危機感から、自らのコンバートにおいて役立った助言・意味のなかった指導も考慮して、糸井にこそ適したコーチングをカスタマイズしていく。
“宇宙人”とも称される不思議な世界観を持つ糸井とのコミュニケーションをとるために『ペットの飼い方』といった本も参考にした、というエピソードからは、お互いにどんな藁でも掴みたい・掴まなければならないという背水の決意がうかがえる。(実際、後の大村と糸井は「あ」と「う」だけで会話ができるようになったという、新たな「糸井伝説」も紹介されている)

本書の中では他にも、様々な師弟による“戦いとコミュニケーション”の様が描かれていく。
森野将彦(外野手←→内野手) × 落合博満
高橋慶彦(投手→内野手) × 古葉竹識
石井琢朗(投手→内野手) × 須藤豊
遠山奬志(投手←→内野手) × 野村克也

ある時はプロとして生きる者同士の“プライドのぶつけ合い”であり、またある時は、野球界で生き残るための“居場所探しの旅”でもある。
それらは決して遠い世界の物語ではなく、人事異動に振り回され、希望しない部署や仕事であっても結果を残さなければならないサラリーマンにも通じてくる部分だ。

サラリーマンであれば、成功するためには理解力のある上司の存在も必要不可欠。上述した高田繁は、GMの心構えとして次のように語る。
「おれら最高責任者の仕事は、伸び悩んでいる選手にきっかけを与えてやることだ。大きく飛び立つきっかけをね。選手が迷っているときに、ポンと背中を押してやる。これが簡単なようでむずかしくてなあ」
そこにあるのは、親のような温かさと、組織の上に立つ者としての責任感や使命感。
また、“松井キラー”として一世を風靡した元阪神の遠山奬志は、サポートしてくれた周囲への感謝を忘れない。
「ぼくの場合は、人に恵まれたんです。阪神では野村(克也)さんや吉田(義男)さん。木戸(克彦)さんや嶋田宗さん、ロッテでは八木沢(荘六)さんや中西(清起)さんと、節目節目でいい人に出会えましたから。ぼくと同じころにコンバートされて、ひとりだけの力ではどうにもならなかったという選手も結構見てるんで、余計にそう思います」

だが、最後に求められるのは、コンバートをする選手自身の気持ちの問題だ。自分の希望とは違っても、失敗する可能性が高くても、それでも尚、コンバートに挑戦する選手のモチベーションとは何なのだろうか? 
糸井は最後にこうつぶやいている。
「何だろう、結局、野球がしたかったんですよね」
(オグマナオト)