毎週水曜日夜7時から放送している「てゲてゲ」の視聴率は、10%台を維持しており、20%を稼ぐ回もある。ローカル局の自社制作番組としては異例の大ヒット番組だ(写真:南日本放送提供)

「迷いインコを探しています」――。鹿児島のMBC(南日本放送)ラジオの番組ではしばしば、行方不明になったペットの情報が流れる。同局の幹部によれば、「番組で取り上げられたのをきっかけに迷いイヌ、ネコ、インコなどが見つかり、飼い主の元へ戻る確率は約80%」。ちなみに、「迷い人」の情報を取り上げると100%、無事に発見される。

同県の老舗であるMBCはテレビとラジオの兼営局だが、ラジオの放送開始は1953年とテレビよりも6年早い。「ラジオは地域に根を張るメディアの先兵」と、中村耕治会長は強調する。

「ラジオに学んできた」MBCの歴史

ラジオはリスナーとの距離の近さなどからしばしば、「フェース・トゥ・フェース」のメディアと称されるが、収益環境は厳しさを増すばかり。MBCもそれと無縁でないのは確かだ。多くの「ラテ兼営局」ではラジオが“お荷物”と化している。電通がまとめた「2018年日本の広告費」によれば、ラジオの同年の広告費は前年比約1%減の1278億円。新聞、雑誌、テレビ、ラジオの「マスコミ四媒体」では最も低い水準で、底ばい状態が続く。

日本民間放送連盟(民放連)が3月、ラジオのAM放送をやめてFM放送に転換できるよう総務省に制度改正を要望したのも、ラジオを取り巻く経営環境の厳しさが背景にある。AM放送だと老朽化に伴う設備更新に多額の費用がかかり、今の経営体力では吸収できないとみているからだ。


1953年に開局したMBC。ラジオの開始はテレビより6年早い(筆者撮影)

だが、「テレビがラジオに学んできた」のがMBCの歴史。「地域メディアとして生き続けるために、テレビがラジオに見習うべきものは少なくない」(中村会長)。テレビとラジオの番組編成部門を一体化させているのは、「ラジオ重視」の姿勢の表れだ。

毎週月曜日の午前中に開かれる定例の部長会では必ず、ラジオとテレビ両方の1週間のプログラムをチェックする。「“テレビはラジオに学べ”という姿勢は、市場経済価値だけで論じようとすればローカル局としてありえない選択」と中村会長は言う。

「ラジオに学んだ」一例が、毎週水曜日夜7時からテレビで放映している「てゲてゲ」という番組である。「てげてげ」は鹿児島弁で「ほどほど」「いい加減」といった意味の言葉。同番組はグルメ、イベント、スポーツなど地元のさまざまな話題を深く掘り下げた生放送の情報バラエティだ。

「てゲてゲ」はもともと、深夜番組がゴールデンタイムへ“昇格”して衣替えされたもの。深夜時代から同番組の立ち上げを手掛けたのは、ラジオからテレビへ異動したディレクター。人事異動は「テレビをラジオ的にやろう」という中村会長の判断だった。


「地域メディアとして生き続けるために、テレビがラジオから学ぶことは多い」と話す中村会長(筆者撮影)

番組ではラジオの録音機を使うような感覚でディレクターが小さなカメラを持ち単独取材するといった手法も採用。テレビ番組では通常、カメラマン、音声の調整などを担当するVE(ビデオ・エンジニア)、ディレクターの3人程度のチームで取材に臨むことが多い。「井戸端会議風で小ネタが満載」と中村会長は話す。

2018年には3年連続で「三冠王」を達成

ラジオのミニコミ誌的な手法をテレビにも取り入れる。ラジオと同様、「暮らしのメディア」として地域と徹底的につながりを図ろうとする……。そうした戦略が奏功し、「てゲてゲ」は高視聴率を維持。10%台半ばで推移しており、20%を稼ぐ回もある。

実はゴールデンやプライムの時間帯で、ローカル局の自社制作番組が2ケタ台の視聴率をたたき出すのは容易でない。キー局に比べると制作予算が限られており、コンテンツ力の面などでどうしても見劣りしがちだからだ。多くのローカル局では「ゴールデンやプライムの時間帯には(高い視聴率を稼ぐことができる)キー局の番組をネットで受けてほしい」といった営業現場の声が強い。

その点、MBCの場合には「てゲてゲ」に続く毎週水曜午後8時からの時間帯にも「どーんと鹿児島」という自社制作番組を放映している。自社コンテンツに対する自信の表れといえるだろう。

2018年には3年連続で視聴率の三冠王を達成した。「三冠王」は「ゴールデン」「プライム」「全日」の各時間帯で年間平均視聴率1位になることを意味する。TBSをキーとするテレビのJNN系列28局のうち、3年連続三冠王はMBCだけだ。「地域密着の度合いでは先頭を走る存在」。系列局の幹部はこう評価する。

「地域の人々の幸せを追求することが、会社やそこで働く人々にとっても幸せなはず」(中村会長)。「公共性でメシを食う」ことこそ、中村会長が2006年の社長就任以降、10年以上にわたり経営者として葛藤を続けた中でたどり着いた結論である。そこに「ローカル局の生き残り策」という発想はない。

地域共生の原点にあるのは、1993年8月6日に鹿児島市を襲った集中豪雨での出来事だ。MBCの面する甲突川が氾濫して局舎に水が流れ込み、冠水の危機に瀕した。社員がモップなどで水を必死にかきだし、なんとか特別番組を流し続けたという。

災害でライフラインなどの情報を伝えるのは、地域メディアに課せられた使命だ。災害時に地域住民のニーズに応えるためには、「日ごろから地域住民との話し合いをきちんとしておくことが必要」(中村)。集中豪雨での被災経験が住民側に立つことの大事さを再認識させたことは想像に難くない。

県内全域260人から情報を寄せてもらう

番組制作の基本理念は「ネットワークを作り、ネットワークで作る」。地元のケーブルテレビやコミュニティFM局など36の地域メディアと連携し、局員ではカバーし切れない情報を吸い上げる。コミュニティFM局のスタッフがMBCのテレビ番組に出演することも少なくない。

「ふるさと特派員」も理念に沿った取り組みの1つだ。県内全域の約260人の一般の視聴者からニュース番組などに映像や電話で情報を寄せてもらう。局と特派員の間には信頼関係が構築されているのだ。これならば、SNS経由で投稿された情報をめぐる取り扱いのように、虚偽か否かを判断するサービスなどを導入する必要もない。

ローカル局の経営基盤を支える地元経済は疲弊が進む。人口減少という構造的な問題に直面する地域も少なくない。

民放連が2018年に総務省の「放送を巡る諸問題に関する検討会」放送事業の基盤強化に関する検討分科会で提示した「民放ローカル局経営の現状について」という資料に記載されたデータによると、2017年度末のテレビ1局当たり(ラジオ兼営局を含む)の売上高は東京エリアの局が2287億円、大阪530億円、名古屋255億円。一方、その他地域の系列ローカル局は64億円にとどまる。彼我の差は歴然だ。

最近のテレビとネットの常時同時再配信に向けた動きもローカル局には大打撃。キー局がネットを通じて自社のコンテンツを即座に地方へも配信できるようになれば、キー局の番組を地方で流すことによって得られる「ネットワーク分配金」が支払われなくなってしまうかもしれないからだ。こうした中、ローカル局再編の議論も活発化しつつある。実際、一部には厳しい状況に陥ったローカル局も出てきた。


中村会長の部屋に飾られた社是。専務時代に考えついた(筆者撮影)

MBCの中村会長も「現在の放送局数をこのまま維持することはできない」と断言するが、一方で、「他社に先駆けて地域と徹底的に付き合ってきた」ことで体力を蓄えてきた自負もある。

「ふるさとたっぷり」。会長室に掲げられた社是である。中村会長が、専務時代に考えついたキャッチコピーだ。愚直なまでの地域密着戦略にはいささかの揺るぎもない。