バターチキンなどのクリーミーなカレーに、生野菜サラダ、そして皿からはみ出した巨大ナン。インド・ネパール料理店においては、標準的なナンの大きさだ(撮影:梅谷秀司)

インド料理店に行くと、こんな光景がよく見られる。ターリー皿(銀色の丸い大きな皿)の上に、バターチキンなどのカレーと生野菜サラダ。そしてその横には、ターリー皿からはみ出した巨大ナン。ところがカレーの本場・インドでは、こうした大きなナンはまず見られないという。なぜ日本のナンは、インドよりも大きくなったのか。その謎を解くカギが、近年激増しているインド・ネパール料理店、通称「インネパ店」にあった。

ナンを見たことのないインド人も

そもそもインドでは、ナンという食べ物自体がそれほど一般的ではないという話をよく聞く。実際はどうなのだろう。インド食器輸入販売店「アジアハンター」店主でインド現地の事情に精通する小林真樹氏に話を聞くと、こんな答えが返ってきた。


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「ナンは北インドやパキスタンの一部では日常的に食べられていますが、それ以外の地域では高級寄りのレストランで出されるくらいで、多くの庶民には身近ではありません。在日のインド人から『日本に来て初めてナンを見た』という話も何人からか聞いたことがあります」


日本人客で賑わう東京・森下のインド・ネパール料理店「サッカール」(撮影:梅谷秀司)

ちなみに、写真のような日本のインド料理店で一般的なスタイルは、北インドの料理がルーツとなっている。ナン、バターチキン、タンドリーチキンといったメニューに代表される北インドのスタイルは、今や日本のインド料理店で広く“フォーマット化”している。

ところが、インドには北インド料理以外にも、南インドスタイルや、東インドのベンガルスタイルなど、土地によってさまざまな料理が存在する。多くはナンが主食ではない。にもかかわらず、日本にはなぜインドの一地方に過ぎない北インドのスタイルが圧倒的な主流となっているのか。

その理由は意外にもロンドンにあるというのが、南インド料理店「エリックサウス」などを展開する円相フードサービス専務の稲田俊輔氏だ。稲田氏はエリックサウスの全メニューの開発を手がけ、インド料理やカレー文化に詳しい。

「インドがイギリスの植民地だった時代、イギリス人駐在員たちは、現地インドの使用人がイギリス人向けにアレンジしたインド料理に親しみました。そして1947年のインド独立後、スパイス料理の魅力を知って本国に戻ったイギリス人に向け、今度はインドやバングラデシュの人たちがロンドンに移り住み、インド料理レストランを開いたんです」

ヨーロッパ人向けのレストランということで、そこでは肉をメインとしたカレーやタンドール料理、そしてパンに趣が近いナンという、いわゆる北インドの料理をベースとし、さらにそれを食べやすくアレンジしたスタイルが定着します。その後、当スタイルはインターナショナルインド料理として各国に広まり、逆輸入の形でインドにも入りました。そうして伝播した国々の一つに、日本もありました」

日本での進化を担った「インネパ料理店」

1970年代から1990年代にかけ、このロンドンスタイルを取り入れたモティ、サムラート、ラージマハール、マハラジャといったインド料理店が日本で大人気に。豪華な内装に、クリーミーなカレー、そして豪快でエキゾチックなタンドリー料理、ふかふかのナン。すでにヨーロッパ人向けにアレンジされたスタイルだっただけに、日本人にも受け入れやすかったのだろう。

以降このスタイルは、「日本人に一番うけるスタイル」として多くのインド料理店が採用し、日本人にも広く受け入れられていき、完全に定番化する。

ところが、このロンドンを経由したスタイルは、日本でその後さらなる大進化を遂げることになる。その中心的な役割を担ったのが「インネパ店」だった。

インネパ店とは、ネパール人が経営するインド料理店の通称だ。インド料理といえばインド人経営が一般的かと思いきや、近年はインド人経営の店よりインネパ店のほうが多いといわれる。仕事とライフワークで日本全国のインド料理店を長年巡ってきた前述の小林氏もそれを実感しているという。

「数としてはインネパ店のほうが圧倒的に多く、今現在も増え続けています。もともとネパール人は、インド人より人件費が安いうえ真面目で素直な人が多いということで、1970〜1980年頃から日本のインド料理店でよく雇われていました。そして1990年代以降、彼らが独立してインド料理店を始めたのが、インネパ店の起こりといわれます。


インド食器輸入販売店「アジアハンター」店主・小林真樹氏。印・日のインド料理店を数々食べ歩いてきた。5月中旬に著書『日本の中のインド亜大陸食紀行』(阿佐ヶ谷書院)を上梓(撮影:梅谷秀司)

お店が1店あると、従業員として地元のネパール人を日本に数人呼べるので、ネパール人がたくさん来日しました。さらにそこから独立する人も出て、インネパ店はどんどん増加。それにより、20年ほど前はインド料理店といえば1駅に1店くらいしかありませんでしたが、今や4〜5店あることも普通になっています」(小林氏)

インネパ店の急増は、日本で確立されたインド料理のフォーマットを、より進化させることになる。前述の稲田氏はこう話す。

「日本人が喜ぶものをということで、ナンはどんどん大きく、甘く、ふかふかになっていきました。また、意外と気づきにくいところで大きかったのが、カレーのグレービー(汁気)の分量です。以前はグレービーと具の分量はおおよそ半々だったのが、グレービーが多いカレーに慣れ親しんだ日本人のニーズに応え、今やグレービー8・具2くらいの割合になっています。


日本で独自進化した「インド料理」。ナンは甘く巨大で、カレーのグレービー量も多い(撮影:梅谷秀司)

ほかにも、以前はあったインドの前菜は生野菜サラダに変わり、さらに近年はそれを生春巻きに変える店もあります。こうして日本人が好みそうなものを徹底的に追求することで、他国のインド料理にはまずない、日本ならではのスタイルが生まれました」

こうした流れは、インド料理に対するネパール人とインド人のスタンスの違いが大きく関係していると小林氏は言う。

「インド人の方々もさまざまな工夫をされていますが、やっぱりインド人にとってのインド料理は、物心ついた時から慣れ親しんでいるもので、『こうあるべきもの』というこだわりや思い入れが強くある。対してネパール人にとってのインド料理は、決して子どもの頃から食べてきたものではありません。だからこそ固定概念にとらわれず、柔軟にアレンジしていけるのだと思います」

今やインネパ店には、「チョコレートナンやハニーチーズナン、さらにはめんたいこナンやあんこナンを出す店もあります」と小林氏。「最近はインド料理だけでなく、タイ料理やベトナム料理を出すインネパ店もよく見ます」。

インネパ店の中にはクオリティの低い店や、短期間で閉店してしまう店も少なからずあるが、反対に多くの顧客の支持を得て、次々と支店を出す繁盛店もある。

「たとえばイオンモールや、東京駅近くの有名駅ビルなど、普通にはなかなか入れない商業施設に入るインネパ店も目にします。先日納品に行ったお店は、大きなショッピングモールの1階の一等地に、100席以上もある巨大な店舗を構えていました」(小林氏)

居酒屋メニューやホッピーまで

インネパ店には、こんな裏技的な楽しみ方もある。その一つが、「居酒屋使い」だ。カレーとお酒は一見合わなそうにも思えるが、それを補って余りあるのが、魅力的なサイドメニューだ。

「居酒屋で働いた経験のあるネパール人が手がけるお店が意外と多く、そういう店には、梅きゅうりやひざ軟骨揚げ、レモンサワーといった居酒屋メニューがあったりします。時にはホッピーを置いていたりも。お国柄、インド人よりネパール人のほうが、酒飲みが断然多いためか、“飲める”メニュー展開であることが多いんです。価格もリーズナブルです。

またネパール人ということでモモ(ネパールのスパイシーな餃子)やチョエラ(肉のスパイス和え)といったネパール料理を出す店もあり、そちらもつまみとして最高です。それと意外にも、インネパ店をファミレス的に使う子連れのママさんたちも見かけます。ネパール人の多くは子どもの騒ぎ声や長居に対して寛容なので、気軽にママ会などを行えるのでしょう」(小林氏)

インド料理やスパイス料理の入門店として、そして多様な使い方ができる店として、数を増やし続けるインネパ店。その間口の広さと使い勝手の良さを踏まえると、まさに“インド料理界のファミレス”ともいうべき存在なのかもしれない。もちろん、ストイックに味を追求する店もある。何れにしても、そうしたローカライズをネパール人が担っているのが、とてもユニークなところだ。