普段はラーメン派ですが、今日は珍しくランチに「蕎麦」を食べてきた筆者です。そばを食べながら考えていたのですが、「もりそば」と「ざるそば」の違いは何なんでしょうか。

一般的に、『海苔がかかっているのが「ざるそば」で、海苔がかかっていないものが「もりそば」』と考えられているようです。確かに現在、ほとんどの蕎麦屋さんで、「もりそば」と「ざるそば」は海苔の有無だけで区別されています。

ところが、どうやらことはそんなに単純ではなく、他にも違いがあるようです。そして、「もりそば」と「ざるそば」の違いを知るには、「そば」の誕生からの歴史を紐解いていかなければならないようです。

そもそも「蕎麦」は、初めから今のように麺のような形で食べられていたわけではありません。かつては、脱穀したソバの実(そば米)を雑穀類と混ぜて食べる粒食や,「そば餅」などの粉食、また「蕎麦がき」といって、そば粉をこねて団子状にしたものを焼いたり蒸したりして食べられていました。

それが、今のような麺のようなかたちになったのは16世紀ごろのこと。「そば切り」と呼ばれるようになりました。

そば切りの登場時期は明らかになっていませんが,近江多賀大社の社僧であった慈性(じしよう)という僧侶の書いた『慈性日記』の慶長19年(1614)2月3日のくだりには、江戸の常明寺でそば切りのちそうにあずかったことが記されており、このことを格別珍しがっていないようすからみると、そば切りは、すでに慶長年間(1596‐1615)には普及していたとも考えられます。

やがて、江戸時代に入るとそば切りを提供する蕎麦屋が人気となり、つけ汁につけて食べるという、現在のようなスタイルが広がったと考えられています。

そして、せっかちな江戸っ子の中には、つけ汁につけるのを面倒臭がる人がいたため、ついに、つゆをそばに直接かける「ぶっかけそば」が生まれました。

この「ぶっかけそば」と従来の食べ方を区別するために、つけ汁につけて食べるそばを「もりそば」と呼ぶようになったといわれています。

江戸の中頃になると、ある店が他の蕎麦屋との差別化を図るために、竹ざるに盛った「ざるそば」を出すようになったそうです。この「ざるそば」が人気となり、次第に他のお店も真似て「ざるそば」を出すようになったと言われています。

「ざるそば」が生まれた当時は、もりそばとざるそばの違いは「器にざるを使うかどうか」だったそうです。

明治になると、もり、ざるは「器」以外で区別されるように

ところが明治時代になると、このふたつが「器」以外で区別されるようになります。
「ざるそば」は当時高価であった「みりん」をつけ汁に加えたり、そばの実の中心部分を使うなどして、「高級なそば」という位置づけになっていきます。さらに「もりそば」と簡単に区別できるよう、「ざるそば」には海苔をかけて出すようになったとそうです。

さて、現在では一部のお店を除き、「もりそば」も「ざるそば」も全く同じ材料で作られている場合が多いようです。また現在では、そもそも「もりそば」という言葉を使う人が減少気味にあるようです。

また、西日本では2つをまとめて「ざるそば」という人が半分くらいいるのに対して、北海道・関東・甲信越ではきちんと使い分けするという人が半分以上いるようです。

参考:NHK放送文化研究所「ざるそば」?「もりそば」?