国内で100店舗以上を展開するラウンドワン。そのシンボルでもある「ボウリング」の市場縮小が止まらない(撮影:尾形文繁)

「パコーンッ!」

神奈川県の幹線道路沿いにあるボウリング場。長い板張りのレーンの先で、整然と並んだ白いピンが快音を響かせてはじけ飛ぶ。すべてのピンを倒した男性は友人と言葉を交わし、大喜びをしていた。もっともその友人はレーンに設置されたモニターの向こう側にいる。男性は画面越しの友人とハイタッチで喜びを分かち合っていた。

屋内複合レジャー施設大手のラウンドワンは今年1月から、異なる店舗でボウリングをする客同士を映像と音声でつなぎ、あたかも一緒にプレーしているように遊べる新システム「ROUND1 LIVE(ラウンドワン ライブ)」の導入を始めた。

新システムで新たなボウリング需要を創出

メインターゲットは大学生だ。初対面の男女グループが遊んだり、共通の趣味を持ったネットユーザーの「オフ会」の利用などを見込んでいる。たとえば、進学で地方から上京してきた学生が地元の友人と時間を合わせ、互いに最寄りのラウンドワンに赴く。そして片方が店舗名とレーンの番号を指定する「LIVE de 指定マッチング」を用いれば、スコアまで共有して一緒にボウリングを楽しむことができる。

ほかにも年齢や性別、人数をもとに見ず知らずの人と対戦できる「LIVE de フリーマッチング」など、これまでにないシステムが用意されている。これらの新システムを6月末までに国内のほとんどのボウリング場に投入する。ラウンドワンの杉野公彦社長は「(狙いは)新たな需要の創出にある」と話す。

ラウンドワンはクレーンゲームやメダルゲーム、カラオケ、スポーツ系の「スポッチャ」などを手がけている。ボウリングは同社の売り上げの約25%を担う看板アミューズメントで、ほかのボウリング場チェーンが10〜20店舗程度にとどまるのに対し、100店舗以上を唯一展開する国内最大手だ。

日本におけるボウリングは幕末に長崎へ持ち込まれたようだが、その後は戦後に米軍基地内で楽しまれる程度。100年近く一部の人の間のスポーツだったが、1960年代半ばから急速に普及し、巨大なブームを迎える。

スポーツや余暇社会学の専門家で、『ボウリングの社会学』という著書がある東京女子体育大学の笹生心太(ささお しんた)講師によると、「(1960年代)当時は『アメリカ文化への憧れ』から、サラリーマンを中心とする若い男女が仕事帰りに都市部のボウリング場へ向かった」という。

技術進歩による余暇時間の増加やテレビ・洗濯機・冷蔵庫という「三種の神器」の普及、プロボウラーたちがテレビでスター扱いされた影響も重なり、1967年当時、500店弱だった全国のボウリング場は1972年までに約3700店まで膨れ上がった。

過当競争と不景気でブームは急激に縮小

ボウリング場の経営は、至ってシンプルな「装置産業」だ。最初にボウリング機器を取りそろえ、あとは集客で初期投資を回収していく。客層は1人で訪れてマイボールやマイシューズをそろえるようなスポーツ型と、グループで遊びに来るレジャー型に二分できる。着替えが要らないスポーツ兼娯楽であるボウリングの裾野は急速に広がっていった。


ただ、「100レーン規模の施設も登場し、とにかく儲かるとボウリング場が過剰に増えた」(笹生氏)。その結果、ボウリング場の間で過当競争が起き、採算が悪化。1973年に発生したオイルショックによる不景気も重なり、ボウリング場の数は1976年に900店以下までに減少し、ブームは急速にしぼんでいった。

その後、現在ではなじみの深い自動スコアラーが登場し、増加した郊外型ショッピングセンターの集客装置となることで1200店舗近くまで回復したが、1998年をピークに再び減少。2018年12月時点で758店まで縮小している。


ラウンドワンの杉野社長は「このまま放置すればボウリング(市場)はまだまだ縮小する」と危機感を募らせる(撮影:ヒラオカスタジオ)

2000年代に快進撃を見せたラウンドワンの国内ボウリング事業も、リーマンショック以降は下降トレンドから抜け出せずにいる。

その理由について、ラウンドワンの杉野社長は「ボウリング業界に目新しい変化がなかったからだ」と指摘する。「1980年代の自動スコア以来、ボウリング設備メーカーは話題を呼ぶ新機能をリリースしてくれなかった」(同)。

ボウリングを支えるのはシニア層

チェーン展開するボウリング場を除くと、ボウリング業界を支えているのは、ボウリングをスポーツとしてとらえて、人が少ない午前中に本気でプレーするシニア層が中心だとされる。彼らからすれば、最低限の機能さえ担保されていれば、プレーに大きな問題はない。

だが、ラウンドワンの客層はアミューズメント感覚の一般人が中心。「減ったのはレジャー層の方が大きいと思う。余暇が多様化すれば(ほかの娯楽やスポーツに)吸収されてしまう浮動層にあたる」(笹生氏)。

その点、現代のレジャー業界は、家庭用ゲーム機から動画配信サービスまで、多様な娯楽・サービスと消費者の時間を取り合っている。ゲームセンターは景品を、カラオケは新曲を追加・更新する中、レジャー感覚の層を狙ったラウンドワンのボウリングのみ変化しなくていい理屈はなかった。「新規機種が出たら導入したかった。それを信じて待ったが、10年経っても、15年経っても出てこなかった」(杉野社長)。

液晶モニターの価格低下やインターネット回線の速度が向上したこともあり、ラウンドワンは3年ほど前から自社で新システムの開発に取りかかった。その結果生まれた「ラウンドワン ライブ」は、悲願の国内テコ入れ策なのだ。

ロシアや中国、東南アジアへの出店準備も

ラウンドワンは2010年代に国内店舗数が頭打ちとなり、成長の軸足をボウリングの本場・アメリカへの新規出店に移していた。アメリカの店舗は飲食サービスを安価に提供してアミューズメントに客を誘導するモデルで攻勢をかけ、すでに約30店舗を展開する。また、ロシアや中国、東南アジアなどへの出店準備を開始する。

ただ、「決して国内ボウリング事業の成長を諦めてはいない」(杉野社長)ようで、既存店の底上げを目指す。実際、遠隔プレイのシステムだけでなく、各レーンのモニターやベンチもリニューアルする気合いの入れようだ。

達成時期こそ明言しなかったが、杉野社長は国内ボウリング事業を「現状の売り上げ(約227億円)から20%は伸ばしたい」という。そのためにはラウンドワン ライブの有望なユースケースを探り、ニーズに合わせた頻繁なシステム更新が必要になるだろう。テコ入れを怠った過去の反省を生かし、同社の新たな設備は若者のハートにハイスコアを叩き出せるか。