週末に行われたプレミアリーグ対トットナム戦。「地元メディアは香川に高評価である7という採点をつけ、活躍を讃えました」と、公共放送のスポーツニュースは報じた。放映権を持っているのなら、なぜ自ら採点しようとしないのか。毎度述べていることだが、その報道姿勢に、僕ははなはだ疑問を感じる。NHKは通信社ではない。

 さらに言えば、翌火曜日に行われたチャンピオンズリーグ、クルージ対マンU戦については、結果すら報じなかった。プレミアは放映権があるから報じるが、チャンピオンズリーグは放映権があるから報じない。この姿勢に対しても疑問を感じる。どちらのニュースの方が公共性は高いか。公共放送として報じるべきものか。答えは分かりきっている。

 香川真司はそのクルージ戦に、先発はおろか交替選手としても出場しなかった。トットナム戦で地元メディアが7をつけた選手に、ファーガソン監督は出場機会を与えなかった。これも公共放送が伝えるべきニュースだと思う。地元メディアが7をつけたことより数段大きなニュースだ。

 きわめてサッカーらしい話だと思う。サッカーの特性を表した出来事だと。

「トップ下で勝負したい」。入団記者会見の席上、香川はそう語った。だが、クルージ戦に臨むマンUの布陣には、トップ下がなかった。勝負したい場所がなければ、出場できないのは当然。厳しく言ってしまえばそうなる。

「トップ下」をやりたい旨の話は、これに限らず何度か耳にしたことがある。だが、「トップ下」は、ショートでも、セカンドでも、センターでもない。どんな場合でも存在するポジションではない。監督の採用する布陣次第で、存在したりしなかったりする流動的なポジションだ。そこを香川は入団記者会見でやりたいと言ったわけだ。迂闊な発言だと思わずにいられなかった。ファーガソンがこれまで使ってきた布陣、ひいては英国のサッカー文化を少しでも心得ていれば、こうした発言は出なかったと思う。

 監督の選択肢を狭めるような発言をしたわけだ。中盤フラットの4―4―2(フォーフォートゥー)を選択肢の一つに持つファーガソン監督は、この発言をどう捉えただろうか。知識に乏しい選手、戦術的理解度の低い選手と思われても致し方ない。

「トップ下」という言い方も気になった。「トップ下」には「1トップ下」もあれば「2トップ下」もある。これも知識不足の印象を与えかねない迂闊な発言といわざるを得ない。

 マンUの看板選手であるルーニーと、今季加入したオランダ代表のエース、ファンペルシは、ともに4―2―3―1の3と1をすべてこなす。4―4―2の中にも綺麗に収まることができる。香川の目にこの多機能性はどう映っているだろうか。

 彼らは「トップ下」を主張したりはしない。チーム状況に応じてどこでもやるスタンスでいる。メッシだってそうだ。今日のサッカー界において、自分の居場所を主張する選手は滅多にいない。香川はそうした自身の特異性に気がつくべきだと思う。

 出番なしは、至極当然の結果。僕はそう思う。

 トップ下をやりたい香川。これに対してファーガソンは、香川をトップ下しかできない選手と見なした。出番なしはその結果だと思う。

 実際、香川は日本代表でサイドを任されると、酷く居心地悪そうにプレイする。気がつけば、その状況から逃れるように真ん中にポジションを移している。

 サイドが嫌な理由、真ん中を好む理由は、サイドより真ん中の方が良いプレイが発揮できるからだ。サイドでボールを受けてもプレイの選択肢に広がりがないからだ。しかし、ルーニーやファンペルシのようにそうではない選手はいくらでもいる。両者と技術の幅に違いがあることは明白だ。香川の幅は彼らよりずいぶん狭い。